第7話 首吊り老人

「勘弁してくれよ。もう犯罪者扱いか」

 窓のない狭い鉄格子のなかは、先ほど寝ていた商店街の片すみに比べれば温かかったが、神原はひどい屈辱を感じた。

「手間がはぶけるかも知れん」高倉が格子の鍵を閉めた。

「ふざけるな。扱いがひどすぎないか、お巡りさん。この町じゃ、いつも不審者に手錠をかけるのか? おれが新聞や何かに、過剰な聴取だと訴えたらどうするんだ? 留置場に押しこめるのはやりすぎだ。懲戒免職になっちまうぜ?」

「〝今〟は、そうならない」

「なぜだ?」

「いつまでもとぼけるな」

「何のことだ?」

 いくら話しかけてもそれ以上答えがないので、神原は長椅子に横になった。

 しかし、向かいの鉄格子からの気配に気づくと、落ち着いていられなくなった。

 窓枠に布切れを巻きつけ首を吊っている初老の男がいた。

 だらんと舌を垂らし、目はそれぞれが反対方向を向いている。首はまるで三角定規をあてたように直角に曲がっていた。宙に浮いた足からぽたぽたと赤いものが流れている。

「くそっ! ここから出してくれ。頼む!」

「いい加減にしろ」高倉が吸っていた煙草を床で押し潰した。高倉は田原を待つ為、部屋の隅でくつろいでいる。

「ここは嫌だ。カンベンしてくれ」神原は高倉に詰め寄った。

「そんなわがままが通用すると思ってるのか。ふざけるな」

「そこに首を吊って死んでる男がいる」

 一瞬、ぎくりとした顔を見せたが、警官はすぐに唇を端を歪めて笑った。

「薄気味悪いことを言うな。何をたくらんでいるのか知らんが、ここを出ようとしたって無駄だ」

「あんたには見えないか?」

「わけ分からんことを」

 高倉は動かなかった。

無駄と知りつつも鉄の扉を蹴り開けようとした。びくともしないので、狭いなかを動物園の獣のようにうろうろと歩き回った。しかし、どの角度からも老人の視線がついてくるような気がした。それは閉所恐怖症と重なり、神原をパニックで包んだ。

「くそっ、どうしてこうなったんだ」

「自分から蒔いた種だろ」

「おれは何もしてない!」

 なぜ、今朝から突然片足のない少女や、首の折れた老人を見えるようになったのか。

 いままで全くなかったとは言えない。しかし、こんなに頻繁に霊を見るようになったのは異常だ。

(おれのなかで何かが起こっているのか?)

 手が震える。

 底知れない不安が冷気と混じり、体を震わせる。どうやっても止まらない。

「なあ、お巡りさん、こんな処に閉じこめられると気が狂っちまうよ。施錠のままでいいから、せめて取調室とか他の部屋に移してくれ」

「しつこいぞ」

 神原と高倉の問答のうち、田原が降りてきた。

 そして、先ほどとはうって変わった様子で、丁寧に神原を留置場から出した。

「おいおい、何なんだよ」

 施錠を解かれた神原を見て、高倉が憮然とした様子で言った。

 田原がしーっと制した。「神原刑事に失礼のないようにしろ」

 高倉が憮然から唖然となった。

「刑事だって?」

「だから、……もう、これ以上は」

 そして、田原は神原の財布をおずおずと差し出した。そして小声で高倉に耳打ちすると、今度はふたりそろって帽子を脱ぎ、謝罪を始めた。

「どうも、すみませんでした」

「だから、無駄になると言ったんだ」

「……本庁の方だったとは知らず。大変、失礼しました」田原のそのことばに高倉は口をあんぐり開けている。

「同類だと言ってくだされば」

 田原のその言葉が引っかかったが、神原はため息をついた。

「もう、辞めたんだ。いまは……ただの無職の中年に過ぎない」神原は、痕になった手首をさすりながら眉をしかめて呟いた。

「東京の方だと、最初から言っていただければ……」

「どうやら署にあるデータは古いようだな」

「署員のデータベースを積極的に更新する者はいないので」

「おれは本庁にはいなかった。だから、同類でも仲間でもないと思ったんだよ。だけど、ふるさとで檻に放りこまれると分かってたら、警察手帳くらいは残しておくんだったな。桜田門がついたものは全部返却したんでね」

 ふたりの警官は、どう答えていいか分からず苦笑いした。

 神原は首吊り老人の視線から逃げるように階段を上った。

 誤解が解かれたことより、それが一番ほっとした。


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