第15話 歴史という霊

 ヤンキーの学生霊と別れ、やがて神原浄は時代劇のセットに紛れこんだような錯覚を覚えた。商店街のすれ違う人間たちのいくつかが、江戸時代や明治時代の古い着物をまとい、目をふせて歩いているのに気づいたのだ。

 買い物客に、羽織りや袴が紛れる異様な風景。

 印象は決して明るいものではなかった。カラーとセピアが混じっているような……そんな違和感を感じさせた。

 いまだに成仏できず彷徨っている者たちが、神原浄の目に次々と浮かび上がっている。

 それだけではなかった。神原が商店の並ぶ交差点で立ち止まり、はるか向こうに見えた風景に、思わず呆気に取られた。

 あろうことか古い木造の城が見えた。はるか前の時代に築かれた小さな城だ。

 太平洋戦争で燃えてしまった、矢河原城。

 長い年月を経た建物は、それ自体が生命力を持ち、失われた後でもその姿が残ることがある。霊力を携えた物質が、まるで時を押しのけるようにその姿を現すことがあるのだ。はるか戦国時代に焼けたはずの城が堂々と現れたのは、何かの冗談のようだった。

 あんなものは子どもの頃には見えなかった。

 神原浄の霊を見る感覚が強くなっているのか。

 それとも、この町の何かがおかしいのか。

 神原が十才だったときに公園に立っていたブナの巨木も、青々とした姿を復活させジャングル・ジムとブランコを同化させていた。これは確か、道路が拡張されたときに伐採されたはずなのに。

「おっと、ごめんよ」

 ひとりの着物の霊が、神原の肩をかすめた。

 子どもの頃に、霊に触れることで知った冷気を思い出した。心地よい感覚とは遠い。

 時おり、突き刺すような視線を感じた。一部の勘のいい霊は、自身を“見る”ことが出来る者を注視するのだ――つまり、霊感を持ってる者が分かる。

 すれ違った者のなかには、先ほどの不良少年の霊のように、神原の才能に気づく者たちがいた。霊は孤独だ。相手にして欲しいのだ。

 子どもの頃の神原は、そういった視線をかわす術を自ら編み出した。

 徹底的な無視だ。

 ……だが、いまやそれが難しい。まるで痛みを伴うように、かれらの視線が痛い。まるで魂に突き刺さるように、ひりひりする。頭の奥がちくちくする。痒いと思った場所を掻いても、痒みが取れないときがあるが、そんな苛々させられる感覚に近い。

 無視はある意味で技術なのだが、神原はそれをしばらく忘れていた。

 神原浄は駆け出した。早く、ここから離れなければ。

 いきなり目前に馬が現れ、鼻息荒く走り去った。腹に矢を受けた暴れ馬の霊だった。

 どこを見ても、霊と霊の風景があった。町の“歴史”が神原に襲いかかってきているようだった。次々と、異質な光景が目に飛び込んでくる。

 町の“歴史”が重力となって、神原を襲いくる。実在する町の風景と、霊のちからが宿る風景が溶けこむのに混乱を覚える。

 ――いや、どちらも存在するのだ。それが、見えるか見えないかだけだ。

 アルコール漬けだった脳が、少しずつ研ぎ澄まされるようでもあった。古いパソコンにメモリが足され、最新ソフトウェアを動かそうと熱を持つ感じ。脳がオーバーヒートしそうだ。エラーが出て、システムクラッシュするのは時間の問題だ。

 おれは何かに変わりつつあるのか……?

 自らの変化を歓迎できなかった。先ほどの不良少年を説得できなかったことにしろ、最近まで見えなかったものが見えるようになったことにしろ、内面に生まれ渦巻く異質な感覚に戸惑う。軽いパニックがぶくぶくと泡立つ。

 どうしてこうなったのか、分からない。


 みじめな気分のまま、神原浄が商店街の脇道に逃げ込むと、白い自転車を押して歩いている警官とばったり出会った。今朝、神原の腕をねじった太めの警官だ。

「おお、神原刑事」

 神原に気づくと制帽のまま会釈したが、その渋々といった表情を見ると、会いたくない人間にまたしても会ったという感じだった。

「ご苦労さまです」

 神原は、警官の名を思い出した――高倉だ。

「よしてくれ。今朝も言ったが、もう〝同類〟じゃないんだ」

「……まあ、そうですがね。仕事のつらさを知っている人間は少ないもので」

 高倉の目の下には薄く隈があった。神原を早朝に相手にしてから、一睡もしてないのだろう。徹夜は警官の勤めのひとつだが、そう思うと神原はこの男が気の毒になった。

「面倒かけて、すまなかったな」

 本心ではなかったが、建前でそう言った。

「いいんですよ。それよりも、……失礼だとは思いましたが、神原さんのことを聞きました。東京では活躍されたそうですね」

「そうでもない」

「ミタカ事件も担当されたそうで」

 神原は、高倉が自身のことを調べていたことに内心面白くない感情を抱いた。

「……ああ、いい思い出じゃない」

 ミタカ事件とは、神原の担当した誘拐事件のことだった。東京三鷹市を中心に、幼女ばかりを狙った悪質な事件。神原浄は捜査員として、刑事課長の補佐的役割で直接陣頭指揮にも関わった。一時はマスコミを賑わせ、連日大きく報道された。

 だが……事件は、高倉の言ったように残念な結果となった。犯人は捕らえたが、誘拐された全員が戻らなかったのだ。

「ミタカは残念な結果でしたが、この町で起こっている誘拐事件に関連性はありませんかね?」

 高倉が、覗きこむように神原を見た。その瞳は挑戦的だ。皮肉も混じっているように感じるのは、神原の考えすぎだろうか。

 あえて渋面を作り、神原は「分からない」と言った。

「おれは、辞めたんだ。捜査にはテレビで見た程度の興味しかない。マスコミが伝えてる以上の情報は知らない。今朝まで、ニュースもネットも見てなかったんだ」

 ずっと酒びたりだったんだと付け加えようかと思った。

「豊富な経験から、犯人像が浮かんだりしないですか?」

「誘拐事件もいろいろだからね。今回さらわれたのは、高校生に女の子……被害者に統一性があると思えない以上、迂闊なことは言えないよ」

「故郷に戻ったついでに、調べてみようとは思いませんか?」

「冗談じゃないよ。お巡りさんたちの縄張りを荒らそうなんて考えてない」

「協力者が多いと大助かりなんですがね」

「あてにしないでくれ」

 神原がそう言った途端、それがまるで何かのスイッチを押したかのように、高倉の眼が吊り上った。

「……なら、町を離れてくれよ」

 急に言葉遣いが馴れ馴れしく、乱暴になった。

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