第11話 父親の酒のにおい
「冗談を言ったんじゃない。あそこにいるじゃないか」
神原少年の指した方向を、友人たちが胡散臭げに見た。
「誰がいるって?」
名前を思い出せない友人のひとりが言った。
「こっちをじっと見てる。おまえら、目が悪いんじゃないか」
「目が悪いのは、神原だろ。おまえこそ、おかしいんじゃないか」
「おれは、おかしくなんかない!」
「いや、変だ。母ちゃんに病院に連れて行ってもらえよ」
友人たちの目はゲーム盤に並ぶ駒に戻ったが、神原はいつまでも屋内を見つめる鎧兜の男が気になって、まったく集中できなかった。微動だにしない充血した瞳。食いしばった歯に血がにじんでいる。目が合うたびに戦慄した。
その晩、母親に相談したが、友人たちと同じような冷たい言葉を返された。
「そういう気味の悪い話をすると嫌われるわよ」
「本当にいたんだよ!」
「あなたみたいな……小学生の頃は、テレビやラジオに影響されやすいのよ。これからは、夜中まで変な番組を見ちゃ駄目よ」
「テレビなんかじゃないよ。本当にいたんだ」
「嫌な子。そういう気味の悪い嘘をつくんじゃありません」
「嘘じゃないったら!」
「お父さんが帰ったら、叱ってもらいますからね」
父親も母親同様、神原のことばを信じなかった。酒のにおいをさせた父親は、代わりにげんこつをくれたほどだ。
小学校に身を置く数年は、周囲のあらゆる人間の袖を引いて体育館裏の少年を証明しようとした。放課後、少年に近づいた。だが、腕は確かに見えているのにうまく掴めないという事実だけが残った。
神原少年にも、ようやく“かれら”が何なのか、うっすらと分かってきた。
かれらに触れようとすると、何かがそこにある感触だけは分かる。しかし、その部分だけ冷気が固まっているような不思議な感覚しか残らない。相手も目をいっぱいにして驚いていた。代わりに近づいてきた手が触れると、そこだけ凍るように冷たくなった。触れられてはいけないものに触れられたような恐怖もプラスされ、その瞬間は背筋が凍った。
神原少年は、一目散に家に逃げ帰った。
関わりあいになるのはマズいと本能的に思った。
しかし、悩み続けるワケにはいかない。当初は真実を突き止め、証明し、知らしめねばと思った。
数日後、父親のカメラを拝借し、電信柱にいる老婆を写真に撮ろうとした――フィルムを町のカメラ屋に持っていって現像しても、そこには靄のようなものしか写らなかった。
それは文字通り、心霊を扱ったテレビ番組に出てくる「心霊写真」とそっくりだったが、それを両親に見せたところで仕方ない。
証明は無理そうだ。
とにかく、自分の人生から追い払いたいのだ。
勇気を振り絞って友人宅から気味の悪い鎧兜の男を追い払おうとした。箒を持って、刀を持った相手をしっしっと突いたのだ。
箒は素通りし、1ミリすらかれらを立ち退かせられない。
その間も「いる」と周囲を説得し続けたが、その努力の甲斐はなかった。常に周囲の者たちから非難がましく薄気味悪いものを見る視線を投げかけられた。悪質な嘘つき呼ばわりされた。普段は話さないような連中たちでさえ、神原を狼少年扱いした。子ども心にそのショックは深いキズとなった。
「おまえ、ちょっと頭がおかしいんじゃないか?」
「気持ち悪いことばかり言うなら、もうおまえと話したくない」
「誰もいない場所を指さすのはよせ。うっとおしい」
「人の家の庭で箒を振り回すな。母さんも、もうおまえと遊ぶなと言ってる」
神原少年の心に厚い壁が築かれ、友人たちと距離が生まれた。それまでに培った友情や信頼と呼べる何かを失うのを感じた。
クラスメイトの視線さえ変化したようだった。隣に話しかけてもその返事がどこかよそよそしい気がする。誰もが自分を責めているような孤独感を味わった。生活の変化に戸惑い、それがいつも気を病み、誰の言葉にも集中できない。知らず神原は学校の授業中に外を眺めるようになった。成績の急降下を心配した両親は、神原を医者に見せたが何の結果も出せなかった。
神経症ノイローゼと診断された。
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