インビジブル・スカイブルー

@D-S-L

開演

0

****

寒い


いや、寒い

たしか寒かったはずだ

冷たい青に囲まれて

最早確かめることができない

その気も無い


もう分からない


分からなくなってしまった


目の前が真っ白だから

一面銀世界が見えるから

きっと空気は冷たいのだろう

手足が重いから

前も後ろも不覚だから

察するに自分は疲弊しているらしい



全て他人事


もはやどうでもいい


終わったことだ


終わってしまったんだ


何故こんなことになったのだろう


分かって欲しかった

ただそれだけなのに

そのままで居たかった

それ以外に無かったのに


どうして理解できない言葉で喋る


なんで目に入れることすらしない


ずっと傍で誰かに見られる


それがそんなに良い物か


自らの首を絞めるとるのに


見えないものだと分かっているのに


見えぬものでも触れられる

手が届かぬものでも耳には入る

聞こえぬものでも嗅ぎつけられる

匂わぬものでも味わえる


ならば

見えも触れも聞こえも嗅げも味わえもしないものは


それはなんだ


どこにあるのか


“ある”と言えるのか


分からない

解らない

わからない

わかったところでどうにもならない

それこそ



もう会うことはできないのだから



ああ、青い


あおい


……………

…………

………

……

いや

待て

おかしい

どうして



欲しいものは

ほらそこに在って

足りない

そう

足りないのだ

だから会えないと

そうだ

そうだった

でも方法がある

まだ幸せには見捨てられていない

だからまずは

探さなければ

その為には

そういえば


はどこに行った?

****




 「先輩、“鬼”を探しに行きましょう」



 その日、俺の一日はいつも通りに始まった。

 2016年、冬が本格化して大分経った12月16日。休み一歩手前、金曜日。

 朝の7時、布団の隙間から染み入って来る冷気にうんざりしながら起床。昇る太陽に視線は向けない。8枚切り食パンを一枚トースターにぶち込み、焼けるまでの間、歯磨きと洗顔を済ませる。スマートフォンを電源から引き抜き、いつの間にか増えたり減ったりしている電源タップの口数に思いを馳せ、見もしない癖にテレビを点ける。その朝のニュースもしっかり覚えていない。確か、よく聞く量販店の会長が死んだとかなんとか。一ヶ月前から重体だったらしく、まあ年寄りにしてはもった方だと勝手な事を思う。一枚換算で9~10円程度の薄い炭水化物にピーナッツバターを塗りたくり、咀嚼しながら制服に着替え、時間割と持ち物を確認…は面倒なので、教科書と全教科共通何でもノートを鞄に詰め込む。ピーナッツバターは簡単にカロリーも取れるし、何より問答無用で旨い最強の調味料である。ポケットにはスマートフォン、がフルで充電できていない。最近電源タップが不調だ。というより、ACアダプターの方か?今は離れて暮らしている妹におはようメールを送り、自室の鍵をしっかりと閉め、2階建てボロアパートの階段を、ギシギシカンカンいわせながら降りる。このアパート、隣室のドアの開閉音どころか、誰かが階段を上がる音すら室内に響く。当然、家賃も安くなるので庶民は助かっている。両耳にイヤホンを捩じ込み、家と麦畑ばかりの代わり映えのない風景に蓋をするため、楽曲をランダムで再生する。聞こえてきたのはレナード・コーエン作詞作曲、ジョン・ケイル歌唱版「ハレルヤ」。吐く息は白く、足取りは重く、お馴染みの軌道——所謂通学路——に乗る。丹畝にせ深詞ふかし町は渠蔵きょぞう教育学校の校門を抜け、目指す教室は2階の東端、高等部2年A組で、前から3、廊下側から数えて4列目、そこが俺の席だ。

 そこでボケボケとしている間に担任が入って来て、後は消化試合。学校が終わればなるべく早く帰宅し、コンビニ弁当を掻き込みながら、録画していたアニメやら動画配信サイトやらを覗き、余った時間でゲームをして、適当なところで切り上げて寝る。それが俺の「いつも通り」。呼吸のできない水底に居ながら、何もかもを「やり過ごす」日々。当然その日も、そうなると信じきっていた。


