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「愛ちゃんがやったとしたら、不自然でなくなる点が多いのは分かった。だけど、飽くまでも状況証拠でしかない。そこの“吟遊”を名乗る人とは違う。愛ちゃんは、私の、大切な人。だから肯けない。『納得』できる、動かぬ物的証拠が無ければ」

「言っただろ?愛子と共に居る『夜持行人』は、眼の方を探していて、それさえあれば完全になる。逆に言えば、既にそれ以外の部分は揃ってるってことだ。つまり、物として」

「それは有り得ない。我々は既に、身内の身辺も調べ尽くしている。犯行を隠そうと、死体を隠し続けることはできない」

 未だにこの尖兵は、吟遊の力への自信を失っていない。

 彩戸広助にとって所属する組織こそが、アイデンティティなのかもしれない。

「それは“裏切り者”の存在を疑い始めてからだろ?それまでは湯田さんが知るどこかに隠し、それ以降別の場所へ、思いもよらぬ場所へと移したとしたらどうだ?」

「見くびってもらっては困る。物を隠すには何処がいいのか、それを最も熟知しているのは、我々だ」

「だから、隠さなかった。これまでと同じだ。何食わぬ顔で提示すれば、それが答えだとは思われない」


 見えていた。

 俺はずっと、見ていたのに。


「3年前、2013年…俺が中3になる直前だったから、遅くても3月。その時に“そこ”に移送されていた場合、どうだ?」

「……あり得ない仮定だが、その時点では身内を探る前だ。私達から見えぬ所に隠されたなら、探しようが無くなる」

「ええと…そのイヤに具体的な時期の指定はなんだい?」

 

 俺は、ずっと何をやっていたというのか。

 俺なら、もっと早く終わらせられたのに。


「俺の通っている中高一貫校、渠蔵高校には『生物科』と呼ばれる教室がある。まあ、要は生物室だ。もともと部活もあったが、不人気過ぎて今は廃部となっている。そんな感じで見捨てられた場所だから、何か変化があったら記憶に残るもんだ」

 途直姉妹は入学後、即座にあの場所の主になってしまった。

 学校に居る時間の内、授業以外の殆どを、あの部屋で過ごすと言っていい。

「愛子にとって夜持は大切な存在だ。独占欲すら抱く程に。ならば、夜持そのものである遺体とは、出来るだけ多くの時間を共に過ごそうとするだろう」

 最初は湯田さんの用意した場所に。見つかるのが時間の問題と気付き、何時でも行ける隠し場所に。

「夜持行人は…その『生物科』とやらに?」

「去年、生物科に興味を持つ珍しい新入生が二人。その2年前にも、地味だがあの場所に“変化”があった」

「その変化とは?」

 彩戸の問に、答える。

 転がっていた解を、


 それは、


「人体骨格模型が新しくなったんだ」


「………え?」

 間の抜けた声を出したのは轍だが、多分皆似たり寄ったりな感想だろう。

 安心しろ。あの日下も、事前情報無しでは分からなかった。

 学校設備の入れ替え。湯田さんからは辿れず、愛子達には決定権が無い筈の事柄。

 足りなさ過ぎた。

 俺が握り潰していたから。

「そ、それってつまり…」

「そうだ、そういう事だ」

 

 俺と日下は、もうとっくに見つけていた。

 夜持は、いつもそこに居たのに。


「解剖する、骨を取り出し標本にする、剝製にする…、途直姉妹の得意分野だ。愛子は小学生の頃から既に、手伝い役さえ居れば、骨格標本を作るくらいはできた」

 これまで培われた技能で、夜持を見つからない姿に変えた。

 目に入っているのに、見ることができない。


「そこに居ないもの」、“鬼”の姿に。


「愛子が渠蔵教育学校を選んだ理由は、あの生物科に通い続けた目的は、夜持が『居た』場所だからではなく、『居る』場所だったからだ」


 あの場所では、“死”が質量を持っていた。

 それらの重さで、夜持を閉じ込めていた。

 夜持は死ねていない。

 まだ、終われていない。


「そしてここで問題となるのは、その後どうする予定だったのか、だ」

「そうだ、この状況。一体これはどういった筋書きだ?」

「さっきも言っただろ?簡単な話だ。仕掛けたパズルが解かれたなら、暴露者・吟遊・裏切り者の三竦みの構図が自然と完成する」


 湯田さんが上手く立ち回り、視線は中央センターへ吸い込まれる。

 利用価値の無くなった証拠品など、わざわざ見る奴はここにいない。


「ここで…ここで手に入れて、それでどうする?内も外も警官隊に囲まれ、逃げようとすれば簡単に露見する。一体、どうするつもりだったと?」

 彩戸はやはり、プランの確度に苦言を呈する。

 彼にはまだ理解できない。

 周囲全てを巻き込んだこの綱渡りが、彼女にとって必要な賭けだったと。

 彼女は、可能性があるのなら、試みずにはいられなかった。

 これは、彼女にとって合理的な解決方法だった。

「俺達が日下の方を向いている間、こっそりと部屋から抜け出す。同じタイミングで湯田さんが何かアクションを起こす。当然大わらわだ。外に出た愛子はそこに居る警官に、『轍刑事が増援を求めている』とでも言えばいい。ノーマークとなった彼女はそのまま俺達をここまで運んできた車に乗り、それで逃げる」

