第4話 岡崎拓真

「お前も、ちょっと来い」


 大吾はそのまま遠くへ逃げるつもりだったが、拓真に止められ、来た道を戻った。

上島が通り過ぎるまでやり過ごした後、体育館裏に向かった。

 そこでは上島たちに好きなようにされた里香が、うずくまって泣いていた。


「園田!」


 拓真は里香に駆けより、肩を抱いて、ハンカチを渡した。大吾もそこに向かった。


「っ……最悪……っ」

「大丈夫か?」

「大丈夫な訳ないじゃん……」


 拓真が、里香をどうにか慰めようとしていたが、とても会話になっていなかった。里香は恐怖に震え、ただ泣くことしかできないようだった。


「クソッ!」


 拓真は壁をバン、と叩いた。

鈍い怒りの音が、体育館裏に響き渡る。

 

「なあ、お前。B組の稲垣大吾だよな」

「う、うん。そうだけど」

「喧嘩とかできねーの? でかいし、強そうだけど」

「む、無理に決まってるよ。そんなこと、したことないよ」

「あー。だろうな。なんかそんな気はしてたんだよな!」


 拓真が、今度は壁にハイキックを入れ、さらに大きな音が響いた。人間が食らったら、かなりの威力がありそうだ。


「でかいお前と、フットワーク軽い俺の二人でなら、上島先輩たちをどうにかして倒せるかと思ったんだが。頼りにならなそうだよな」

「た、倒すって……あの上島先輩たちを?」

「そうだよ。こんなことされて、流石に黙ってられるかよ!」


 この頃、瓜谷中で上島雅彦とその取り巻きは最強であり、喧嘩で勝とう、という男はいなかった。拓真が、上島との折衝役をしながら、影でそんな野望を抱いていたのは初耳だった。


「やめなよ、タク。あんたが殺されちゃう」

「俺は、上島殺してーくらいムカついてんだよ! 同学年の女子にこんなことされて、黙ってられるかよ!」

「一年の時の松浦みたいになっちゃうよ」


 松浦の一件。大吾も覚えている。

 松浦という男は大吾たちの同学年で、小学生の頃から万引きなど犯罪行為を繰り返し、かなり素行に問題があった。不良グループには混ざれず、一人でやばい行為をしていた。

 そんな松浦が、なんのきっかけかはわからないが上島に目をつけられた。

 松浦は喧嘩もそれなりにできたらしいが、とても強い上島とその取り巻きに容赦なくリンチされ、体育館裏で倒れているところを朝、教師に発見された。

 一命はとりとめたらしいが、その後、松浦は転校し、瓜谷中を去った。

 この一件で、上島の支配はより威力を増した。逆らったら松浦のような目に合う、と思うと、誰も上島に逆らえなくなった。


「くそ。くっっそ」

「タクは悪くないよ……」


 いつの間にか、里香が拓真を慰める立場に変わっていた。


「いつから上島先輩は、こんなことするようになったの? 前は女子に手出しなんか、してなかったよね?」

「ああ……もともと、三年の女子には何人か、手つけてたらしいが。最近になって二年の女子にも手を伸ばしはじめたらしい。里香の他にも、何人かやられてる。里香は特に気に入られて、もう何回も……最近、アンパン(注:ここではシンナーを麻薬として吸引すること)やりはじめて、頭がイカれちまったらしい」

「そんな……」

「俺、二年の女子たちに、体育館裏の掃除は行くなって今、情報回してるから。掃除に行って捕まるのがいつものパターンなんだ。お前も、女子の友達がいたらそう言っといてくれ」

「う、うん、わかったよ」

「あと、犯されてる女子がいる、って絶対、他のやつらに言うなよ。やられた女子が傷つくから」

「言わない。言えないよ、こんなこと」

「そうしてくれ。俺が必ず、どうにかするから」


 拓真はもともと男気があり優しいやつなので、ガタイのいい大吾を無理やり使ってまで、上島と決闘をする、とは考えていなかった。

 大吾は、自分が巻き込まれずありがたいと思う反面、こういった『上島には勝てない』という空気が、瓜谷中全体を暗闇の底に突き落としていたのだと、思い出した。


* * *


 上島の蛮行を知った大吾は、まず真っ先に結衣へそのことを伝えなければならない、と思った。もちろん誰もあんな目に会ってはならないが、大吾の良き友人である結衣だけは、上島の魔の手から逃れてほしかった。それに大吾がまともに会話できる女子は、結衣くらいしかいなかった。

 帰宅後、ベランダでこの前のように駐車場を見下ろしながら過ごして結衣を待った。まだ携帯も持っていない時代、直接話をするにはこうするしかなかった。

 幸いにも、結衣は洗濯物を干しにベランダへ現れた。


「ゆ、ゆいちゃん」

「わっ! いたの、大吾くん!」


 結衣は学校指定の半袖ジャージ上下姿だった。見慣れた姿だったが、大吾を見ると胸を押さえた。一瞬大吾にはその意味がわからなかったが、家で油断していて、ノーブラなのだと気づいた。大吾はあわてて、結衣から目をそらした。


「あのさ、伝えたいことがあって」

「えっ? わたしに? なあに?」

「体育館裏の掃除、危ないから行かないようにね」

「えっ? なんで? 掃除、しないとだめでしょ」


 結衣は真面目で、正直で、遠慮のない子である。掃除当番をサボるような子ではない。どうやら拓真からの情報はまだ伝わっていないらしく、怪訝そうな顔をしていた。


「あそこ、上島先輩たちがよくいるでしょ。危ないから近づかない方がいいよ」

「え、そういう時は手前のところだけ掃除すればいいよね?」

「そうなんだけどさ……」

「べつにわたしから話したりしないし、問題ないでしょ」


 大吾は困惑した。誰かがレイプされているという情報は言うな、と拓真から言われている。結衣は、そんなひどい事をするヤツがいるなんて、思いもしないタイプの優しい子だ。ちゃんと言わないと伝わらないだろうが、そもそも女子に『レイプされてしまう』などと伝えることが、大吾には恥ずかしすぎた。なぜか中学生のマインドに戻っていて、まだ性的な言葉をはっきりと口にできないのだった。


「と、とにかく行っちゃだめだから! 掃除当番サボっていいから!」

「えー、へんなのー」


 結衣はそう言って、さっさと洗濯物を片付け、部屋に戻ってしまった。

 ちゃんと伝わったかどうか、大吾は不安だった。何をされるのか明言できなかった大吾の責任なのだが、これ以上は言えそうになかった。

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