第23話 「昔のお前が好きだった」

「伊織、お前寝てたんじゃ……」


 開いた瞳。その目はじーと俺を見下ろしているだけ。覆いかぶさっているので逃げることもできず。


「伊織? おーい、伊織ー……」

  

 そういや、最近はロクに口を聞いてなかったな。聞いていなかったってと言っても伊織が一方的に会話を避けていたからだけど。


「お兄ちゃんはなんで大人しくボクの言うことを聞いてくれないのさ……」

「……あ?」


 小声で言われた。

 似たようなことを言われたことがあるな。あれは確か……


『お兄ちゃんはボクの言う通りにしてくれないと困るの。……じゃないと、じゃないと……』


 そう、俺の教室に珍しく現れた時。伊織は特に変だった。そしてやけに片柳を敵視していたような……。


「お兄ちゃんっ、聞いてる?」

「え、あ、聞いてるぞ。しかし俺にもプライベートというものがあるし……」

「それでもっ。それでもボクの言うことの方が優先なのっ!!」


 俺を押さえている手が強くなる。

 分からない……俺は最近、伊織が考えていることが分からない。


「……こうなったらお兄ちゃんを……ブツブツ……」


 指を噛み、怖い形相で呟く。


 分からない……伊織のことがわからない。


「なぁ、伊織。俺、最近の伊織のことが分からないんだ。なんでそんなに機嫌悪いんだよ……? なぁ、俺なんか悪いこと……」

「お兄ちゃん黙ってて!! ボクの言うことなんて聞かないくせにっ!」


 怒鳴られた。

 俺は伊織のことを少しでも分かろうとしたのに。


 好感度マイナス15の兄の件や金銭を頻繁に要求してくる件だって、何も教えてくれない。


「い、伊織……?」

「お兄ちゃんは……お兄ちゃんはボクのことなんて分からないよっ! ボクがどんな気持ちでお兄ちゃんと接さないといけないか……全然分かってくれないよっ!」


 だから分かろうとして、知ろうとしてこうやって聞いて……。でも、教えてくれない。黙って、キレて話さないばかりじゃないか。


 俺は何をすればいいんだ。どうすればお前のいい兄になれるんだ。


 ………教えろよ。俺はお前の指示に従うんじゃなくて知りたいんだよッ。


 フツフツと自分の中で感じたことのない感情が湧いてきた。これは……怒り。


「こうなっなら強硬手段……。お兄ちゃんいい……? 今後絶対他の女に近づかないで、話さないで。特に片柳せつは——」

「いい加減にしろっ!!」

「っ!?」


 体の位置が反転する。今度は伊織がベッドに倒される形になった。


「お兄、ちゃん……」


 伊織は驚いたとばかりに目を見開く。

 俺が声を荒らげたのがよほどビックリしたんだろう。


 瞬間、伊織からされたことが走馬灯のように脳内を駆け巡る。


 家事はほとんど全部押し付け、小遣いは比べ物にならないほど多く貰ってるくせに、言うことを聞け?


 何がしたいのか分からないが、『好感度マイナス15の兄』と広めている。彼女に賛同するようにくすくすと笑う声が耳元に未だ聞こえる。


 でも、お兄ちゃんだからって我慢していた。


 けど……。


 あれ? 俺ってお兄ちゃんだからって強がって……肝心の妹にはめっちゃ酷いことされてるじゃん。酷いことをされているのに、なんで俺は——平気と笑っていたんだ。


『修吾くんも言われっぱなしでいいの? お兄ちゃんだからって優しくする必要ないんだよ』


『変なあだ名を広められたり、毎月お小遣いを取られるっていくら兄妹だったとしても常識の範囲を超えてるよ。修吾くんは慣れているかも知れないけど、おかしいことなんだよ?』


『修吾くんの方こそ落ち着いて考えて。今までそうやって考えるっていって伊織ちゃんを甘やかしたからこんなにワガママ王子様になったんだよ?』


『前も言ったけど、お兄ちゃんだからって優しくするないんだよ? 仮に、私にあんな弟いたら多分ぶん殴っていたもん』


 片柳に言われたことが今更になって腑に落ちる。


 グルグル渦巻いた頭の中が急にクリアになった。


 いや——んだ。


「俺は……俺は昔のお前が好きだった」

 

 気づけば口が動いていた。






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