 であるからこそ、そのイレギュラーにすぐには反応できなかった。


「…先輩?どうしたんですか?」

「…藪から棒という言葉の意味を、今身をもって理解した」

「はぁ…?答えになっていませんが?」

「うるせえ、これ以上藪をつつくんじゃねえ、蛇だすぞ」

 そう言い返すと、少女は気の強そうな眼差しを、益々鋭利なものにする。

 心底不思議という顔をされても、そらこっちも困惑するわ。咄嗟におかしなことも言うわ。


 黒い制服・黒いタイツとのコントラストで映える、白い肌に白い手袋。体型は細身。膝上のプリーツスカート。制服のリボンの色が青色であるところを見るに、中等部か。

 背は冷静に見ると150cm程、だが背筋が伸びているせいか、はたまたその威圧感のせいか、実際よりも大きく見えて、可愛さなどは感じられない。


 真っ先に目につくのは、ミディアムショートでありながら吸い込まれるような感覚すら覚える、射干玉ぬばたまの黒髪。前髪は綺麗に切り揃えられている。小ぶりな顔には、なんでもお見通しと言わんばかりの大きな瞳、控えめで端正な鼻梁びりょう、小さく可憐でありながら棘を吐き出す唇。


 「目鼻立ちは整っている」と冷静に品定めするようなことを心中で呟いてみるが、先ほど何の前触れもなく、席に突っ伏していた自分の横に立たれた時は、一瞬見とれてしまったくらいにはその容姿に惹かれており、品評めいた心内は、そのことを誤魔化すための照れ隠しだという自覚もあった。


 “美少女が話しかけてきたと思ったら、霊感商法みたいなことを言い出した”


 感情としては急転直下の大混乱だが、表面だけ見ると最初から呆然としていたため逆に安定しているようにも見え、実際のところは混迷の極致といった状態である。

つい意味の分からない受け答えをしてしまったが、そのことで俺自身を責めるのはあまりに酷というものだろう。

 勿論思春期真っ盛りの俺の脳裏には“告白”という二文字が瞬時に浮かんだが、毎朝鏡に映る死んだような三白眼とボサボサの髪、これといった特徴のない顔立ちを思い出すと同時、まず“一目惚れ”の可能性を却下。次に全く接点が無いことを記憶上で再確認し、上述の仮説を完全に棄却した。


 で、あるならば。

 答えは当然——

「オーケー、理解した。人違いだ」

日高ひだかはじめ、17歳。渠蔵教育学校高等部2年。身長173cm、体重63kg、視力は右0.2左0.4、身体能力は全国の高校生の中では中の下。性格は大雑把かつ怠惰。しかしながら対人関係においてはむしろ繊細。成績はギリギリ平均点以上を入学時よりキープ。部活には所属していない。好きな食べ物はグレープフルーツ、嫌いな食べ物はゴーヤ。小学校の時、教科書に掲載されていた文章に一々感動し、涙まで流したという逸話を持つ。そのことからついたあだ名が」

「オーケー、理解した。間違いなく俺だ」

 教室のど真ん中で人の恥部を開示しようとする不審者を、俺は全力で止める。

 周囲の視線が痛い。

 あまり目立たない存在だった俺が、美女に話しかけられていたら、それはもう見るだろう。間違いなくいい見世物である。


 聞きたくもない声が聞こえる。


——見ろよ事件だぜ…

 五月蠅うるさい。

——スゲー美人…

 頼むから、俺の聞こえないところでやれ。

——あの地味な方誰?…

 こっちに関心を示すな。

——何かやらかしたのか?

