第24話 トンネルの口

「左足だよ」佐々木豊が言った。

 神原浄にとって、足を無くした少女の霊は、人生で遭遇してきたなかのひとりに過ぎなかった……。

 霊にはそのときの死んだイメージが、そのまま残っている者がほとんどだ。顔半分を失ってたり、全身血まみれといった最悪なケースもある。元刑事だったということもあって、神原は損傷した死体に会う機会が多かった。吐き戻したことも多かった。慣れたとは言えないが、若干の抵抗力は身についたと思う。

 今朝、及川好美を見たときはさすがに驚いたが、その姿を受け入れるのは早かった。しかし……

「膝から下だ。それが行方知れずになってから、私は眠らない。眠れないんだ。娘が夢に出てきては、足の無い姿で泣きながら歩いているのが見える。その姿が焼きついていて離れない」

 佐々木豊の夢の残酷は、神原浄の想像を越えた辛苦を感じさせた。 

「……私は足を探さなきゃならない」

 神原は佐々木の肩を握った。

「佐々木、自分を責めるな。きみの責任じゃない。くそったれの犯人のせいだよ。おれは刑事として、今まで何人もの事件の被害者やその家族に会ったが、皆がそうやって巻きこまれたのを自身のせいにしたりする。……だが、そうじゃないんだ。罪なき人間に襲いかかる災難は、かれらのせいじゃないんだ。すべて加害者が悪い。好美ちゃんが夢に出てくるのは、おまえが自分を責めているからだ。好美ちゃんは、そう思ってないよ」

 佐々木がじろりと見て、神原の手を払った。

「何が分かる。きみにとって、刑事はただの職業だった。その言葉もマニュアルに載っているんだろうが、それをなぞって適当なことを言うのはやめてくれ」

「おれは、刑事を辞めた」

 神原は、佐々木の目を真っ直ぐに見た。

「友だちとして、言ってるんだ!」

「……そうかも知れないが、好美の足が見つかっていないのは事実だ。それに妻との話に夢中になって、娘をほっぽり出した責任は依然としてある。責めを負うべきは私だ」

「だからといって、警察の真似事をしても足は見つからないぞ」

 佐々木は、神原から離れて背を向けると、土手に向かって歩き出した。

 神原はどうしていいか分からないまま追いかけた。しばらくして、佐々木は泥水に埋まったトンネルを指さした。

「この川は海に近い。いまは満潮だから、海と同じ高さの配水口は沈んでいる」

「それがどうしたんだ?」

 神原は、佐々木が何を言おうとしているのか分からなかった。濁った水面が土手を覆っており、そこに沈んだトンネルがあった。

「この配水口は、人が通れるほどの広さだ。むかし、まだ水が透きとおっていた頃はよく探検したものだ」

「この中に潜ったのか?」

「いや、そうじゃない。引き潮になると、トンネルの壁に沿った縁石の通路が現れるんだ」

「潮が満ちると、溺れてしまうじゃないか」

「ああ、だからスリルがあった。満潮になるまでに、どれだけ奥に行けるか、友だち同士で試したものだ」

「何が、言いたいんだ?」

 神原は佐々木とそんな風に遊んだ覚えはなかった。真面目タイプの佐々木が、そんな危険な遊びを幼少の頃に楽しんでいたとは驚きだった。

 佐々木は、足元から適当な小石を拾うとトンネルそばに投げ入れた。波紋が広がったが、すぐに波に洗われ消えた。佐々木は腕時計を見ると、手にした手帳に何かを書き付けた。

「何を書いてる?」

「……だから、その時間をだよ。潮の満ち引きのタイミングを計ってる」

「おい、まさか。このトンネルを潜るつもりなのか」

「私は何日も、この川辺を……好美の足を探しているが、見つからない。当初は川底を漁ったが、見つからなかった。後は、この奥だけなんだ」

「これは汚水を吐き出すトンネルだ。奥に行っても見つからないよ。足は……海に流れたんだ」

「ああ、警察にも同じことを言われた。だが、好美の体は鉄柵に引っかかって、かろうじて海に流れはしなかった。正確には、このトンネルの奥は浄水施設につながっていて、奥へ行くほど水が澄むんだ。好美の足はこの奥にある。間違いない。そう感じるんだ。警察は相手にしてくれないから、自分で行くしかない」

 佐々木の両目は血走り、トンネルが何かの魔物であるかのように睨みつけていた。神原は、かつて一緒に宿題を見せあった友人の変貌ぶりに怖気を感じた。娘を亡くし、精神のバランスを崩した友に深い哀れみが浮かぶ。

「見つかるわけがない!」

「ああ、そのセリフは誰からも百万回聞いた。ときに私自身の声もそう言ってる。だからといって、じゃあ~あきらめます、とは言えない」

 佐々木の顔は、ノイローゼ患者のそれだった。暗く煮える激情が、薄く涙となって浮かんでいる。

 狂気に同情的になり、神原にも伝染しそうだ。

「見つかるわけがない」神原浄はもう一度言った。

 だが、次のことばをつなげた。

「……人手がなければ」

 佐々木豊の歪んだ熱い感情が、神原浄の身の内にガソリンを注いだようだ。

「死体の足を探してくれる役所はない」佐々木がぽつりと言った。

「一人で探しても見つからないさ」

 神原はそう口にした。「……二人の方が見つかる可能性も高いと思わないか?」

 佐々木が驚いた表情を見せた。

「なぜ、そんなことを言い出すんだ?」

「おれの言葉が、マニュアルから出たんじゃないのを証明するためだ」

「それについては言い過ぎたかも知れない。悪かった。だが、これは私自身の問題なんだ。放っておいてくれて構わない」

「それだけじゃない。今からおれの話す言葉を耳に入れて欲しいんだ。きみには信じられないかも知れない。……だが、真剣に聞いてほしいんだ」

「突然、何を言い出すんだ?」

「少し長くなる。座ってくれ」

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