21

※※※※

追ってくる


じきに

奴らが来る


学校は駄目だった


あいつはそこでは現れなかった


遠くに行く時間は無い

置き去りにする気も毛頭ない

これからずっと

いつも一緒に


時間がない

考えろ


最初に感じたのは


見られていること


何が原因か

どうやって再現するか

足りないものとは

補うべきものとは

それを特定し

今すぐに手に入れて——


待て


」?


見られる側は


見ることができない


だからあんなにも


怯えていたのだ


僕らは常に


何かが欠けている


そうか


逆だ


欠けているから


分かったんだ


それが特別だったのは


僕が不完全だったからだ

※※※※




「彼は鬼をのです」



 日下が一言で矛盾する。

 見えないからこその“鬼”だった筈だ。

 それがどういう状況なのか、しかし俺にはもう理解できる。

 

「夜持行人という人物を語る上で、欠かせないものが、その出生についてです」

 

 夜持の「出生」。あいつは、あの施設に捨てられていた。 

 他でもない、あの実験場に。


「彼の“友人”やご遺族の証言によると、『捨てられた』という事実が、大きく重い影を落としていたようです。自己肯定感がかなり低く、何をやっても熱中できない、どんな功績も『成功』であると思えない。自身を理解し、必要とする存在は、どこにもいない。そんな孤独な絶望の中に居ました」

 

 「友人」の部分に含みがあるのは、まあ、俺の事を指しているからなのだろう。

 夜持を理解しなかった、ひとりぼっちを埋めようとすらしなかった、哀れな自己中野郎の事を。


「そんな彼にも転機が訪れます。いつからかは分からないけれど、誰かに見られている感覚がある。そんな違和感を抱き始めるのです」


「そして少年は救われた。サンシの仮説は証明されたのだ」


 十七夜月博士が口を挟み込んで来る。この博士、どうやら本当に空気を読む気が無いらしく、ブチギレ状態の日下に対して、何の気後きおくれも見せようとしない。

 日下は日下で「ハッ」と嘲笑い、いっそ憐んでいるようにすら見える。

「救ったのは貴方ではありませんよ。貴方の研究は一要素に過ぎなかった。本質は、彼が神暮山で見たものです」

「神暮山で?まさか、“拝殿”か?」

「そう、彼が先輩と共に神暮山に行ったのは、2012年の4月。その時既に、吟遊は動いていたのでしょう。世に死と災厄の話が溢れ、彼岸との距離が近くなっていた時期に、実験によって不条理な感覚に苛まれていた彼が、そこで答えを見つけた。それがそのまま“救い”となりました」

 夜持が見つけた?

「何があったんだ?」

「貴方も見たでしょう?『何もない』、それが答えです。カモフラージュのヒトガタ以外、何も置いていなかった。そこに、姿形を持った何かは居なかった。だからこそ、夜持さんは納得した」

 あの場所は、元々「土地そのもの」という、広大過ぎて視覚で捉えきれないものを祀っていた。やがて、姿を模ることを禁じられた、全能者の信仰の場所となる。あの場所の「空っぽ」は、そういった意味を持つ。


 目に見えない者こそが、真にとうときものである。


「まさか」

「そうです。彼はそこで“感得”してしまったのです。自分を見守り、理解してくれる“神様”を」


 見えない何かが、輪郭を伴った依存対象になったと言うのか。

 神や妖怪とは「分からないもの」を説明し、恐怖を克服する為の仕掛けだと日下は言った。夜持にとって、常日頃纏わりつく視線の主は、「優しいお天道様」であることが望ましかった。

 結果、怖気が勇気となった。



 サンシの理想が、実現した。



「自身を正しく評価してくれる他者。決して自分から離れる心配がないヒト。彼は夜毎に外出を繰り返し、日増しに前向きさを獲得していったと言います。見えづらい、見えない暗がりであれば、新たに像を結ぶのは簡単です。自分を慰めてくれる存在との逢引は、その時間帯が相応しかった」


 それが、それこそが“鬼”の——


——“透明人間”の正体か。


 丹畝が土壌を作り、サンシと吟遊が種を蒔き・育て、夜持が咲かせた合作。

 

 夜持行人にしか見えない、夜持行人のみを見守り、完全に理解してくれる誰か。それは、ある意味理想の友人、または恋人である。


 ただし、そこに現れたのは、絶対者だ。

 人をコントロールする吟遊にとって、それは失敗である。

 自分達とは異なる秩序が、個人の内側に生成されたのだ。

 