 俺の中に、入らないでくれ。


 俺に、関わらないでくれ。

 

 頭の螺子ねじが吹き飛んだストーカー女を前に、腹を空かせて群がるいなごに囲まれ、猫に睨まれたハムスターのように震えていた俺は、とりあえず阿呆なことを言ってこの場を切り抜けるという選択を取る。こういう時はヤバイ奴になるに限る。

 狂人の真似とて大路を走らば?知るか。

「このシチュエーションそのままラノベのタイトルにできるよな」

「そろそろ話を進めて頂いても?」

「進めねえよ、進まねえよ、発展性皆無だろ。もしここから話が広がるなら余計に聞きたくねえよ」


——嗚呼ああ!どこかで見ているらしいクソッタレよ。願わくばこの災禍から我が身を守り給え…

 

 逃げることに失敗し、開き直って断固拒否の構えを見せる俺に対し、少女は心底呆れ果てたとでも言いたげな氷点下の視線を向け、そして何かを諦めるように溜息を一つ。

 祈りが届いたかとほっとしたのも束の間、少女の瞳が彼の視界一杯に広がり、

「いや、ちょ、おまっ!?」

 うろたえて顔に血が集まる俺の耳に、その形のいい唇から毒を注ぎ込む。


「—————」


「っ!?お前っ!!それはっ!」

 俺が思い出したのは——


——


——にいさんを、一緒に…!


「先輩、流石にこれくらいで狼狽うろたえる、その女性への耐性の無さには引きます。とにかく、放課後、“生物科”で待っていますから」

 少女は俺の心に引っ搔き傷を残し、そのままどこぞへと去っていく。俺がその「名前」を無視できないと、それを確信しているように。去り際すら絵になっていた。

「クソッ、なんでその名前が出てくる…!」

 忌々しいことに、少女は正しい。始業のチャイムが鳴り、長い勉学の時間が始まるが、もう俺がそれに注意を払うことはない。


 “夜持よもつ行人ゆきと


 それはかつての幼馴染の名。日高創の心に巣食う不可解。

 ずっとつるんでいた気もする。

 なのに夜持はいつも、独りぼっちで笑っていたのを覚えている。

 瞳の奥から零れ落ちそうな何かを、見せない為に捻じ曲げるような笑み。

 見ているだけで胸が詰まる、不安定で儚い男だった。


——蒲公英たんぽぽが、嫌いなんだ。


——「生きてる」って実感も、「成功した」って充足も無くて、


——「ここにいたい」という渇望だけで。


——そんなこと、考えたくもないのに。


 夜持は4年前に行方不明になり、その後に「一部」だけ見つかった。


 無惨にも抉られた眼球だけが。




——————————————————————————————————————




「“透明人間”ね…」



 暗宮あんぐう進次しんじはその日、三絵図みえず駅に寄ってから、いつものパトロールを終えた。

 今更そこに犯人がやって来るとは思っていない。しかし今日だけは、どうしても行きたくなったのだ。たとえそれが、明らかな無駄な足搔きであろうと、「やるだけやった」というはっきりとした行動を残したかった。

 「お疲れ様です!」と交番で敬礼してくる新米警官に「ご苦労」と気のない返事をしながら、考えていることは全く別のこと。

 寝ても夢幻で追いかけて。

 覚めても思考は夢中と同じ。

 昨夜はよく眠れなかった。

 あんなに心身を磨り減らしたのに。

 疲れ果てても意識は鋭く。

 あの激情も今は冷め。


 3年前のあの事件、一体何が起こっていたのか。

 日の下の人混みの最中から、彼はどこに行ったのか。

 知りたいことはそれだけだった。


 もう二度と、誰にも“透明人間”なんて語らせない為に。


 駅前の三絵図商店街。かつてそこで白昼に、一人の人間が忽然と消えた。


 「消えた」としか言いようが無かった。


 犯人は“透明人間”と呼ばれ、真相は何もかも分からずじまい。

 

 それは、暗宮の人生すら振り回した。

 彼が刑事でなくなった原因がそれなのである。

 