 車の運転は、湯田さんが当然仕込んでいるだろう。

 それぐらいの用意はできる筈だ。

「そこから先は?」

 すまないが彩戸、

「正直分からん」

「何?」

「高飛び用のチケットでもあるのか、パイロットと抱き合わせでセスナ機でも用意しているのか、そこは湯田さんに訊け」

 今肝要なのはそこではなく——

「…日高君、つまり彼女は、そのまま車で逃走していた可能性が高い、と」

「ええ、多分ですが」

 そこからの轍は速かった。

 外を囲む人員の一部を割き、湯田さんの車のトランクを開けさせた。



 夜持は、巨大な葛籠つづらの中に居たらしい。

 俺達と共にここまで来ていた。

 俺のすぐ後ろに夜持は在った。



 俺は、優子と向き合った。

 彼女と目を合わせると、心地良い陶酔へといざなわれる。そのうるむ両の宝石を、自分の手で守りたくなる。

 「全て間違いだった」とてのひら返し、破滅してでも彼女を救う、そんな妄想を思い返す度、脳髄が甘く痺れていく。

 揺れている、堕ちていく。

 俺のなけなしの決意なんて、簡単にとろけて床の染み。

「日高クン」

 その声が耳から入ってくると、無数の優しい手で包み込まれるように、冷たい恍惚が全身を駆け巡る。

 彼女の懇願が、頭から離れてくれない。

 彼女を幸せにすることが出来る。それが分かっているから。

 それに抗うことなどできない。

 だから俺は——


——」

「優子。これが、『動かぬ物的証拠』、だ」


 だから俺は、気の変わらないうちに突き放す。

 これ以上彼女の言葉を聞いたら、俺は本当にダメになる。

 よって、最早言い訳不能なレベルで、彼女との敵対姿勢を示す。

 使い物にならなくなる、その前に。


 もう少し、見ていてくれ。

 あと少しだけ、俺に時間を。


「死体が出た以上、もう言い逃れは出来ない。死因だって特定される。もし、愛子がしっかり刺してしまっていれば、他殺だったと、それがはっきりする」

「湯田さんも有力な容疑者となります。証拠が頼りなかったこれまでとは違い、警察は彼女を逃せない。万が一吟遊のサポートを受けられたとしても、抜け出すことは困難になるでしょうね。同時に、愛子さんを守る人がいなくなる。彼女を助ける手段も無くなります」

「愛子は、夜持の死を知っていたことを、簡単に喋ってしまうだろう。彼女にとっては、もう重要ではない事だから」

「どんなに軽く見積もっても、殺人の共犯扱い。精神鑑定に引っ掛かって、どこかへ隔離される可能性もありますか」

「好きな男の両目をくり抜く情念の女。そんな噂になったりするかもな。なにせ世間が求めているのは、事実ではなく話題性だ。その中で愛子に安息があるのかは、そうなってみないと分からない」


 これで、解決だ。


 被害者と、犯人と、証拠が、全て出揃った。


 言い包められる段階は、疾うに過ぎている。


 役者の判断で、勝手に幕を降ろせる。


「違う…!それは間違い…!」


 優子は、まだ承服しない。


 短く切られ、よく手入れされた爪を噛み、目の端をひくつかせて、考えている。


 どうすれば、愛子を救えるのか。


「みんな、間違っている…!」


 考えて。


 考えて考えて。


 考え抜いた結果、


 自身が手詰まりであることを、再認識することだろう。


「優子、残念だが、これが『真実』だ」

「大外れ、的外れ、期待外れ…、貴方なんかに、頼むべきじゃなかった…!愛子ちゃんが、罪人であるわけが——」

「他に、いないだろう?」

 湯田さんの罪悪感の対象となり、それに気付いて彼女を利用し、夜持を殺し、その死体を適切に加工し、それに最も近い場所で暮らし、信仰者達も警察も吟遊も相手取り——


 それ程の、愛だったのだろう。


 誰にも止められない想い。


 そんなものを抱いている者が、他に居ると言うのなら、


「なら聞くが、お前は誰だと思う?誰が、この一連の茶番を望んだんだ?」


 無為な屍の山を築いて、

 それでも尚お釣りが来る程に、

 得をした人間とは一体誰か。


「愛子の場合は、『幸福』の為に、殺人を手段とした。それ程の妄執を、持つ奴が他にいるのか?」

「それは——」


 それは、

 

