第6話 少年時代の夢

 神原浄は、朝日が街に差しこむ様子をパトカーの窓から眺めた。パトカーは道路が空いているにも関わらず制限速度で進んだ。

 神原の吐く息が窓に白く残り、その向こうに記憶とはすっかり変わった風景が過ぎていく。町を囲むように小山が並んでいるのは昔のままだが、そのいくつかは開発で削られたようだった。せっかくあった自然を削って、ソーラーパネルが並んでいる。神原が少年時代に過ごした野原が消え、灰色の建物がその場に居座っている。

「子どもの頃は、あんな工場は無かった」神原は呟いた。

 ずいぶん広い工場地帯が土手の向こう側に並んでいる。河川に沿うようにどこまでも続く。いくつかの高い煙突からは細い煙が上っていた。

「市長のがんばりのおかげで再開発が進んだ」田原がハンドルを握りながら言った。「有名企業を誘致し、町を活性化させた。就職率が三割もアップした」

「おかげで町が潤っている」ぼそっと太目の警官が続けた。

「そうか。このご時世に生まれ故郷の懐がふくらむのはいいことだ。おれがこの町の生まれだということは分かってくれるだろう? 財布を返してくれ。降ろしてくれよ。おれのことなんか放っておいてくれ。いい加減にしないと、ことが済んだ後で訴えるぜ……ええと」

「高倉だ。訴えたきゃ、そうしろ。だが、先に公務執行妨害ということで臭い朝飯を喰わせてやる。この町の店屋物にはろくなものがないから、期待するな」

 高倉と名乗った太めの警官が鼻を鳴らした。

「町が潤うようになってから、素性の分からん奴が集まって困ってるんだ。昨年は、おまえみたいなのがわんさかやってきた。見かけは薄幸そうな四十五十のオヤジばっかりだったが、暴力団が差し向けた地上げ屋だったんだな。少しずつ不動産に手を回して、ごっそりと買い占めようとしていたんだ。商店街に闇の賭場を作ろうとしてたんだ。おれたちがまず最初にそれに気づいて、住民らを説得しながらようやく追い出すことが出来た」

「チンピラだって見過ごすわけにはいかない。我われの日頃の小さな努力が住民たちを救っているんだ」田原が付け加えた。

「町のヒーローだね」

神原は、「ふるさとを守ってくれて、どうも」とだけ言った。正義感には違いないが、その情熱には歪んだものが感じられた。血気盛んなだけで周囲が見えていない感じ。逆らっても無駄なようだった。


 町の中心からやや離れた矢河原署は、神原が子どもの頃に見たものと変わらなかったはずだが、年月の汚れがそれを矮小に見せていた。室内の構成にも覚えがあった。灰色のカウンターとその向こうに並んだ古い事務机。その奥には錆びたファイルキャビネットが並んでいる。とっくに時代遅れとなったアイドルのポスターが呼びかけてきた。

「気をつけて暗い夜道とまがり角」

ご忠告をどうも。もっと早く言って欲しかったな。

夜明けにも関わらず、五階建ての警察署には多くの人の気配があった。警察官が多数詰めている。この時間帯にしては驚くべき数だ。

「懐かしいな」

 神原が呟くと、高倉が皮肉混じりに言った。

「補導でもされたのか?」

「これでも、少年時代の夢はお巡りさんだったんでね」

「ふん。下手くそな嘘を。こっちに来い」

 高倉がわざとらしく神原の背を小突いた。

幾人かの警官がカウンターを通り過ぎる神原をうさんくさそうに眺めた。大方、喧嘩でもしたのだろうという表情。婦人警官でさえ、汚いものを見るような目をした。田原が慣れない手つきでパソコンを立ち上げ、神原の免許を照合し始めた。

「おい、ちょっと待て。どこに連れていくんだ?」

「いいから、さっさと階段を降りろ」

 神原は地下に降ろされ、留置場に放りこまれた。

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