 その事件は、今尚彼の臓物の、底に沈殿し排出されない。


「暗宮さん、またその話でありますかぁ?」

 この交番に来てから既に1年程経つ新米は、暗宮の口から妙な言葉が出ることに慣れきってしまったようだった。


 元捜査一課の刑事ということで、最初はうんざりする程敬われた、というより恐縮された。人によっては逆に、「何を仕出かしたのか」とあからさまに侮蔑した。

 しかし人間の適応能力がなせる業か、はたまた暗宮が幼稚とも言える幻想に囚われ続けているためか。新米もそれ以外の同僚も、徐々に態度が崩れていき、今では軽くあしらうようになってしまった。

 暗宮自身にかつての貫禄がもう感じられないことも原因の一つか。最近皺が目立つようになった顔は、いつも疲れたように萎れている。何も見逃すまいとぎらついていた目は、今では常に半開き。ただでさえ危機に瀕していた生え際はいつの間にか大きく後退し、帽子がなければ不毛の地を拝むことができる。

 3年かそこらで、身体が大きく変貌することはそうない。

 だが暗宮は確かに萎びてしまっていた。


 “丹畝の猟犬”と呼ばれた男は、もう何処にもいないようだった。


 そんな彼の方に、新米がふと振り向いて、いかにも楽しげに話しかける。

 短く刈り上げた頭を掻いて、円らな瞳をくりくりと動かす。

 その純真さだけは羨ましかった。

「あ、そうだそれで思い出した。自分、暗宮さんの好きそうなネタ持ってきたんですよ」

 彼はクリアファイルを取り出して見せた。

「なんだそれ?」

「スクラップブックというやつであります。気になった記事を集めて同僚に見せるのであります」

「楽しそうだな、お前…」

 ここに私物を持ち込んだことも、勤務中にそれを見ていることも、咎めない暗宮はやはりみ疲れているのだろう。

「暗宮さんにも関係あるんですって!最近透明人間犯人説に進展があったのであります!」

「あーそう、よかったな」

 暗宮はもう、その手の話は聞き飽きている。何せ一時期、のべつ幕無しに“進展”していた。

 やれ「気に入らない人間を消してくれる透明人間」だの、やれ「全ての事件は裁きだと触れ回る男」だの、「宙に浮いた目玉が追いかけてきた」などと言った一考の価値すらない与太話まで湧いて出る始末だった。

「折角透明人間大好き暗宮さんのために集めたんですから、もっと褒めてくれてもいいと思いまあす」

「知らん、頼んでねえ、勝手にやってろ」

「今回はなんと個人名付きでありますよ!【消えたフリーライター!!】『本誌にも度々寄稿していた記者の真文まふみひさげ氏が失踪。氏は消息を絶つ寸前まで、透明人間騒動の取材に——』」


「何ィ!?真文提が『』だぁ!?」


 その瞬間、暗宮は眠りから醒めたかのように目が冴えたのを実感した。


「今確かに真文提と言ったな!?」

「え、あ、はい!それで間違いありません!」

 急にその全身から迫力をみなぎらせ始めた暗宮を見て、新米は一瞬で委縮する。

 暗宮はスクラップブックを引っ手繰たくり、自分の目でも確認する。


 そこには確かに「真文提」「行方不明」と書いてあった。

 

 同姓同名同業の別人ということは、ほぼ無いだろう。

 とすると、これはある意味、本当の“進展”だ。

 真文提は3年前から、“透明人間”事件を調べていたブンヤである。暗宮も何度もしつこく質問攻めにされたものである。


——絶対に尻尾を掴んでやりますよ、刑事さん


 そう言った彼の目も、暗宮に負けず劣らず偏執的な熱を帯びていた。

 もし本当にあの事件が原因で消えたのなら、彼が掴んだ尻尾とはなんだ?


 頭にふいごを刺され、そこから息吹を吹き込まれたように、彼の脳内は燃えていた。


 あの時求めていたものは、やはりこの世に存在するものだったのでは?


 彼は再び行動を開始する。


 使えるものはなんでも使う。


 精神は既に、死体と向き合っていたあの頃と同じに。


 まずは何をするべきか。


 頭の中にはもう、


 業火しか残っていなかった。

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