 そんな人間は、




 一人しかいない。



 この物語の、脚本を書いた者。


 全てを転がす、演出家。


 欠けていた唯一のピースとは、


 最後に舞台に立ったのは——



 途直優子。





 シン…と、水を打ったような静寂に包まれる。


 ようやく、である。


 やっとのことで彼女が、役者の一人と相成った。

 座長を追われ、檻の中へ。

 傍聴席に居たその少女を、証人として喚問する。


 否、今や彼女は被告人である。


「夜持を手に入れる方法を、愛子に教えたのは?」

「わたし」

「湯田さんにこの計画を提案したのは?」

「わたし」

「俺のアパートに盗聴器を仕掛けたのは?」

「わたし」


 衆目に晒す。

 引き回してさらけ出す。

 見えない事が、彼女の最大の恐ろしさだった。

 

 見えてしまえば、陳腐な黒幕だ。


 全ては、準備されていた。

 彼女は、何年も前から夢見ていた。

 ともすると生まれたその日から。

 この日の事を。

 これから始まる完璧な幸福を。


 それを、ここに居る全員に、理解させるのだ。


「一体、何が起こった…?」

 彩戸は、取り繕う事が出来なくなった。

 不合理と理不尽の連続であるこの事件を、裏で導いていた者がいる。それが受け入れられない。

「さっきまで、そこの探偵が言っていただろう…?この事件には、偶然が多過ぎる。思い通りに事を運ぶことなど…」

「そうだ。勿論、聡明な彼女は、勝ち目のない、一発勝負のギャンブルをしない。これは、あらゆる修正すら想定した上で張り巡らされ、随時方針転換しながら運営される、そういう類の作劇なんだ」


 計画通りに行かないのが当たり前。ライブ感によってどっちにでも転がる。

 故に、どのような状態になろうとも、最終的に目的を満たせる、そういった“仕組み”を作ることにした。

 展開を進ませるのに必要な“役”がある。

 ただし、それを演じることのできる役者は、複数用意されていたのだ。

「それにはかなり早い段階から、湯田の協力が必要だ。夜持行人の件で心内の負い目が振り切れ、それが彼女の原動力となった。そうじゃなかったか?」

「湯田さんの罪悪感を利用したのは正しいだろう。だが、彼女はもっと前からそれを増幅させていた。長い時間を掛けて、着々と」


 「ああ、やっぱり」と優子が呟く。

「日高クン、さっきから気付いてたんだ。愛ちゃんじゃなくて、私だったって」

 口は弧を描き、視線は熱を失った。

 カエルの解剖を前にして、どこからさばくか決めているかのように。

「一芝居、ってやつだ。言っただろ?真似は得意なんだ」

「そう言えば、そうだったね。あまりにどうでもよくて、忘れてた」

 だろうな。

 哀しくて泣けてくる。

 そんな「どうでもいい」俺とは違い——

「お前が間違いなく喰い付く餌と言えば、愛子以上のものはこの世に無いだろうな」

 日下は、それに拘泥するなと言うだろう。

 それでも俺は、「何故」を考えてしまう。

 何故、どうして、大勢の死を手段とする計画を、実行に移してしまったのか。


 俺が出した答えは、愛子だった。

 

 優子は、愛子との生涯の為に、折衷案を用意していた。


 優子の理想と、愛子の願望と、その落としどころ。


「違います!全て私がやったことです!優子は関係ない!全て、全て…!」

 湯田さんが半狂乱になって、こちらへ駆け寄ろうとする。

 日下と彩戸が、ひとにらみで制止する。

 この場で最大の脅威二つから、彼女が目を離せる由もなし。

「何を…、一体、途直優子は何をした…!?」

「優子の試みは、物心付いた時には始まっていた可能性すらある。彼女は、自分と愛子の幸せを、それを阻み得る者から守る為に、周囲を味方に、と言うよりも手駒に改造していた」

 

 優子はよく、他人に甘える少女だった。

 「貴方にしか頼めない」「頼りにしている」「期待している」「貴方だから」「私達だけの秘密」「私達は友達だから」「私は——」


——あなたを信じている。


 だから、


——


「Blue Whale Challenge。あれは小さな頼み事に特別感を与え、秘密の世界を共有するような感覚を抱かせ、そこに生じる神秘によって、人を動かす技術だった。そこでは段階的に頼み事を困難にしていく事で、心のたがを丁寧に少しずつ外していくという手順を踏む。最後には死すら、『ちょっとした頼み』と同じ抵抗感しかなくなる。優子がこれを知っていたとは思えないから、自力でその方法を導き出したのだろう。天性と努力の集積の上で」


