12

****

みつけた


みつけた


とうとう

見つけた


そうだ


もうすぐ安寧の中に


闕如けつじょなく全てが並んで揃い


全て一からやり直せる


いいや

以前より上手くやる


まずはあいつ


あいつには報いを


それが済めば


幸福がここに


すぐそこまで


あお


覚めるような青


いつもそこにいたのに


もっと早く気付いていれば


でも


もう失わない


だから


心配ないから


安心して

いいから

****




「透明人間を作った企業に殴り込みか」



 口に出してみても、浮ついた印象が拭えない。

 どうにも間抜けだ。複雑怪奇な事態にそぐわない。

 張り詰めていた緊張感が削がれ、自分が見当違いのことをやっているように思えてしまう。


 「透明人間を作る」だなんて、嗤い捨ててやるのが正解だ。

 

 けれど暗宮進次はここに来た。


 相手にするには巨大に過ぎる。

 敵視するには曖昧で。

 軽視するには重い存在。


 サンシ製薬。

 その本社。

 時刻は午後6時30分。

 同県真櫂まがい慧瀨えせに存在する、巨獣の心臓、秘め事の牙城。


 ここに棲むともがら共に用がある。警察組織と繋がっていた、神をも畏れぬ臆病な不正者。

 捜査メモと“お守り”を持って、今こそ一線を越えその先へ行かん。


 どこを揺さぶるべきか、そういった加減も体得している。

 雑兵は肝心の情報を知らず、経営陣は力も失うものも大き過ぎる。


 研究者。


 できれば責任者、プロジェクトリーダークラス。

 内部に精通しているが、さりとてお抱え、外様の食客。

当人自体の基盤は脆い。


 権威権力に無条件で迎合する小心者、人の痛みや哀しみに敏感なお人好しなら尚のこと望ましい。


 罪を抱えるリスクが分かる、賢明な人物が一番の理想。


「あの時の感覚だと、一番崩れそうなやつは…」

 本社への奇襲計画は、3年前からアイディアとして。

 実行する日のその備えとして、社員の身辺は調査済み。

 

 年齢・経歴・性格・家族・友人・恋人とにかく全て。

 

 材料になりそうな情報群。

 武器として使える隙の集積。


 捜査メモの名前を手繰り、なぞった指が止まった名前。

「こいつだ」

 運が無かった今回の当選者は、こちらの新薬考案部マネージャー。

 顔は全員確認している。当時のそれならまだ記憶にある。


 紀伊きいともす


 今年41の青瓢箪。隙も弱みもてんこ盛り。

 脅迫しつつ、やましさを煽る。

 その手順で敏速に落とす。

 

 夕刻まで待った甲斐あって、目的の人物がビルから出て来る。


 草臥れた鼠色のスーツと、紺と白のストライプ柄ネクタイ。

 縦に長い顔と横に細い目鼻口。

 髪は七三に固めてある。


 無気力で貧相。そんな印象。


 押しも押されぬ大企業の、仮にも責任者。

 であるにも関わらず、気の抜けた定時退社。

 暗宮が張る時はいつもそう。

 そもそも開発部と統合されてない、「考案部」なるものが既にお笑い種。

 コネでしがみついているだけで、大した戦力と見なされていないというのは、どうやら本当だったらしい。


——いいじゃねえか。好都合だ。ダメ人間万歳。


 どうやらツキには、まだ見放されてない。

 暗宮はそう勢いづき、紀伊の後を追う。


 通勤の経路は下調べ済、その途上にある場所についても。

 

 どこなら人目につかないかだって、当然の如く押さえている。


 目標地点に到達。

 行動を開始。

 足音を踏み殺し、背後に張り付く。

 首に手を回し、血管を押さえ、口を布で塞ぐ。

 えいと腕に力を込め、グイと暗がりに引きずり込む。


「いいか?余計な音を出すな、呼吸すら最小限しか許さん。こっちはお前の動脈を握ってる」


 低くザラついた声。

 呻き声さえ許さない。

 大人しくさせる要領なんて、当たり前に掴んでいる。

 ここは未だ前段階。余計な時間は使わない。

 幸い、紀伊は極めて静かで従順だった。

 暴力と恐怖で支配できるという、暗宮の見立ては正しかった。


——こいつなら、聞き出せる。

 

