第18話 蜘蛛の巣と蝶
写真は神原の視野を覆うように真正面にきっちり置かれた。
「まるで魚をさばくように、胴体が切り裂かれているのが見えるでしょう?」
そこには仰向けでからだを川に浸す男があった。まるで風呂に入っているかのように。胴体のちょうど胸の部分をごっそり失っている。あばら骨が見えるその姿は、葉月の言う通り、魚がまな板の上で放置されたようだ。死んだ魚のように男の目もうつろだ。
「被害者の英男くんは、草むらで見つかったと聞いたぜ?」
写真の男は十代の若者には見えない。
「さすがによく覚えてるわね。そう、これは新しい被害者なの。夜明けに見つかったばかりなのよ」
「三人目の被害者ってわけか……あんた、こんな処でぶらぶらしてていいのか」
「あたしは聞き込みもやる刑事ってわけ。身元を調べている最中だから、仮にAさんということにしましょう」
葉月は次々と写真を取り出し、テーブル上に並べた。現場の用水路に警官が群がる様子が写っている。
残酷な写真が並ぶ。葉月のそばに立っていた、若い刑事が目を背けた。
周囲に客がいなくて良かった。とても喫茶店で眺められる風景ではない。
「カンベンしてくれ。見たくないって言ってるだろう」
「鑑識の結果、体を刻んだ切断面が、英男くん、好美ちゃんとも共通してるの。刃渡りのある大きなナイフか包丁、もしかしたら斧でやったのかも知れない。慎重に刃を立てたわけじゃなく、ずばっと力任せに突立てている。……不思議だと思わない?」
「いい加減にしろよ」
写真には見覚えのある姿――足を無くした少女、及川好美もあった。川から拾い上げられビニールマットに寝かされている。ちらと写る警官の足は、高倉か田原だろうか?
神原が見た少女とうりふたつだが、写真の少女は目をつぶっており、まるでスペアパーツを無くした人形のように見えた。
神原は、酒まじりのコーヒーから苦味を感じた。
「“もと”刑事として思うことはないの?」
葉月は、口からクッキーのかすをこぼしながら言った。
「くそ。何か理由があって刃物を使ったようだが、刺した場所に共通点が無いな……殺人の嗜好がある者は、刺す場所に似た傾向があるものだ」
「英男くんは腹部。好美ちゃんは、左足。Aさんは胸」
「何度も突き刺しているようにも見えない」
「そうね。全員、暴行を受けた様子はない。服のいくつかにどこかで引っかけたほころびはあるけど、それ以外に怪我はない。犯人は彼らの前に現れて、瞬時にそれぞれを傷つけて、そのまま逃げたような感じ」
「すごい力だ。目的が見えないな」
「怨恨じゃなさそうだけど、両者を襲った犯人は、同一なことだけは確か。手口は似ているし、同じ凶器が使われたみたい」
「単に、他人を傷つけたいと思ったイカれた乱暴者かも」
「少女を狙う変態なら、男の腹を切り刻むのに興味はないはずだしね」
「これだけのことをすれば、返り血を受けずにはすまないだろう」
「死体はすべて川辺にあり、あいにく証拠も流されたらしく不十分……だけど、川底をさらっても凶器になるようなものは見つからなかった。用水路近辺は人通りが少ないけれど、土手を越えればすぐに住宅街と工場があるから、血まみれの人間がうろうろ出来るはずはない。五月とはいえ水温は低いし、深い川を泳いで向こう岸には行けない」
「ニュースでは、不審な二十代から三十代の男性を見たと言ってた」
「マスコミはいい加減よ。とはいえ最近、大ぶりな刃物を買ったものがいないか、隣町まで範囲を広げて当たった……けど、そういった人物は特定できなかった。もとより、この町は家具が特産品だったから、モノを断つ刃物はありふれてる。犯人は男だろうとは推理されるけど、確証にはつながってないわ」
「他にも、行方不明者がいると聞いた」
「捜査本部は、当然事件に関連性があると思ってる。この町のどこかに、ベイツ・モーテルがあるってことね。そんなサイコで、クレイジーな輩がそこらをうろついているのよ。狂った中年男性か、アル中の女か。鬱の学生か、誰か分からない。鏡を見て、ニヤニヤと自分を褒めてるかも。ぞっとしない?」
「早く捕まえてくれ」
「そうしたいのはやまやま。おかげで寝不足だし、連日マスコミや上司に叩かれてるしね。気が気じゃないわ」
葉月はコーヒーをぐいとあおった。
「捜査の邪魔はしないよ」
「ええ、そう願うけど。何か気づいたら、真っ先にあたしに連絡して」
「真っ先に? 手柄が欲しいのか?」
葉月はにやりと笑った。
「出世したいもの。これ、食べる?」
葉月は、ポケットからクッキーの残りを取り出した。
「いらない」
「……あたし、太る体質だから。砂糖ぬきを自分で作ったの。でも、おいしいのよ」
言いたいことを言い切った感じで、女刑事は眼鏡をかけ直して若い相棒と階下へ消えた。若い刑事は紹介されなかったが、葉月のコーヒー・カップのそばには名刺があった。
神原は、胸にわだかまった気分を押さえる為に、空になったカップにウイスキーを足した。ちっとも町のことに関わりたくないのに、いまや事件から離れられなくなりつつある。テーブルから見える屋根に大きな蜘蛛の巣があった。蝶のような虫が捕らえられている。
冗談じゃない。
霊からだけじゃなく、警察の関係者にも、誰にも会わない場所を探したかった。
神原浄は商店街を外れて、かつて学生時代に通学路として使った裏通りへ向かった。いくつか懐かしい風景に導かれるまま、〝わたし〟の神社にとうとう足を踏み入れた。
神原がいよいよ高い石段を登ってきた。
読者の方々は、覚えているだろうか――〝わたし〟のことを。
この物語が、わたしの見た〝悲しみ〟から始まったことを。
第一話・プロローグを読み返してくれてもいい。この物語の主人公は神原浄だが、語り部は〝わたし〟だ。
さぁ、ゲーム開始だ。
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