第26話 夢を見たくない

 河川の向こう岸に、犬を模した巨大な看板があった。ドッグランを抱えたペットを売る建物だ。

「パチンコ屋かと思ったが……あんな大型店があるなんて知らなかったな」

「あらゆるペットが売られている。ちょっとした動物園のようだよ」

「ペットを一大産業にしようというわけか」

「犬を飼ったことは?」

 神原浄は首を振った。

「無いよ。だが、近所のおばさんの飼い犬を散歩によく連れていった。ただの雑種だったが、よく慣れてて可愛かった。そういや子どもの頃は、野良犬が多かったな。よく通学中に吠えられて怖かったよ。……今朝も、野犬の遠吠えを聞いた」神原はふと今朝の様子を思い出した。

「野犬のはずはないな。この町は確かに山あいに近いが、保健所がほとんどの野良犬を駆逐したよ。飼い犬だろう」

「そうか。先刻のあのワゴン車は、ペットを全国に運ぶのかな? 運転席の向こうにはいくつもの檻が見えた」

「さすが、刑事さんだな。あんな一瞬で、そんなものが見えるなんて。確かにペットの受注や発注も行っているらしい。ホームページで注文を受けて、発送できるシステムがあるようだ。噂では、工場内には遺伝子交配で新種を生み出す部署もあって、いかに売れる犬を作るか研究しているそうだ」

「売れる犬って?」

 神原はそのことばにギョッとした。

「あらゆる犬だ。警察犬や軍用犬さえも発注があれば作るって噂だ。シェパードからドーベルマン、ビーグルやダックスフントまで、あらゆる交配用の細胞を保管しているらしい。あえて小さく、鞄に入るようなものから、セントバーナードのようなでかい犬まであらゆる犬を作っている。……とあるメーカーの電化製品は、数年で必ず壊れるように部品を設定しているそうだが、工場で作られたペットたちもあえて数年で死ぬように遺伝子を改良していると聞いた」

 佐々木豊は淡々と言ったが、神原にはその行為におぞましさを覚えた。

「……どうして、そんなことをするんだ?」

「飽きられたら、すぐ次のが買えるようにするためさ。鞄にアクセサリーを取り付ける感覚でペットを持ち運びしている若者だっている。スポーツバッグに犬や猫の顔だけを出して電車に乗るOLを見た」

「生き物を物のように扱うのは抵抗があるな」

「ああ、私もそう思う。工場内で何が行われているかは知らないが、町に良い影響ばかり与えているとは限らない。川辺を見ただろう? 明らかに工場から流れ出てくる廃水が、環境を汚染している。これも噂だが、ペットフードを包むための缶やビニールを加工するときに使用した水をそのまま流しているという。工場内に、河川にそのままつながる排水があるらしい」

「ひどいな」

「他にも気分が悪くなる話がある。ペットブームといっても、すべての人間がきちんと動物の飼い方を知っているわけじゃない。保健所には、全国で一日数千匹が飼い主に飽きられた結果、処理されている。年間では、約五十万匹が死んでいる」

「その数は、本当か?」

「正確ではないが、その前後の数字だよ。保健所に預けられた気の毒なペットは、数日間保管された後に、ガスで殺されるんだ。処理された死体は焼却されるが、その灰は普通のゴミ扱いだ。地方によっては、埋め立て地に送られたり、河川や海に流されているという。そのまま生ゴミと一緒に捨てている例も少なくない。この近くで大量の犬の死骸が見つかった事件もあった」

「大量の?」

「工場内で実験に使われた犬たちがそのまま川に捨てられた……まあ、そういう噂だ。そのすべてが、いびつに奇形化した足や体を持っていたそうだ。体がそのままならまだマシな方で、中には寸断された首や足があったという。ペットフードの開発で大量に成長ホルモンを与えられて巨大化した犬の死体や、手の平に収まるようなものまであったそうだ」

