第13話 ヤンキー学生霊

 父親がかつて使っていた枕のせいか寝つけない。

 ……酔いが足りない。

 アルバムをきっかけに生まれた少年時代の思い出を振り払い、神原浄は冷蔵庫に残るすべてを飲み干すつもりで、再び一階に戻った。テレビが点きっ放しで、ニュースを流し続けていた。

「少年少女を襲った殺人事件に、警察は町の警戒を強めており、事件に関わるすべてを捜査中です。一部の情報によりますと、二十代から三十代と思える不審者の目撃情報が寄せられており、目下警察はその人物を捜索中とのこと……」

 ニュースには知らないアナウンサーが登場していた。どうやら地元のローカル局もこの事件に集中しているらしい。事件発生から二週間経ってもまだ関連した情報を放映しているとは、それだけこの町には衝撃的だったということか。

 見慣れた風景が出てきたので、思わず神原はテレビに見入った。昨晩過ごした商店街を背にして、若いレポーターがカメラに喋りかけている。町の中央を流れる河川の風景にカメラがズームする。

 あれが例の事件現場か。

「かわいい女の子でね。すれ違うときは、あたしにでさえ笑顔を向けてくれたの。まだ、年端もいかないのにひどい。犯人を許せないわ」

 中年女性が涙を浮かべてインタビューに応えている。

 生前の少女の写真が映った。幼稚園でブランコに乗って笑っている。

 顔色こそ違うが、神原が今朝、商店街で見かけた少女だ。

 あの、けんけんぱの少女だ。

 神原の脳に、片足で人形を抱えた少女の面影がふたたび浮かんだ。青白いネオンに透ける大きな瞳。左足を切断されたまま、平気で町をうろつく姿が異様だった。

 ……だが、霊というものはそもそもそういうものなのかも知れない。問題は、死後もその姿のまま両親を探して彷徨っていることだ。

 親の処へ戻ると言っていたが……。

 たとえ帰宅することが出来ても、両親にはその姿が見えないはずだ。それは神原がいちばんよく知っている。そう思うと、少女が気の毒だった。

 年月とともにすっかり色あせたカーテンを引き、窓から外を眺めた。

 よく遊んだ小山と森が消え、ラブホテルの看板が遠くに林立している。友人が住んでいた文化住宅が消え、悪趣味で無骨なデザイン・マンションに様変わりしていた。空の色でさえ、違和感がある。記憶にあった風景が、年月とともに蝕まれた苦い感じがした。

 神原は落ち着かなくなり、じっとしていられず靴を履いた。


 商店街は、活気を取り戻していた。神原が倒した酒瓶と布団代わりにしたダンボールは、誰かに取り払われ、その場にパチンコ屋の立て看板が備え付けられていた。

 いまや通りは買い物客でごった返している。家族の為に昼食の用意を買出しする主婦がほとんどだが、ヒマを持て余している老人の姿もあった。年端のいかない子どもたちの姿もあったが、ほとんどが事件の影響なのか、保護者がそばにいる。

 神原が小学生の頃に立ち寄った駄菓子屋は無くなり、スピード写真を売りにするカメラ屋になっていた。中学時代に通った粗末なゲームセンターは、いまや女子高生用のプリクラ・ショップとなっている。

 倍に増えた商店はどれも見覚えがなく、そこを出入りするのはすべて見知らぬ他人ばかりだ。心なしか誰もが他人を警戒しているように感じられた。ビデオカメラを担いだテレビのスタッフが見えたが、住民らは関わりあいになるのを避けるように逃げている。

 生まれ故郷が、すっかり変わってしまった風景に神原は少し戸惑った。

 まるで異星に降りたようだ。

 神原は、辺りを見回した。……また、あの少女の姿を見ることがないかとふと思ったのだ。

 自身に復活した感覚の正体――己に正直に言おう――〝霊を見る〟というあれが、今朝だけに生まれた感覚だったのか、それとも、また幼年時から成年になるまでに神原を悩ませた感覚の復活であるのか引っかかった。

 けんけんぱの少女――及川好美の裂けた足。

 警察署の地下にいた老人のうつろな目が浮かぶ。

 仮に霊を見ることが出来る感覚が戻ってきたとしても、それを歓迎する気にはとてもなれない。子どもの頃は、そのせいでずいぶん傷ついたものだ。友人になれるはずだった人間たちと、うまくいかなかったのはそのせいだとも思う。もとより神原は社交的ではないし、幼少時に身についた霊たちとの遭遇によるトラウマは、人付き合いの苦手な性格に加担していることは間違いないと思う。

 この二週間飲み歩いた場所では、すべて一人だった。

 あえて誰とも会わないように気を配っていたにも関わらず、会いたくない者たちと出会うはめになった。霊と機嫌の悪い警官だ。警察勤めだったのに牢屋へ放りこまれた。皮肉な話だ。

 おかげでこの二週間で得た酒混じりの心地よいまどろみが消えてしまった。

 どこかに酒屋はないだろうか。やり直しだ。

 ずいぶんペットショップが多い。いつの間にこの商店街にこんなに増えたのだろうか。ガラスケースの向こうには、様々な種類の子犬がいた。ビーグル犬が神原を見て尻尾を振った。台に乗せたマルチーズ犬の毛を刈るトリマーもいた。仔猫同士がじゃれあっている。

 犬猫を模した看板がやたら多い。買い物客にも紐をつけた犬と歩いている者が多く、吠え合うペット同士を引き離すのに手こずっている。

 神原の目にひとりの〝学生服〟が見えた。

 今では見かけない長ランだ。現代では売ってない学生服だ。落ち着きのないその少年は、十五、六くらい。髪型はニワトリのように逆立っていた。髪がてかてかとポマードにまみれているのに反して、顔色は紫のまだらに覆われており、その向こうに通り過ぎる買い物客が透けていた。

 昭和の生まれ。80年代くらいか。

 神原がその少年をしばらくじっと見つめていると、相手もそれに気づいたらしくよたよたとガニ股で近寄ってきた。

「何だよ、おっさん」言葉に時代と合わない調子が含まれていた。

「別に」

 神原のその一言に、少年の幽霊はわずかに驚いたようだった。

「オレ様が見えんのかよ!」

 ことばが古い。

 少年は朝から誰に話しかけても答えてくれなかったと愚痴り始めた。タバコの自販機に入れるコゼニもないし、カツアゲする下級生もいやしねぇとこぼした。

 神原は、やれやれと首を振った。

 感覚が消えていない。それどころか、鋭敏になっている気がした――こんな真昼間から見えるように。ことばもはっきり聞こえるし、こちらのことばも通じる。

 神原は、あてつけがましく長いため息をついた。

「おっさん、タバコ買ってくれ」

 神原が駄目だと答えると、少年は透き通った唾を吐いた。

「じゃあ、シンナーでもいい」

 昭和の終わりあたり、学生がシンナーという有機溶剤を吸って亡くなる事件があった。溶剤をビニール袋に入れて、その蒸気を吸うと酩酊状態となる。健康を損ない、最悪死に至る。少年は歯がぼろぼろな様子からして、おそらくシンナー中毒か何かでそのまま逝ってしまったのだろう。誰にも相手にされないのが、誰からも見えないからだと気づいてない。少年は自分の服装がとっくに時代遅れであることに気づかず、自分が死んだことにも気づかない。

 自分が霊だと気づいてない、典型的な自縛霊のようだった。

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