15上

※※※※


  むかあしむかし


  ある山に


  かみさまが住んでいたそうな


  そのかみさまは優しい方で


  飢える人には黄金を与え


  怯える人は清流で守り


  悩める人には吐露の場を設けた


  やがてこの地に住む人々が


  支えが要らない程栄えた頃に


  役目を終えたかみさまは


  そのまま山で眠りについた


  もしまた生きるしるべが必要なら


  この山にある温もりを探しなさい


  わたしはそこで待っている


  最後にそう言い残して



…なんだこれは?


昔話?

何故こんなものを?

僕が調べたのか?


僕は


何を探していたんだ?

※※※※

 



「見えねえ鬼とやらが、羨ましくなるな」


 遅々として進まない道行きの途上、俺は堪らず弱音を吐いた。

 息を殺しながら急ぎの追跡、それが想像以上に苦しい。

 案の定、日下からは返答は無い。ただ眉間に皺を寄せ、瞳は「声を出すな」と雄弁に語る。

 山中だからか、曇天だからか、芯まで冷える寒さと鬱々とした暗さ。直上に在るはずの昼間の太陽は、全く仕事をしてくれていない。

 身を低くしながら木々を経由し、人が通ったその後を追う。

 もう既に、痕跡など探していない。

 その必要がないからだ。

 震える煌めきが帯となって、進む先を教えてくれる。

 

 そう、俺達は今、“鬼火”を直接追いかけている。


 遠目でもはっきり見える目印。それを利用せずにいる手は無い。

 まあ普通に考えて、あれは松明か発煙筒といった何かだ。幽霊や鬼の謎パワーではない。

 ただし、人が多数移動している証左ではある。更に、彼らはいきり立っている。

 戦闘、しているのである。

 

 とは言いつつも一方的。見た感じは多勢に無勢。火が探す側で、他方は隠れる。

 

 それらの後ろから、俺達が忍び寄る。

 つまり、警戒態勢の彼らに接近しているのだ。

 ただでさえ危険な道なき山道。加えて見つけ次第襲い掛かる集団。

 言うまでもなく無謀だ。もう戻るべきだろう。

 居場所は分かった。この事態には事件性もある。

 戻って警察に頼るべき退き際だ。


「おい、もういいだろ。早く逃げるぞ」

「先輩はそうして頂いて構いませんよ」

「冗談こいてる場合か!」

「まだ警察組織のどこまでが信用できる捜査機関なのか分かっていません。私達が直接情報を手に入れるしかないんです。それに、彼らは不可逆的な凶行に至っています。すくんで隠れていた者達が、最早形振なりふり構っていません。今なんとかしないと、手遅れになるかもしれないんです」

「手遅れって、何が!?」

「分かりません。ですが、私は悔いの残る選択をしたくはありません。間違えたとしても、自身の在り方に胸を張るために」


 そう言った日下真見は、屈んだ体勢であるというのに、すらりと伸びる柳枝りゅうしの如く、そんな真っ直ぐさと美麗さを感じさせた。


 俺には、眩し過ぎて直視出来なかった。


 何故こいつは、こんなにも強く在れるのだろう。

 命の危機に瀕しながら、一切の逃げ道を自ら捨てる。

 真正面から立ち向かい、如何なる困難も粉砕する。

 矜持を通しながら生き残る、そんな無茶を通せるように見えてしまう。

 力無き者が言えば青い理想だが、彼女が言えば規定事実だ。


 だったら、俺はどうする?


 こいつの目の前で、俺は——


「そ、それで?」

——ああ、もう、怖えなこれ…………うぅ…

「どこに向かうんだよ?何をシュシ…阻止すればいい?」

 引き攣った笑顔で聞いてみる。

 なんなら途中で盛大に噛んだ。

 みっともないったらありゃしない。


 俺は付いて行くことに決めた。

 恥や外聞なのか勇気なのか、それは自分でも分からない。

 ただこの探偵を、見捨てたくなかった。

 「見捨てる」というのが、また傲慢な考えかもしれないが。


 日下は一瞬意外そうな顔を見せたが、「邪魔はしないで下さい」と言って、いつもの仏頂面に戻る。

「彼らの拠点がどこにあるかを突き止めたいです。動きの流れを探り、その源流や行先を辿り、そこに居るであろう指導者を探します。運が良ければ目的も看破できます」

 俺達はそのために、炎の軌跡を追いかけまわす。

 