「よし、これからお前に質問をする。お前はそいつに答える。簡単だろ?ああ、余計な事言ったら、最低でも医者にお世話になることになるぜ。」

 コクコクと頷く紀伊。

 上下運動だけでなく、左右の震えも混じっている。

 首尾よく脅かせているようだ。

「じゃあ一つ目。お前らの企業が今一番力を入れているプロジェクトと、その指揮を執っている奴は?」

 そっと布を口から離す。

 紀伊が発するは細い囁き。

 不意打ちで逃げ出そうという度胸も無い。

「さ、流石に要求が大き過ぎないか?喋った事がバレたら、いくら私でも居場所が無い。産業スパイじゃあないか」

 どうやら、臆病過ぎて行動が起こせないと見える。


 だが、そんなことは既に織り込み済み。


「ああ、紀伊点さんよ。一つ言っとくが、俺には協力者がいる。俺からの合図があるか、もしくは俺が危機に陥った時点で、とある写真をおたくの会社と週刊誌、お前のご自宅まで郵送する手筈だ」

「わ、私にとって不利な写真など何も…」

「なんて言ったっけ…?いさ…そう諌浪江なみえさんだったか」

 思わず息を吞み込んでしまったのが、文字通り手に取るように分かる。

 こいつにはリスクを自覚させる。


 隠し続ければより痛い目を見ると。


 諌浪江は紀伊の部下だった女である。

 写真の中の彼女は、乳白色のチェスターコートを着て、化粧も頑張っているようだが、生来の地味さは隠せていない。ヘアアクセサリーも野暮ったく、黄色の花——好きなのだろうか?——を模ったものである。無理なお洒落は、むしろ陰気さを強調してしまっていた。

 髪型にも器量にもこれといった特徴が無く、どこかの病院で受付でもしていそうである。

 “デート”で張り切っていてこれなのだから、日頃はあまりパッとしないタイプであろう。


 紀伊点は、諌と交際していた。


 それもこの男、サンシ製薬の社長の次女と婚姻関係にある。何なら二児の父親である。


 大した色男ぶりだ。正直どうしてそこまでモテるのか分からない。


 見てくれは良くなく、性格だって最悪。

 何せ紀伊は諌を妊娠させ、関係の露見を恐れて堕胎を強要している。


 優秀な諜報員、真文提の情報である。流石は本格派フリージャーナリスト。ネタには鼻が利き、書くことが無ければ作り出し、スキャンダルはお手の物。

 話題性が無さそうであっても、アンテナに掛れば証拠は押さえる。こういう時に使えるからだ。

 もう20年近く前の話になるというのに、これまでの密会の現場どころか、医師の診断書の写しまで用意されては、暗宮も感心するしかない。守秘義務をどのようにして潜り抜けたのか。十中八九非合法であり、知りたいとは思わないが。


 いずれにせよ、諌は身を隠すため、紀伊の前からすら消えた。

 

 後に残された物と言えば、不義不倫の事実のみ。

 今暗宮に、最も必要なもの。

「さて、それじゃあ俺は相棒に連絡するかな。善意の第三者として真実を公に——」

「分かった…!分かったからそれだけはやめてくれ…!」


——よし、捕らえた。


 架空の友達も、時には現実を動かす。


——いいぞその意気。

——首尾は上々。

——さあ語ってもらおうか。



「ほらプロジェクトと頭の名前」

「先導しているのは、大方の予想通り十七夜月さ。社内で色々言われているが、正式な名前は知らない…待て携帯を取り出すな、本当なんだ!最重要機密なんだよ!」

「内容については?」

「十七夜月が言いふらしていることを纏めるなら、『他者との繋がりを実感させ、人を孤独から解放する』ことらしい。見ることや見られることを主軸に掘り下げていた。ある程度成果は上がったようで、自慢してたよ。デカいバックから、正式に予算が降りてると言ってた」

「それは…催眠術の実験か何かか?」

「暗示による刷り込みも確かに行われていたようだが、メインは投薬と施術による認識の改変…いや、まあそんな大仰なものでもなかったらしい。単に薬物とカウンセリングで感覚を一部異常に活性化させる程度だそうだが…。まあ脳や受容体への挑戦に等しいから、言うほど簡単ではない。なのに奴は『順調だ』と抜かしていやがった。動物実験は既に成功しているとかなんとか」

「動物が幸せになったって、どうやったら分かるんだよ」

「単体時と群体時で行動が変わる生物だっているさ。例えば、一体だけで毛繕いをしたり、求愛行動を始めたりだ。どうせ『仲間の存在を強く感じられて安心しているんだ』とか、そういうところだろう」