「吟遊の予想では、自分が見られていることを積極的に話す人間は、『存在しない』と考えていたのでしょう。狂人のそしりを免れる為、監視を逃れようと周囲が離れていくのを避ける為、誰しもが持つ後ろめたさを隠す為…。しかしながら、夜持さんはそうではなかった。人前でも構わず“それ”に話し掛け、愛子さんを始めとするご家族から心配されていたくらいです。自分がどう思われようと、そこにいる者を『存在しない』ように振舞いたくなかった。他の『目に見える』物と、同じように扱いたかった。自らの産物への愛と思い遣りとも言えますし、自己の世界を壊したくないだけのエゴイストと捉えることもできます」


 夜持は、遁走を良しとしなかった。世間からズレてしまう覚悟を決め、自分の世界を表明した。

 自ら彼岸の住人へ、変わってしまうことを選んだ。


 千引の岩を、踏み越えた。

 または、自分で動かしたのだ。


「もっと言えば、彼はその『誰かさん』を他の人間にも知覚して欲しかったようです。そうすることで、存在の不安定さを解消しようともしていた。それは観測されることで成り立っているのだから、より多くの人に見てもらいたかった。信じてもらいたかったのでしょう」

 単に奔放だというだけでは、その決断には至れないだろう。

 少し前の俺なら、「イカレ野郎」で済ませようとしていたのだろうか。


今の俺には。

その行動の重さに、向き合うしかなくなった俺には——


——ああ夜持。お前格好いいじゃねえか…。


「良くないッスねえ、本当に」

 彩戸はどうやら、そうは思わないらしい。


「無い物は無い。現実と向き合うことが強さッスよ」

「あなた方は全てが明るみに出ることに怯えていただけでしょう。何を偉そうに」

 日下は益々軽蔑を深め、彩戸はどこ吹く風である。

 こんな状況でなければ、この二人の怒気だけで、大事件だと思えそうだ。

「本当に愚かしい!高尚な理想よりも安定した腐敗か!皆、私の邪魔をしないでくれるかね!?」

 なんと、十七夜月が横槍を入れて来た。どうやらこちらもご立腹だ。何故こいつがここで爆発する?

「日下探偵!君も分かっているならもういいだろう!私は正しいことをした!彼らがそれを台無しにした!ああ残念だ!いきどおろしい!」

「口を慎みなさい。そして、恥を知りなさい。職務を果たした吟遊と比べ、貴方はより最悪です。自らに課した筈の責務を、我が身可愛さに放棄して、それで糾弾する側に回れると思っている」


 日下は微動だにしなかった。

 だのに、振り返ったように感じた。その気配だけで、十七夜月を釘付けにした。


「何を…?私は、あの少年を、救ったぞ…?サンシは、間違っていなかった!」

「傍観する側から見るのなら、確かに一度事態を挽回すればそれで済む。『それからも幸せに暮らしましたとさ』です。けれど、そこで終わってくれないのが“生きる”ということです。幸福を維持すること程難しいことはありません。特に、どうやって手に入れたのか分からない幸福は。貴方は『人を幸せにする』と言いながら、何の説明も無く手段を与えるだけ。その維持に関しては一切考えていない」

「当然だろう。医術というのは、人の回復を促進するわざである。操り人形のように指令をなぞらせるのではなく、自身で育むものこそが幸福!」

「それが、吟遊の“治療”を止めなかったことの言い訳ですか?」


 十七夜月が一歩、下がった。


 無意識だろう。顔に「正鵠」と書いてある。


「貴方が、彼の『幸せ』を守れる唯一の人間だった。彼の症状を抑え、実験の痕跡を消し去り、全てをリセットする。吟遊の方針はそういったものだったのでしょう。貴方には承服しかねることだった筈。本当に彼に幸せになって欲しかったのなら尚更。

 実際にはどうです?自身の好奇心、いいえ、野心でしょうか?それを満たす為に夜持さんを切り捨てた。巻き込んでおいて、責任を放り投げた!その結果、夜持さんは『幸福』を奪われることになりました。実験結果を検証もせず、患者を完治させず、研究としても医療としてもあまりに中途半端。貴方の唱えるお題目が、全て建前である証拠です。


