第27話 刑事時代の懊火
神原浄がパソコンを起動すると、佐々木豊の言う通りデスクトップに町の地図と、配水トンネルの配置が書かれた画像が現れた。
その他にも、この矢河原町で起こった誘拐事件の記事がフォルダにまとめられていた。この町に関連する、いわゆる警察ざたをファイリングしているようだった。どうやって手に入れたのか――行方不明者の顔写真まで入っている。
「動物愛護団体がサカガミに抗議」
そんな記事もあり、ひとりの女性の顔写真があった。ずいぶん美人だ。女が赤いスプレー缶をパーティ会場の料理に吹きつけている写真があった。血のつもりだろうか。食べ物がかつて生き物であったことを証明しようとしているのか。すぐさま警備員に取り押さえられたようだ。
彼女はどこかの動物愛護団体のメンバーだったのか。事件の後、「団体が女を除名」とある。
日本にこんな過激な団体があるのが初耳だったが、この女も消息不明とある。
(消息不明とは、行方不明と同義語だろうか。)
水口老人の言ったとおり、町には昔からこういった事件が重なっていたのだ。調べればまだまだ出てきそうだ。
……故郷のことなのに、神原は今まで知らなかった。
しばらくして、佐々木豊はカーキ色のジャージに着替えて居間に戻ってきた。手に食パンの切れ端とエビアンがあった。無精髭がそのままなので、全体的な印象は出会ったときとさほど変わらない。目は死んだ魚のままだ。神原は、かつての友人の変貌に改めてショックを受けた。
どさっと佐々木がソファに座りこんだ。
「霊が見えるってのは、どんな感じなんだ」
佐々木が太縁メガネの奥から言った。
「そうだな……大抵、霊は青白く透けているよ。よくテレビや映画で見るイメージに近い。だが、霊が持つその存在感によって、その透け具合が若干違う」
「存在感か。……どんな風に?」
「古いものほど、薄いようだ。今日は、商店街で侍を見たが、ビジネスマンの霊とすれ違ってもお互いを気にしてはいないようだった。霊同士が透けたまますり抜けることもある。どうやら、違う次元に住んでいるようだ。……古い長屋の霊と煉瓦屋敷がお互いを侵食して建っていることもある」
「建物の霊? それは面白いな。生き物だけが霊になるわけじゃないんだな」
遠くに城の霊も見たのは、神原は黙ってることにした。そこまでスケールを拡げると、ホラ話のように聞こえてしまうかも知れない。
「きみは、かれら――霊に触れたりできるのか?」
「ほとんどは無理だ。だが、気配は感じる。相手に触れようとすると、まるでそこだけ空気が濃くなるような感じがする。……そして、冷たい」
佐々木はエビアンをぐいと飲んだ。自分なりに霊について、解釈しようとしているようだ。
「ポルターなんとかって、悪霊が物を投げつけてきたりする映画があった」
「現世にひどい恨みを持っているやつや、強い意志を持つ霊は物を持ち上げたり、おれたちを傷つけたりできる。あまり会いたくないタイプだな。大抵は、ふわふわした存在だよ」
「……そうなったら、それはそれで楽しいかも知れない。どこにでも行ける。飛行機にタダ乗りして、世界一周だって可能だ」佐々木がふっと微笑んだ。
「いやいや、そうはいかないんだよ。霊となる人間は、生きていた頃の常識の範囲でしか動けないんだ。だから、切符を買わないと電車に乗れないと思っているし、走っているタクシーに飛び乗ることも出来ない。だから、スーパーマンのように空を飛べるわけじゃないんだ」
なるほどな、と佐々木。
「……好美は、どんな風だった?」
神原は、若干ためらいを感じたが、見たままを口にすることにした。
「寂しそうに、人形を抱えたままきみを探していた。商店街で迷子になった風だった……きっと、殺された場所から商店街を通り、この家に辿り着いても、Uターンして遊び相手を探している。それを繰り返しているんだ」
「私に、話しかけただろうか」
「ああ、きっとそうしただろう」
しかし、少女は父親に無視されたと思って、その場を去ったのだ。
「……不憫な」佐々木が涙目になった。「何と、哀れな。何とか出来ないのか、きみの力で」
「おれは霊能者じゃない。そんな訓練はしなかった。気の毒な霊に死んでいることを伝え、成仏させるためにかれらの意志を曲げるには、それ相当の能力が要るんだ。霊に対する説得力だよ。おれには出来ない」
「説得力?」
「白装束を着て山にこもるようなことさ。霊力の強い場所を選んで、何年も身をさらして自らの感覚を高めるんだ。それでもなれない者もいる。才能と根気が必要だ」
「……そうか。きみは、自分が死にかけていると言ったな。そうは見えないが、たとえそうなら他にやることがあるんじゃないか。好美は、私の娘で――これは私だけの問題だ。娘の声を聞いたからと言って、ドブのなかへ付き合う義理はない」
「そうかも知れない。だが、命が燃え尽きようとしているときに限って、悔いばかりが頭に浮かぶんだ。おれは高校を卒業と同時に、この町を捨てた。きみや友人たちのように、この町に残って生活する人生もあったかも知れないが、多くの若者が想うように遠くへ行きたがったんだ。……だが、数年ぶりに戻ってきて、町の変容に驚いた」
「時とともに変わるもんだよ……何もかも」
「町を見捨てたのはおれなのに、逆に見捨てられたような感じがする。両親も死に、とうとうどこにも居場所が無くなったような気がする」
「誰もがそうかも知れないぞ。私は、かつてこの家で当たり前のように生活していたが、妻と好美が去ったいま、何も残ってない。カラッポだ。この家は、ただの空洞に過ぎない。所詮、人間は何か心の埋め合わせを求めて人生を彷徨っているだけかも知れない」
「……好美ちゃんの足を見つけたら、その後どうするんだ?」
佐々木は、はじめて気づいたように大きく目を開けた。
「分からない……分からない。だが、犯人を見つけて八つ裂きにした後は、どうなってもいい。司法に任せて刑務所で余生を過ごすさ」
冗談とも本気ともつかない答えを返した佐々木の目に、神原は、気まずい質問をしてしまったことを後悔した。
「犯人は、この町にいるんだろうか?」佐々木がぽつりと言った。「きみは刑事だった。どう思う?」
「おれはこの町に帰ってきたばかりで、今朝まで事件を知らなかったくらいだ。刑事や警官とハナシはしたが、かれらもあまり手がかりを掴んでいないらしい」
「そうか。きみは優秀な刑事だったと聞いた。だから、地元の警官が助言を求めた理由も分かる。今後も、きみは警察と関わりがあるわけだな。神原……私の願いを聞いてくれるか」
「何だ?」
「犯人が誰か分かったら教えて欲しい」
神原は、しばらく迷ったが、やがて「分かった」と言った。そして、同時に自身の心の奥底に、刑事時代に感じた懊火のくすぶりを感じた。
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