 距離は一定でないといけない。

 近過ぎると勘付かれ、離れると道筋をロストする。

 あれだけの人数、音でバレることはないが、ふと気まぐれを起こし振り返ってみる、そんな人間が出てもおかしくはない。たった一度の小さな不運で、目と目が合ったら絶望的だ。


 派手な移動なため、それ自体は見失わないが、距離を離されてしまった際に、焦って一気に詰めようとして、うっかり転がり落ちるのもあり得る。彼らの通った安全な道を、そっとなぞるしかあるまい。

 

 その群衆は、三々五々散っているように見えて、全体で見れば本流は二つ。

 一つは低い場所や植物の密生地に流れ込み、何かを血眼になって捜索している。

 もう一つは高所へと遡り、徐々に集合し大きくなっていく。

 俺達の本命は上に向かっている方だ。

 だが、何時下側の連中が引き返してくるかも分からない。

 

 これは、賭けになる。

 だが俺達は、既に無茶をすることで合意していた。

 声が出せない為、お互いの目線を交わし、どちらからともなく忍び足で、遡上する側へと接近していく。


 鼓動が五月蠅い。

 足音や衣擦れが煩わしい。

 あらゆる音を立てた側から、その分寿命が削れていく。

 前方の一団は、脇目も振らず登っていく。

 何かに遅れるまいとしているかのように。

 来ている服は、各々の店舗の制服だろうか。

 手には工具や農具、刺股などなど。どこで手に入れたのか、皆松明を掲げている。わざわざ人数分、作ったのだろうか?

 声は聞こえない。

 皆声を発することすら忘れて、ただ黙々と登っていく。

 一人一人のスピードが異なるため、全体で歩調を合わせるのに苦心しているようだ。だからこそ、俺達が付いていける。


——いいぞ…そのまま…頼む…気付くな…


 慎重に、一歩前へ。

 足元で、枯れ枝が、乾いた音を出して折れ。

「いたぞ!」

——見つかった!?


 咄嗟に走り出そうとする俺の襟首を、日下が掴み引きずり倒す。

 「動くな」ということだろう。

 見ると、彼らが指すのは別の方角。進行方向右手、地形的に高くなっている場所。

 

 そこに、立っていた。

 何が?と問われれば、何かが、としか返せない。


 人間では、あるのだろう。

 身長は目測で175以上ある。体格からして恐らく男。マルチカムパターンの服の上に草や泥を付け目立たなくしている、乃ちギリースーツを身に纏っている。

 ガスマスクで顔を覆い、右手に持っているものを頭上へ掲げる。


 音。


 それが鳴るだけで人の心を搔き乱す、死を予感させる短く鋭い振動。

 近くの樹木の表面が爆ぜ、取り巻く人々が萎縮する。


 あれは、拳銃か。


 しかしここで発砲とは、血迷ったのか?威嚇射撃とはまた悠長な。

 不思議に思っていたら、隣の様子がおかしい。

「日下?」

 彼女の顔がさっきまでよりも、更に険しくなっているように見えた。

「…嫌な予感がします。先輩、念の為走る準備と覚悟を——」

 走った。

 迷彩男が。

 地を蹴って、傾斜を転がるように駆ける。

 その方向が問題だった。

 そいつはよりにもよって——


——!?


「先輩!!」

 日下に呼ばれるまでもなく回れ右である。

 これは駄目だ。かなりマズい。あの数の人間がこちらに押し寄せれば、まず間違いなく見つかるだろう。今丁度、俺達は遮蔽物があまりない場所にいる。恐らく何人かは既に気付いている。まったく、ベストなタイミングである。

 そしてむしろ、気付かれなかった方がもっと悪い。上から勢いをつけて駆け寄ってくる群衆は、そのまま止まることなく俺達を踏み潰すだろう。今わの際の光景が、誰かの靴裏とは笑えない。そもそも、彼らは止まれるのだろうか?どっちにしても、俺達は下敷きになるのだが。


 走り出した俺達の右横を、ギリースーツが悠然と通りすがっていく。そちらに目をると、右手でしっかり敬礼した後、その手をこちらに向けて振ってきた。

——コイツ…!

 道理で間が悪いわけだ。分かっててやってやがった。こいつは俺達に押し付けるつもりだ。この場に溢れる波の全てを。

 そしてこいつ自身は、「がんばれよ」と無責任に激励した後、これをやり過ごして自由の身だ。

 

 脚部にかかる負荷を無視して、下へ下へと駆け降りる。

 もつれそうな足を無理矢理前へ。

 捨てられる荷物は全て放棄する。

 日下のことは気にかけることすらできない。

 

 背後から地鳴りが響く。

 轟々と大気が震える。

 号令が聞こえている筈だ。

 奴らには知性があり、連帯しているのだから。

 

 だが、俺にはそれが人の声とは思えない。

 

 まるで、この山自体が怪物であり、俺達を逃さんと唸っているような。


 これか?