「微妙に頼りにならねえ考察だ…。と言うか十七夜月は何専門なんだ。薬たって色々分野があるだろ」

「奴が以前に研究していたのは、アレルギー症状の抑制といった、免疫系に関するものだった」

「それがどうして、孤独がどうのになるんだ」

「寄生虫の研究も同時並行的に行っていたのを見るに…。ある種の寄生虫、例えばロイコクロリディウムは、死の危険を誘惑へと変換し、中間宿主が最終宿主に食べられやすいように誘導する。それと同じく、感覚の置き換えが起こったとすれば…それと関連させると…」

「………つまり?」

「私に分かるわけがないだろう!」

「ああ、そう…」

 輪郭しかなぞれないのは変わらず。

 だが中心には近づいている。その実感が暗宮にはある。


「動物実験は成功…なら次は人体実験か?」

「低俗な言い方だな。臨床試験と言いたまえ」


 臨床試験。

 人体にどのような影響が出るか。

 有害無害を見極めて、有効無効を判定する。

 だが聞いているだけで胡散臭い代物。前例のない危険な“何か”。

 どのようにしてそれを行う?

 少なくとも希望者はいなさそうだが。


 もし、だ。


 もし“材料”に困った奴らが、最悪の選択肢を選んでしまったら?


「自分と同じ何かを強く意識させるなら、逆は?」

「逆…と言うと?」


「誰か特定の人間を意識できなくするとかも可能か?」


「さあ…理論の部分を見てみないことには何とも言えん。だが、人の認識に直接干渉するような試みだ。出来たとしてもおかしくはない」

「成程な…」

「…ん?な、何だね?どうした?」


 それならば、一つの筋書きが成立する。


 まず、国だか警察だかが、オリンピックに備えて、警備の強化を画策する。

 しかし、直接的に軍事的な予算を動かせば、バッシングの的となり、どういったものか公衆の面前で説明させられる。時間がかかるし、実現できるかも怪しく、更に敵に情報を開示する危険性まである。

 そこで、武力鎮圧の前段階、「監視」の時点で制圧することを考え始める。

 相手が動く前に先手を取り、何も起こらぬ間に一件落着。

 必要な武装も人員も最低限に抑えることが出来、よって一般市民に感知されることも心配しなくていい。

 勘のいい者にはカバーストーリーを与え、納得させる。

 それこそが、「人を安心させる方法を探しています」。

 物は言いよう。

 これならストップがかかることもそうない。


 そして、その計画の具体的な内容が、透明人間を作ること。


 薬物によって、相手には特定の人物を意識できないようにする。

 その薬を、水道か何かに混ぜ、この国に住む全ての人間にその症状を適用する。

 あとはどんな情報でも、好き勝手取りたい放題だ。

 この計画は問題なく進められてきたが、最終段階で行き詰まる。

 

 人間に投薬されたらどうなるのか?

 本当に全ての人間に効果があるのか?


 それを確かめるため、人体実験の舞台として白羽の矢が立ったのが、ここ丹畝市。

 実験は見事成功し、完全犯罪が成立した。

 “透明人間”の噂を流し、不自然な出来事に理屈を用意する。

 そうして背景設定が整えられ、気付かれずに誘拐と殺人を行った。

 更に認識されないエージェントは目を潰した上で死体を——

「クソ、ダメだッ!」

「ウェッ!?」

 やはり死体が邪魔に過ぎる。

——どうして完全に隠しておかねえ?

 完全犯罪、極秘のプロジェクト。

 それならどうして大事おおごとにした?

 そもそも、効果を検証するだけならば、何も人殺しである必要がない。往来で奇行を重ねたり、目の前で物を移動させたりと穏当なやり方はいくらでも思いつく。

 リスクにリターンが見合っていない。

 エージェントが暴走した?

