第25話 金髪の人形

 神原浄は、今朝から霊が見えるようになった境遇を友人に話した。そして、その最初に遭遇した霊が、足を無くした少女だったことを。

 少女自身が、おいかわよしみと名乗ったことを。

 神原自身の変化、それに気づいた神社の老人のことを話した。胸の鼓動が少しずつ緩やかになっており、自分が死にかけている様子を伝えた。

「……悪いが、すべてを素直に信じられない。信じろという方が無理だ」

 佐々木豊は、神原の言葉を途中で遮ることなく、最後まで聞き終わると言った。

「……どちらにせよ、そのハナシは何も意味しないし、いまの私には真実として受け入れる余裕もない」

「分かっている。それを証明することは出来ない。子どもの頃から友人に白い目で見られる苦痛は何度も味わった。もう、他人に見えないものを見せようとする努力はしない」

 最初は怪訝な顔をしていた佐々木豊も、神原の真剣な表情を見て、何かを思い出したようだ。

「確かに、昔からきみには不思議な噂があった。霊を見ると聞いたことがある。私は信じなかったが」

「……あるときから、人を選んで話すようになった。きっと、きみには嫌われたくなくて、そんなハナシはしなかったんだろう」

「しかし、私を動揺させてどうするんだ? 好美の霊を見たハナシをして、宗教にでも勧誘する気か? 第一、それが本当に好美かどうかも分からない。好美のことは、散々ニュースで写真を流している。それを見て、らしいことをでっち上げるのは簡単だ。何が目的なんだ、神原」

 神原は首を振った。

「きみの人生をかき乱したいワケじゃない。宗教なんてとんでもない」

「ああ……それは頼むよ」

「力になりたいだけだ。きみの娘がいつまでも人形を抱いたまま、商店街を彷徨っているのを気の毒に思うからだ」

「人形?」

「ああ、ルウちゃんという名前をつけた人形を持っていた」

 佐々木は、そこでショックを受けたようだった。立ち上がったが、そのまま立っていられずよろめき、傍らの木に頼った。

「どうしたんだ?」

 佐々木の顔にどっと脂汗が浮かんだ。

「どこでその名を?」

「本人に聞いた。金髪の人形だ」

「……その人形は、好美の宝物だ。誰も人形の名前なんて知らないはずだ……私と妻以外は」

 佐々木はやがて両手で顔を覆うと、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「好美……好美……いまだに、足を無くしたまま、彷徨っているなんて、何て残酷な。神原、きみが言ったことをすべて信じることは出来ないが……だとしても、私にはその姿が容易に想像できる。人形の髪を愛しそうに撫でる仕草。娘は、人形を自分の妹のように可愛がっていた。昔の私と妻は、ずっと好美のために本当の妹を用意してやりたいと思ったんだ。……もう、それが永遠に叶わない。ひどい。ああ、神さま!」

 神原は、言葉もなく友人の肩に触れて、そのまま泣くのに任せた。

 今度は、佐々木は神原の手を払わなかった。

「……だから、トンネルに入るなら、おれも付き合おう。正直、足が見つかるとはとても思えない。だが、好美ちゃんに対して、おれに出来ることはしてあげたいと思う。元刑事として、何か役に立てるかも知れない。潮が引くのは何時だ?」

 神原は言った。

「完全にトンネルが口を開くのは、明朝だ。五時くらいさ」

佐々木はそう言って土手を登り始めた。


 中学時代の佐々木豊は、神原浄にとってまぶしい存在だった。成績も良く、クラスの人気者だった。穏やかな性格で誰からも好かれていたと記憶している。教師の受けも良く、女子にも人気あり、神原には若干その人気をうとましく感じたものだ。常に周りに友人たちがいたが、神原もその仲間になり近づきたかった……。

 いまやその背中は、疲れた老人の姿だ。見えない重荷に押し潰されようとしている。かつての憧れた相手のみじめさに目頭が熱くなった。

「危ないぞ!」

 思い出にひたっていた神原は、思わず土手を進む大型ワゴンに轢かれそうになった。車は徐行していたので、幸いにも大事に至らなかったが。土手にある一方通行路は十分広く、歩道とも分けられていたが、マラソンランナーや散歩する者につられて気づかなかったのだ。

「大丈夫か。君も疲れているようだ」佐々木が神原を歩道に導いた。

「……ああ。あまり寝ていないから」

 土手先の陸橋に向かう大型ワゴンを神原は目で追った。全体をオリーブ色に染めた窓のない側面には、人と犬が楽しそうに遊ぶキャラクターのロゴ・マークがあった。

「ペットフードか……」

 神原は何気なく呟いた。

「知ってるか? いまの時代、約二千万匹の犬が日本中にいる。首都の人口よりも明らかに多いんだ。全国の子どもを合わせた数よりも多いという……」

 佐々木が言った。

「知らなかった。コマーシャルやバラエティ番組にペットがよく出てくるようになったし、ブームとは聞いていたが、そんなにたくさんいるのか」

「テレビやネット、メディアの影響力は大きいよ。だから、ペット相手でも十分産業が成り立つんだ。この町は、バイパスを通じて全国に商品を発送できる便利な土地だけに、あるときからペット産業で儲け始めた。いくつもの大手ペットフード工場があって、研究機関が設置された。ちかくのコンビニには消費者リサーチのために、新製品がいち早く並べられることもある」

 娘の殺害現場から離れたからか、佐々木の口がやや軽くなったように神原は感じた。学生時代に教養にあふれていた友人の姿を思い出させたが、その目には狂気が浮かんでいるように思えた。心のバランスを崩したせいなのか、黙っているときと語りに入ったときの落差が激しい。

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