 ただ玩具が欲しいだけならそう言ってください!」


 ぴしゃり。


——

 そう思った。

 今、融和も反撃も閉ざされた。


 二人の間で、勝負がついた。


 そして日下は、先を続ける。

 これでもう、彼女の独壇場だ。


「夜持さんに余計なことをして欲しくない吟遊は、彼を捕らえ、元の状態に戻そうとします。彼が住む場所、関わる人、通っている学校、全て手の内です。捜査機関にも根を回せる。行方不明扱いで大して調べさせず、彼には『今感じているそれは病気なんだ』とでも言ってその内視を“治療”し、ほとぼりが冷めたら夜持さんを日常に戻す。そうして全て元通り。難しいことではありません。そしてそのプランは、一度成功した、ように見せかけられた」

「見せかけ?」

「その話はもう少し後として、とにかく彼は治った状態を良しとしなかった。そうなることを危険視して、暗示や拷問まがいの方法で、彼の記憶に蓋をし、忘れさせようとするくらいのことは試みたでしょう」

「そんな、記憶を操るようなことが出来るのか?」

 俺の、怯えとも言える疑問に対し、

「先輩、お忘れですか?」

 日下は、忌むべき逸話を返す。

「“Blueブルー Whaleホェール Challengeチャレンジ”。人の思考と行動に、都合の良い指向性を持たせる技術。そんなもの、既に確立しているんです」

 ただ、課題を潰していく。

 それだけの気軽さで、死線を超えさせる。

 千引の岩の、向こう側へ。

 そんなことを、可能としてしまう。

「もっと卑近な例で言えば、自己啓発セミナーなどでの、全否定からの全肯定の流れ、でしょうか。これだって、人の感じ方、それまでその人の記憶が持っていた意味を組み替える手法、と言うこともできます。更に原始的なものなら、パブロフの犬方式でもいいでしょう。都合の悪い記憶を想起すると、同時に苦痛も呼び覚まされる。その状態へと“調教”することで、防衛本能によって、その事柄を思い出せなくなります。暗宮進次もまた、その可能性については言及していたでしょう?」

「そ、そんな」

 そんなことが、許されていいのか。

 それが、夜持の身に降りかかったとしたら。

 これまでの積み重ねが、無に帰するだけではない。

 最愛の人の記憶に縋ることが、生きながらにしての責め苦へと変わってしまう。


 最後の希望すら、許されないのか。


「彼らは、“治療”によって問題が解消されると確信していました。が、その成否を報告する立場の人間が敵に回れば、吟遊は目標未達のまま、夜持さんの拘束を解いてしまう」

「それはつまり、夜持への治療に反発した誰かが、手引きしたってことか?」

「でなければ一介の男子中学生が、国家を股にかける秘密組織を相手に逃げおおせることなどできません」


 そして、その「裏切り者」こそが——


「成程、そういうことか」

 口調が、変わった。

 見ると、鈍い光を双眸に纏った、まるで別人のような彩戸広助が立っている。

「だが理由が分からない。彼女は忠実な兵士だった。何故だ?」

 射貫くは、湯田さんの立ち姿。


 そうか、日下はこの場を、彼らの糾弾の場としても貸し与えたのか。

 「利害の一致」の意味が分かった。

 今を逃したら、彩戸は湯田さんに逃げられるかもしれない。

 警察の拘束を振り切ることが容易なのは、両者ともに同じなのだ。つまりこの後、互いに姿を消して、二度と会わないということもあり得る。それは困るんだ。

 失敗の原因を追究するためなら、ここでやるべきだ。この会話には、なんの証拠能力も無い。しらばっくれることはできる。だから今だけは日下の“真実”を認め、湯田さんに詰問しなければならない。

 逃げ道が、塞がれた。


 今この場で終わらせる。本当に、そのことだけに特化した布陣。


「湯田さんは行く先々から“記念品”を持ち帰っていました。それはつまり、『忘れないように』という意識の表出。では何を覚えておくためか?功績か、あるいは」

「罪、つまり贖罪の意識に目覚めたのか?全ては平和の為だと分かっていた筈だ」

「湯田さん!答えてください!!」

 身近な人物の二面性を暴かれ、優子すら矢も楯もたまらず畳み掛ける。


 その悲痛な叫びに背中を押されたのか——


「噂は、人の言葉は、文化です」

 

 湯田さんが語り始める。

 一歩。

 また一歩。

 前へ。

 周囲の人間の制止も聞かず、中心人物として登板する。

 日下と彩戸に、近付いていく。


「私たちは、文化を捻じ曲げる仕事をしています。けれど、それでも、未来を。この国で生きてきた人々の軌跡を、これからここで生きる人々の明日へと繋げる。その潮流を絶やさない。その為なら、悪魔に魂を売ることもできた」