 力を手に入れて弾けたのか。

 それなら、事件後も商店街に圧政を敷けている理由が分からない。

 公安や極秘の部隊が、捕らえる為に目を光らせている。

 身を隠しておくだけならまだしも、神の如く振舞って、隠れるどころか目立っている。

 傲岸不遜な行いを重ね、それでいて未だに取り押さえられていないのだとすると、相当なやり手の透明人間。


——なんだそりゃ、スパイ映画か。


 暗宮は手応えを感じたものの、指の隙間から零れ落ちる感触もまた味わった。

 どうしても、どんな屁理屈であろうとも、納得のいくストーリーを成立させることが出来ない。

 かつて雷やオーロラといった、理解不能な現象を見た人々は、こんな気分だったのだろうかと、彼は逃避めいた思索にふける。


「お、おい!?なんだ、何があった!?私は必要な事は話したぞ?」

「うるせえ、少し黙れ。今考えてる」

 不安になったのか、紀伊が焦って聞いてきたが、答えてやる義理も無い。

 話しても納得できるとは思えない。正気を疑われ、むしろ不安にさせるだろう。

 言わぬが花、知らぬが仏だ。



「てめえも馬鹿だな。女一人我慢すれば、こんなことにもならなかっただろうに」

 だから暗宮は話題を変えた。

 諦めたのでなく、次の一手。

 安定した地位を脅かし、魅力的でもない女と逢瀬を重ねる。

 そこにはそいつなりに、何かしらの理由がある。

 相手の事情を聴いてやり、懐に入り、情報を引き出す。

 手の力を強め、その命がこちらの掌中にあることも思い出させる。

 一人で「良い警官」までやるというのは、中々に手間で気恥ずかしい。

 鞭の後の飴のような優しさを見せ、ストックホルム症候群に期待するしかない。

「癒しが欲しかったんだ、仕方ないだろ」

「あれか?やっぱり嫁さんは怖いものなのか?」

「…一度、私と同じ境遇に身を置いてみるといい。妻も義父母も、息子も娘も、自分より優秀で、何を言っても意見が覆る環境に」


——乗ってきた。

 しめたという感情を表に出さず、暗宮はフランクに続きを促す。


「そりゃあ、キツイなあ…常にそんななのか?」

「そうだ、あの家に私の居場所は無い。だから、浪江君は私の唯一の安らぎだった。職場では陰で嗤われ、我が家では家族に虐げられ、その日々において最後の希望だった」

 紀伊は、懐かしむような声色で伊座奈のことを語った。

 心身の疲弊に気付き、鼻つまみ者にも優しく接してくれた事。

 好きな音楽・場所・花といった他愛のない話をするだけで、一生で最も充足を感じることが出来たこと。

 彼女もまた自分に自信が無いようで、紀伊の言葉全てに初々しく反応したこと。

 そんな彼女を、少女のように可愛く思ってしまったこと。

 

 付き合い始めたのも、“行為”に至ったのも、どちらかが言い出したとかではなく、成り行き任せの勢いだったらしい。

 

 ただ、求められ、求めた。

 そこにあった引力は運命のようだったと紀伊は言うが、暗宮に言わせればただの共依存である。


 自分の価値を自分で決められないから、自らを肯定してくれる他者で代用する。そんな二人が嚙み合っただけ。よくある話で、暗宮も耳が痛い。


 暗宮もまた、自分のことを外側でしか語れない人間なのだから。


 そして。

 一時の安心と一瞬の快楽を、より長引かせようとしてしまったなら、結果は火を見るよりも明らか。


「だから、その安寧を失わないように中絶を?」

「そうだ、明るみに出して認知するにしろ、秘密裏に生んで育てる手伝いをするにしろ、私の平穏は無くなる。だから仕方のないことだ。それなのに浪江君ときたら、ようやく聞き分けたと思ったら、手術後に姿を消してしまった。あの裏切りに、私がどれだけ傷ついたことか」


 自分が安心するために、人に十字架を背負わせて、挙句自らは被害者面。

 腐っている、と暗宮は嫌悪する。

 今は相手を懐柔しているのだから、それは抑え込み隠すわけだが。


「行先に心当たりは無いのか?」

「分からない…行く当てなど無い筈だ。孤児だったから両親は居らず、友人も無く天涯孤独。『綿毛のように生きたい』が口癖だった」


——どこか知らない土地まで、風に運ばれて飛んでいくの。


 なんともメルヘンチックな願望だと暗宮は思う。

 見た目は優雅だが、実際には血で血を洗う生存競争の産物である。

 綿毛に自我があったなら、そんなに暢気な思考にはならない。

 自分の生存が許された場所へ。

 ただそれだけを、必死に祈るだろう。


「孤児院とかは?一応実家みたいなもんだし、顔を出しているかもしれないだろ?」

「言われるまでもなく考えたさ。浪江君は育ててくれた人に大変恩義を感じていたからね。そこに預けられたのが、彼女の人生で唯一の幸運だったと言っていたくらいだ。ただ私が行った時には、彼女から聞いた施設とは名前が変わっていた。恐らく一度閉鎖されて、後に再建されたのだろう」

「だがどこか遠くに行く前に、最後に寄ってみたかもしれないだろ?」

「勿論、聞いてみたいのはやまやまだったが…そこまでやったら、流石に関係が露見する。それは避けたかった。精々付近を探してみた程度だよ」


 呆れたことに、捜索活動にすら本腰を入れていない。

 流されるだけ死なないだけ、彼はそれでも満足なのか?