 或いはもっと単純に、「パブロフの犬方式」でもいいだろう。

 優子が「ある特定の言葉フレーズ」を口にすれば、要求への抵抗が下がるといったような刷り込み。時間さえかければ、誰でも可能ではある。


 優子の「お願い」は、最初はなんてことの無いものだった気がする。

 「部屋に何かを取りに行って欲しい」「お茶を入れて欲しい」「秘密を一つ教えて欲しい」「ある事を調べて欲しい」……

 その言葉で相手を“特別”にし、果たした者は過剰に承認してやる。

 それだけのこと。

 ちょっとしたテクニック。

 だが今や、俺は彼女の「お願い」で、夜持の事件に戻って来ていた。あれ程忌避していた惨殺事件、日下という人物の怪しさを呑み込み、自分に最悪の苦痛を強いて、それでも積極的に関わろうとしたのは、正義感でも義務感でも、してや友情の為ではなく、


 優子に言われたからではなかったか?


 俺が逃げずにいた最大の原因は、彼女だった。


 日下に夜持の名前を出された時に、俺が最初に思い浮かべたのは、あの日の優子の声だった。

 それが俺を、突き動かした。

 優子の呪いが、今更効いてきたのだ。


「湯田さんも同じだ。彼女も最初、ちょっとした我儘を内緒で聞いてあげる、その程度だったのだろう。いつもみんなに優しく真面目な、そんな優子のまれな願い事、どうせなら叶えようと思った。それが重なって何時の間にやら、『優子の願いを叶えなければ』、そんな想いに囚われた奴隷だ。湯田さんは特別子ども達に対しての加害者意識があったことで、それを最大限利用され、最も忠実な兵隊となってしまった。優子は、それぞれの人間と秘密の世界を共有し、そこに閉じ込めることで人を誘導する。それが、彼女の積み上げてきた成果だ」


 役を背負わせ演者へと変え、脚本通りに歌って踊らせ。


 ただし、彼女はみんなに言った。「貴方こそが主役である」と。


 そう言ってやれば、皆が彼女に従ったのだ。

 自由意志だと胸を張って。


「人は、自分で決めたと思っていても、大抵は周囲の環境によって道が決められている。私達は、他者無しには生きられないということか」

 十七夜月博士が、分かったような口を利いている。

 俺は無視して、審問を続ける。

「優子にとっての愛子は、なんだった?家族か?愛する人か?それとも——」




「私自身よ」




 優子は、笑っていた。

 この限りなく悪い状況に反し、表情は恍惚としてなまめかしかった。

 破裂しそうな興奮を抑えるように、両のかいなで己が身体を、身を捩りながら抱きしめる。


「私と愛ちゃんは、同じ日に生まれ、同じ顔をして、同じ場所で生きて、同じ事をして、同じ物を好きになって、ずっと、ずぅぅぅぅぅっと一緒。そしていつか、同じ場所で死ぬの。満ち足りた、完全な幸福」

 

 詰まりは、それが彼女の理想。

 実現したかった最高の景色。

 その手段となり得るからこそ、彼女は傀儡を増やしていった。

「なる。一人であるのに、他者に見られる。その逆説のもう一つの解法。我々サンシが実現できなかったものか…」

 十七夜月博士が、断念した可能性。


 二人の人間が、一人になること。


「だがそんなことは、飽く迄夢に過ぎないと分かっていただろ?愛子はやがて、お前の知らない何処かで、お前に見えない何かを見つけ、それを自分の大切な一部とする。自分の中身を繋げ、共有する。そうなったら、もう彼女はお前とは完全に別人だ」

「そう。私は分かってた。周りの人をいい様に使えるようになって、湯田さんからあの施設の、この街の真の目的を知って。それでも、愛ちゃんが離れて行くのは止められない。愛ちゃんの一挙手一投足を思うように操ったら、結局単なる一人ぼっちになる。人形遊びと変わらない。だから私は、愛ちゃんの自由だけは奪えない。そして、そんな状態の人間は誰であれ、他人と同じにはならない。その悲観は、愛ちゃんが行人にいさんに恋をして、現実となった。私は、一生何かが欠けたままで生きていく、それを覚悟した。だけど——」


 湯田さんから、吟遊の新たな実験の始動を聞いた。


 人の幸福を、ほしいままに出来る方法を知った。


 優子の中で、全てが一本に繋がってしまった。


 日下は、人が人を殺す理由は、「それが可能だった」に集約されると言った。


 そう、優子は手段を手に入れてしまった。

 途直愛子を一つで完結させ、それを優子が取り込むことで統合する。


 満たされた者が、一人と一人。


 彼女達を「ふたり」にする道筋。

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