 彼女は俺を通り越して、日下と共に、彩戸と向かい合う。

 彼女の目は、けれど今ここを見ていない。遠い過去か、近い未来か。存在しない何かを見ている。

「初めてこの国を出た時、それは父の同僚に連れられてでした。後から知りましたが、父は冷戦時代から世界情勢と戦ってきた、この国の見えざる兵士でした。そんな父は、私に教えたかったのだと思います。この世界が如何に情け容赦の無いものなのか。私達の“当たり前”が、どれ程の財宝よりもかけがえのない、真に価値ある物であるのか。私は地獄を見ました。力無き者達が無数に身を寄せ合い、皆で取り決めた抑止力がそれに及ばず、屍を再生産し続けるだけの景色。この国しか知らない人が、『足りているから削ろう』と言って、守る為の力を奪います。国家権力が強いだけで、まるで悪の大王のように罵ります。

 冗談じゃない。

 横暴を通せる程の絶対強者が居なければ、簡単に暴走して勝手に瓦解するクセに」

 

 暗宮進次曰く、彩戸広助は権力アレルギーを憎む勢いだったという。彼女もまた、そういった思想の持ち主だった。

 彼女が見て来た酸鼻極まる光景は、人の無力さが原因だったのだろう。

 人が人を許せないのは、弱いからだ。憎まれ、罵られ、裏切られても揺るがない、確固たる。それを持つことの困難さは、今更論ずるまでも無い。


 寄り集まって強くなった気になることはできる。だが、今度は歯止めが利かなくなる。

 彼女が見たのはそれだろう。

 死屍累々の山を登り、それでも糸に縋るカンダタのように、他人を蹴落とすことを止めはしない。蜘蛛の糸などそこには無いのに、皆が「ある」と言うのだから、自分もそれを疑ってはいけない。

 国家とは、本来そこには無い不自然なものである。

 だが、それが無い状態での集団とは、不可解な、理由なき規律と道徳を持たない寄せ集めでは、


 先鋭化の果ての絶滅、それ以外の道は無い。

 

 彼女はそう、心の底から実感したのだろう。

 実際はどうなのかは分からない。ただ、それが湯田さんの真実だった。


 だから、巷説を捏造することさえやり遂げた。

 人の噂は、口伝くちづての伝承にもなる。

 その土地の風習、習俗にも影響する。

 後世に残される、そこで生きた人々の痕跡。

 それに手を加え、踏み荒らし、利用する。

 誰かの未来を奪ってまで、自分が生まれた地を、そこに住む人々を、出来るだけ先まで生かそうとした。

 

「でも、監視されない力が暴走するということもまた、事実でした。吟遊は、国民の自由と未来を守る為の組織であった筈の彼らは、その守るべき国民を実験材料にして、彼らを都合良く、根本から変質させてしまった。日本国民でも対象となってしまうなら、いずれ全ての人間が支配対象になります。例外はありません。国内外関係なく、全てが吟遊と国のイエスマンになる。そこに未来はありません!行き止まりです!」

「罪悪感が、反抗心になった、ということですね」


 だから彼女は、彼らに最も振り回された少年に、自由を与えた。

 心身を弄ばれ、そこに救いを見出した途端取り上げられた。そんな夜持に、幸せになる機会を与えたかった。


「夜持さんは、解放されたと同時に、神を、或いは友を、想い人を、探したでしょう。もう見えなくなってしまったそれを」

 

  どこだ

  どこだ

  どこにいる

  あいつはどこに

  どこに行けば


「諦めることもできたでしょう。リスクも痛みも伴わない選択。『忘れる』という逃げ道」


  手遅れなのだろうか

  諦めるべきなのだろうか

  奴らが言ったように

  皆が言うように


「しかし彼は、それを選ばなかった。探し続けた。そして、方法を思いついた」


  いや、もともと見えてなかったのだ


  そうだ、そもそも見ていた訳ではなかったのだ。


  この世界は青くなかった

 

 その“見せかけ”に包まれていると、「見ている」間は気付けなかった。

 そのヴェールの先は、結局「見えない」ことでしか感じられなかった。


 それは最初見えなかった。

 だから夜持は、それに気付けた。


  ならば探し方は自ずと分かる


——そうか。


  きっと会える


——夜持は


  必ず見つける


——また会う為に


  あいつが待っているのだから


 孤独になってしまったであろう、


 自分の神様の為に。



「彼は、


 完全に、ようにするために」



 夜持、


 お前は本当に、


 凄いヤツだなあ…。

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