 

「それで?今は何て名前の施設なんだ?」

「確か、『未来の——」

 急ブレーキ音!

 彼らが居る路地の入り口に、黒い車体・スモークガラスといかにも不穏なバンが止まり、開いた側面のドアの内から覆面の集団が飛び出してきた。

 数は4。

 左右に二人ずつ展開。

 逃げ場の無い袋小路を選んだことが、この場合むしろ暗宮を追い詰める。

 僅かに前に出ていた向かって右側の二人組へ即座に紀伊を突き飛ばし隙を作る。人数不利と見るや機先を制しに行く判断。敵か味方か尋ねるなどと、悠長に試みるつもりはない。それに驚嘆したのか、全体の動きが一時鈍る。その空白時間で携帯を取り出すも「圏外?」徹底している。

 ならば効果範囲外へ逃走するまで。

 左側から距離を詰める二人組の足元にその場に打ち捨てられていたネオン看板を蹴り飛ばす。

 滑らせるようにでいい。下手に胴体や頭を狙っても、簡単に避けられる。この蹴り方なら飛び越えるか、体ごと横に逸れるか。いずれにしても減速は免れない。

 欲しいのは時間だ。

 彼らがその包囲網を完成させるまでの時間。

 暗宮が動けるタイムリミットをできるだけ先延ばしに。

 

 右側は何やら子摺こずっておりもう暫く余裕がある。

 バランスを失った人間は、最初に触れたものに必死にしがみつく。

 紀伊に抵抗の意志があろうとなかろうと、満身の力で押さえてくれるだろう。


 暗宮はそれを確認すると同時に次の行動を開始する。左側に中身の詰まった小銭入れを投げつけ動きを誘導した上で壁を突破し——

 

 右手が、


「なッ!?」

 

 見ると、紀伊に当たらなかった方の一人が、いつの間にやら至近にまで。

 大人二人分の身体と宵闇が、彼に身を隠す場所を与えた。

 相棒が復帰できないと即座に見限り、むしろそれを利用する。

 と言うより、紀伊を使った先制攻撃すら読まれていたのかもしれない。


——速ぇ…


 先んじられたのは、暗宮の方だった。

 そもそも彼らは暗宮の居場所を完璧に把握していた。

 尾行には気を付けているつもりだったが、それでも察知出来なかったのか。

 それとも暗宮の目的地など予想通りだったのか。

 最初から掌の上だったとでも言うように、暗宮は完全に読み切られていた。


——調べ上げられている?いや、俺を知っているヤツが居るのか?


 光、連続して何かが弾ける音。

 すぐさま腕から引き剝がさんと捻じり蹴りを入れ距離を離す。

——“お守り”を使うか?

 しかし、

「ぬ、ぐ…!?」

 相手は既に、行動を終えている。

 暗宮の指先が、言うことを聞かない。

 手足が、思うように動かせない。

 見れば、今引き離した敵の手に、黒く小さなリモコン大の何か。突起が二つにゴツゴツとした外装。


 スタンガン。


 相手に数万から数十万ボルトを流し込む近接武器。

 先の閃光の意味を、暗宮はようやく理解する。

 密着された時点で“詰み”だった。


 それでも力を振り絞る彼に向って無慈悲にワイヤー針が突き刺さる。

 電流が流れ麻痺が深まる。

 テーザー銃。

 撃たれた側が死ぬ危険性すらある、銃刀法で規制された兵器。

 あまりにも用意が周到に。

 ここに至って暗宮は、今度こそ動きを止めることになる。


 膝から地べたへくずおれて、全身無様に痙攣し、顔はもろにアスファルトとキス。

 右側のもう一人は紀伊を完全に押さえ込んでいる。

 当然左の連中は既に暗宮の捕縛にかかっている。


——こいつら


 慣れている。

 無力化し、誘拐し、そして——


——目でも潰すか?


 上等だ、と。そう言おうとしても叶わない。

 

 呂律どころか口が動かせない。


 そうして暗宮進次の意識は、

 

 夜より昏い黒へと堕ちる。


 その途中でほんの微かに、


 見えないところから暗宮を、


 あざける声が


 聞こえた気がした。

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