 俺をずっと追いかけていたのは、見続けていたのは、この山だったのか?


 ここまで、おびき寄せてたってことか?


——こんな山の中に居ても、逃げられないって言うのか?


 違う!

 やめろ。

 余計な事を考えてはいけない。

 今はただ、逃げるしかない。

 肺に冷たい空気が溜まり、今にも張り裂けてしまいそうで。足はいつ踏み外すか分からない。

 山は、登りよりも下りの方が、足に負担がかかる。

 事実俺は今、腰まで砕けそうなくらいだ。

 走ると言うより滑り落ちている。

 それでも足を止めてはいけない。

 しかしその足元がグラつく。

 自分と地面の境界が曖昧だ。

 汚泥に塗れ大地と溶け合う。

 駆ける感触など望むべくもない。

 これは俺が震えているだけか。それとも巨獣の身震いだろうか。

 周囲の地形が不定形にうねり、俺達の逃げ道を塞いでいく。

 逃げる?どこに逃げるというのか。

 走っても走っても意味が無い。

 下には捜索隊もいるのだ。

 俺達が進む先は、更なる危険のど真ん中だ。

 此処の、この場所の全てが敵なのだ。

 追いつかれる。

——

 取り囲まれる。

 何より、俺は見られている。


 ごうん


 ゴウンと、


 喉を鳴らして。


 山が、俺たちを——


「先輩、前を」

 前方にあかり。

 とうとう来た。

 来てしまった。

 挟まれた。

 俺達はハムとチーズだ。

 もうじきサンドイッチが出来上がる。

 巨大な怪物が平らげてしまう。

「もうダメだッ!やっぱり来るんじゃなかったぁ!!」

 万事休す。頭を抱えてうずくまる寸前、


「先輩?何を言っているんです?しっかり前を見てください。こんな時まで寝惚ねぼけていられるのには感心しますが」


 その言葉で、ドロリと粘性の空気が、一転して引き締められる。

 何の話か分からず、目を凝らす。

「どうやら、助かる算段が見えてきました」

 進行方向に草藪がある。大木がある。その奥には増えていく灯。だが、それだけだ。日下が何を言っているのか分からない。

「どうするってんだ!?上に跳ぶって言うのか!?前からも来たせいでそこしか逃げ場は無いぞ!?」

「上?何を言っているんですか先輩。逆ですよ。私達が目指すべきは下です」

——下?

「それに先輩、『せいで』ではなく『お蔭で』です。下の彼らが間に合ったお蔭で、この場を切り抜けられます。ただ、少し時機を調整する必要がありますが」

 そう言って日下は、急制動をかけたかと思うと——

 

 前方に迫る集団、その先頭の人間に前蹴りを食らわせた。


 反撃してくるとは思っていなかったのか、大げさに仰け反り、後ろに倒れ込む。当然、後列の者も巻き込まれる。その様を見て全体が怯む。前進速度が明らかに鈍くなる。

 日下は先頭集団目掛けて突っ込み、膝、鳩尾、股間、顎といった急所へと次々に蹴撃しゅうげきを入れていく。

 その脚はまるで、一個の命を持った蛇のように。

 強く、しなやかで華麗。

 その様はまるで、抜けば玉散る名刀のように。

 冷たく、鋭く流麗。

 高所を取って、挑みかかる。

 かと思えば、懐に低く潜り込む。

 反応させず、一方的に。

 獅子奮迅といった活躍で、たった一人で数十人を相手取る。

 時々「先輩邪魔です!」「もっと小さくなってて下さい!」等と言いながら、縦横無尽に八面六臂。


 だが、それも時間稼ぎに過ぎない。包囲網はじわりじわりと狭まっていく。逃げ場も突破口も無い。


 どうするつもりだ?俺はどうすれば?考えている間にも、締め付けはきつくなり、人の壁が迫り。

 遂に、上から降りて来た流れに追いつかれる。

 俺は、未だ動けない。

 手足どころか、息すら止まる。

 日下はというと、ひょいと後ろを振り返り——


 すぐ背後まで迫っていた一人の足を払い、前方の集団へ突っ込ませた。

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