第12話 野犬の遠吠え
〝かれら〟はときに語りかけてくる。コミュニケーションをとろうとしてくる。
あの着物の少年はずっと立っていた。同じ場所に、雨の日も。目を合わさないようにしても、神原少年はずっと視線を感じた。何かを訴えかけてくるようだった。
「ここで約束してるはずなの。友だちが来るのよ。だから、待ってなきゃならないの」
駅前道路の片隅から、女子高生が話しかけてきた。
少女の頭の半分が崩れていた。脳にガラス片が刺さっており、ブレザーが赤く濡れていた。その少女の足元には、花束やペットボトルが置かれていた。
「ね? ヨシコ見なかった? あたしと同じくらいの背よ」
なぜだか分からないが、女子高生はしつこく神原少年に食い下がった。
「みんな、あたしを無視するのよ~」
どうやら、〝かれら〟は自分にしか見えない。
「また、気味の悪い話なの? そんなことばかり言ってると、友だちに嫌われるわよ」母親が言った。
とっくに嫌われている。
クラスではみんなが薄気味悪がって、誰も神原に話しかけてこない。いじめとも違う隔絶だ。人間扱いされておらず、異種扱いとされている。勉強も手につかず、一人で過ごす時間ばかり。生きている意味についてばかり考える。少年時代にそれは絶望的な悩みで、もはや生死の問題だ。このままだと気が狂ってしまうかも知れない。
いつも誰にも見られないように、神原少年は頬を拭った。孤独と恐怖の混じった涙が止まらなかった。
追いつめられている。
夜毎に布団にくるまり、心臓の鼓動を聞きながら震えた。そんな時は、いくら腕をさすっても温かくならず、その〝さむけ〟が恐ろしかった。自分が冷たく、何かに変質するような気がした。冷たい彼らのように――このままどうにかなってしまうのだろうか、と思った。
嫌だ。つらい。
髪をかきむしり、爪を噛み続けているうちに、血がにじんだ。
血を見て、考えた――生きている。
自分は生きているのだ。温かい血が通っている。
〝かれら〟とは違うのだ。冷たい者たちと関わる必要はないはずだ。
〝ふつう〟でいたい。
普通でいられるはずだ。
自分に課すのだ――普通でいることを。〝かれら〟に話しかけたり、話しかけられても応えないことを己に課すのだ。そして、見えることを他人に伝えてはならない。
……そんな生き方を神原少年は自分の楚にした。
テレビの心霊番組やその手のマンガを追いかけて、〝かれら〟について勉強した。
なぜ自分だけに見えるのか、なぜ声が聞こえるのか――そんな疑問に答えが得られる機会は少なかった。学校の図書室に求める本は無かったので、オカルト番組を食い入るように見つめた。大抵、そういった番組に出演している大人たちも、神原少年と同じように非難される存在だったので、そんなアウトサイダーたちの立場に妙に共感した。
心霊写真などを片手に解説する研究者たちは、自分に近い感覚を持っているようだった。そんな大人たちと話したいと思ったが、田舎学生の身で遭う機会はまるでなく、独力で結論を導くしかなかった。
徹底的に無視するのだ。
神原少年は高校を卒業するまで、〝かれら〟に目を向けなかった。電信柱の老婆は無視することにした。鎧兜の見える友人宅には二度と遊びに行かなかった。古い着物を着ている子どもに話しかけられても素通りした。
何か普通じゃないものが見えるとき、見えそうなときはさっと目をかわすのがクセになった。
「神原、おまえ幽霊が見えるって本当か?」
クラスの外の何人かが噂を聞いて、からかいまじりに神原に話しかけてきた。
「テレビの心霊スペシャルとか、どう思う?」
「今度、どこに幽霊がいるか教えてくれよ」
そういった質問に、神原少年はこう答えるようになった。
「見えるわけないだろ」「ごめん。嘘だ。ちょっとからかっただけだ」「そういうこと言うと、みんなが怖がるので面白かったんだ」
……笑顔を繕うのに、最初は努力が必要だった。
無理やり笑うにつれ、少しずつ周囲から話しかけられるようになった。
友だちの信頼を再び得るには時間がかかったが、神原が成長するにつれ、その努力が実るように〝かれら〟の姿は少なくなった。やがて本当に見えなくなり、思い出になった。
夜明けのまどろみとともに消える夢の残りのようになった。
すっかり忘れていた。
……そう思えていた。野犬の遠吠えが聞こえるまでは。
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