「死体の捨て場があるのかもな。ぞっとするよ」

 いつの間に、故郷の町がそんなドス黒く汚れていたのか――神原は、心の奥底にどこか後悔のようなもの――神原ひとりで変えられたはずはないのだが、町の変貌を知らなかったことに後ろめたさを感じたのだ。

「そんな川に好美が捨てられたなんて、腸が煮えくりかえる。私は、犯人が許せない。もし、そいつを見つけたら、同じ川に沈めてやるつもりだ」

 神原は、改めて友人の顔に浮かんだ深い怒りを見た。


「……もちろん闇雲に配水トンネルに入るわけにはいかない」

 佐々木邸は、神原の少年時代の思い出と同じ場所にあった。もう、何年も前になるが、何度か訪れた記憶が蘇った。

「トンネル内部には当然、灯りなんてない。暗闇に備えてある程度の準備はしないと」

 佐々木に導かれて玄関をくぐると、見覚えのある廊下が目に入った。

 木造住宅の平均的な家屋だ。佐々木も両親を早くに亡くしており、家を継いだという。人の息吹を失った寒々とした雰囲気が漂っていた。

「好美をつれて妻が去った後は、何もする気が起きなかった」

 神原が尋ねる前に、佐々木がぽつりと言った。神原が廊下に倒れている日本人形を立て直そうとすると、佐々木が「そのままにしておいてくれ」と言った。

 部屋の隅の腐った果物にショウジョウバエが舞っていた。

「私は、荒れてね。物に当たるようになった。連れ合いがいなくなったストレスをどうしていいか分からず、何かを壊すことで発散した。酒やギャンブルに逃げる方法もあっただろうが、どちらにも疎くてね。友人も少ないし、こういうとき私のような人間はどうしていいか分からないんだ」

「……酒はいい方法じゃない」

 神原は自分のことを差し置いて言った。言った途端、自身で苦笑いした。

「そう出来なかったのは、きみが従来からまともな人間だからさ。きみはいい奴だ。昔からそうだった」

「堅物として生きるのは、それはそれでつらいんだよ」佐々木が言った。

 床には、他にも陶器のかけらやガラスの破片が散らばっていた。

「だから、そのまま上がってくれて構わない」

 佐々木は、そう言うと靴のまま廊下に立った。神原は、どうしていいか分からずその言葉に従った。

「茶でも煎れたいが、湯のみが消えた」

 居間のすべても破壊されていた。

 引き裂かれたソファと砕かれた本棚が、佐々木の暴力の跡を残していた。テレビの液晶画面も割れていた。食器棚が横倒しになっており、中味がぶちまけられていた。

「おれには構わないでくれ。それよりも、潮が引く夜までにシャワーでも浴びたらどうだ?」

 神原は、泥にまみれた友人に言った。

「そんな気になれない」

「せめて着替えて、仮眠を取れよ。寝てないんだろう?」

「夢を見たくない」

 その言葉に神原はどきりとした。友人の気持ちが分かる気がして、それ以上何も言えなかった。

「……きみは、どうするんだ?」佐々木がうつろな目を神原に向けた。

「まさか、本気で私に付き合うわけじゃないよな?」

「二言はない」

「呆れたな。よほどのヒマ人だよ」

「ああ。故郷に帰ってきたが、職探しもまだだし、ちょうど何かしなきゃと思っていたところだ。調べたいことがある。よければ、パソコンを使わせてくれ」

 神原は、かろうじて破壊を逃れているノートパソコンをテーブルの下に見つけた。

「いいとも。それは、数日前に買ったんだ。もしかして、この町の地下網の地図を探せないかと思ってね。確保できたデータをまとめてある。ワイファイはかろうじて無事で、ネットにつながるようにはしている。好きに使ってくれていい。食欲は無いが……少し腹に何かを入れてみる」

 佐々木は力なくそう言うと、部屋の奥に消えた。

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