第17話 持ち込み禁止
「ちょっと、いいかしら?」
ひとりの中年女性が近づいてきて、そのまま神原浄のテーブルの正面に座った。グレーのスーツに身を包んだ、三十代後半の女性。短く刈った髪に厚い眼鏡をかけている。
「……他にも、席が空いてるだろ?」
神原のことばに、中年女性は微笑んだ。握手を求めて、手を差し出した。
「神原浄刑事でしょ? あたしは、葉月です。捜査一課」
神原は眉根を寄せた。差し出された手を無視した。
「もう、刑事じゃない。〝同類〟とも違う」
先ほど高倉に言われた皮肉を繰り返した。神原を無視するかのように、葉月と名乗った女性は眼鏡を外してハンカチで拭き始めた。
顔に疲れが見えた。しばらく寝てないのだろう。
「ええ、そう伺ったけど、今朝は署の方に顔を出してくださったと聞いて、こちらかもご挨拶にと思ったの」
「無理やり、署に連行されたんだ。二週間前、ここに着いたと言ったばかりにひどい目に遭った。見てくれ、この手錠の痕を」
「時期が時期だけに、逆らったりするからよ」
神原の腫れた手首を見ても、我関せずといった様子で、葉月は離れていたもう一人の若い男にコーヒーを持って来させた――おそらくコンビで捜査している片割れだろう。ずいぶん若い印象だ。捜査本部の設置と同時に急きょ組まされたのだろうか。
神原は、事件のことは知らなかったと言いかけたが、会話の糸口を差し出すのを避けて黙った。刑事というのは、相手がけしかけてくるのを歓迎するものだ。そこから捜査のきっかけを見つけたりする。
だが、目の前の女刑事はそんな神原の心などおかまいなしだ。小さなビニールに包まれたクッキーを取り出すと、ぽりぽりと食べ始めた。手作りのようだ。自分で作ったのか。この喫茶店は持ち込み禁止だったはず……。神原もウイスキーを持ちこんで、コーヒーに混ぜていたのだ。人のこと言えない。
ずぼらな性格なのか?……
「東京では、随分と活躍したと聞いたわ。キャリアでもないのにとんとん拍子で、三十代には刑事になっていた。日頃から地べたを這っている地方公務員としては見習いたい限りね。コツがあるんなら、ぜひ聞きたいわ」
「おれの記録を見たのか」
……いや、違う。彼女のずぼらに見せる外面は、〝見せかけ〟だ。刑事コロンボのようにうだつの上がらなさで油断させて、自身の才能を隠す者はいる。神原は相手を油断しないように自分を戒めた。
「署のデスクトップに履歴がそのまま残ってたの」
「個人情報保護法ってのを知らないのか」
「先に、お巡りさんにパソコンの使い方を教えた方が良さそうね」
神原は舌打ちした。
「……運が良かっただけだ。地べた這っていた巡査時代にたまたま連続して手柄を立てられたおかげだよ」
「でも、わずか数年で築き上げたそんな立派なレジメをふいにして、あっさり故郷へ戻るなんて、随分勿体ないことだと思うわ。ご両親も残念がったでしょう」
「親は両方とも死んだ」
「失礼なこと言っちゃったわね」
「いいや。遺産が入ったんだ。たんまりね。稼ぐ意味が無くなったので、刑事を辞めたんだ。しばらくはのんびりぶらぶらとするつもりだ」これくらいの嘘はいいだろう。遺産は、たんまりではなかったが。
「だから、昼間っからお酒ってわけ?」
葉月は、神原の持つ酒瓶に目を走らせた。
「悪かったな。他に趣味がないんだよ」
「アル中になるわよ」
「その一歩手前だがね」
「この町の中心には河原があって、ゴルフ場やサッカー・グラウンドもあるわ。お年寄りがゲートボールをする微笑ましい光景も」
「そこで飲めって?」
「ひとりぼっちで飲むより……」
「おれがそんなフレンドリーな人間に見えるか?」
葉月は足を組み、やれやれといった感じで首を回す。スカートに飛び散ったクッキーのかすを払った。お世辞にも上品とは言えず、容姿にこだわらない性格のようだ。頬のファンデーションとアイシャドウもぞんざいで、口紅の色も濃すぎて合ってない。才覚と実力で勝負する性格か。仕事優先の生き方。鍛えられた腕と脚が、幾多の現場を体力で乗り切ってきたことを物語っていた。左手の中指にはめた指輪も傷だらけの安物だ。
「神原浄にとって、刑事はただの腰かけだったようね」
「ずいぶんだな。葉月……ええと」
「葉月道子。生まれ故郷で起こっている連続殺人はどう思う?」
「遺憾だよ」神原は続けて言った。「悪いが、ひとりにしてくれ。考えごとがあるんだ」
葉月道子は、ナイフのような眼光を神原に向けた。
「事件のことは聞いたでしょう? ニュースでも流れてる。どう思う?」
徹底的に諦めない女性らしい。
葉月は熱そうなコーヒーを口に含んで、神原のことばを待った。
「牢屋に放りこまれたときに新聞を見せてもらった」
「じゃあ、署内がぴりぴりしているのは見たわね?」
「いまだ容疑者も確定できないらしいな」
「そう。だから、次々と怪しい人を牢屋に放りこんでは、事情聴取してるの」
「さっきお巡りさんには町を出て行けと言われた」
「ああ、そう。でも、それは困るわ」
「どうして?」
「かつて名を馳せた刑事さんに、少しでもご協力願えたらと思ってるから……誘拐事件を担当したことがあると記録にあったけど、あたしたちの捜査に助言を頂きたいもの」
「残念だが、協力なんてしない。もう現場から離れたんだ。捜査本部は矢河原署にあるんだろ? 解決の糸口を探して、容疑者逮捕に必死な様子はよく分かる。おれにも覚えがある。だけど、警官同士が手柄を競って派閥争いをする風景はよく見た。とばっちりを受けたくない」
「あら、そう? それにしては、今日は商店街を物色するようにうろうろ」
「尾けてたのか?」
「先ほどは路地でひとり、スマホで壁の写真を撮っていたわね」
「……」
「それってかなり変だと思わない?」
神原は心のなかで地団太を踏んだ。ヤンキーの学生の霊と話していた風景を見られていたのだ。〝ふつう〟の人間には、霊は見えない。ゆえに当然ながら、神原が霊と話している様子は、他人からはただの一人漫才の風景に過ぎない。壁と話している狂人に見られても仕方がない。
「自撮りしてただけさ。無精ひげがちくちくしたんでね」
「ふーん」
明らかに神原のことばを信じてない。
「おれを異常者か、容疑者か何かにしたいみたいだな」
「そうは言ってないわ。捜査員がただでさえ足りないの。仲良くしたいだけ」
コーヒーカップに口紅がべったり残った。
葉月は、女性用には似つかわしくない黒い鞄から数枚の写真を取り出した。事件に関わる被害者を写した現場写真だ。神原のカップを堂々と脇に退けて写真を広げた。
「この胴体を見て」
「見たくない」
「いいから。見るのよ」
葉月のナイフのような視線が神原に刺さった。そのナイフは鋭かった。
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