第5話 二人の警官

 神原浄は、尻に手をやり財布が誰かに抜き取られていないのを確認すると、避難場所を探し始めた。二十四時間営業している牛丼屋かファミリー・レストランでもないかと思ったのだ。

 まどろみを取り戻せる場所が必要だった。

 少女の面影はまだ残っている。

 先ほどの異次元に迷いこんだような混乱を静めたかった。冷や汗をかいた残りのせいで、体が震える。

 ……遠吠えがなぜか耳から離れない。

 しかし、それを打ち消すように今度は野太い男の声が背側から聞こえた。神原が振り向くと、二人組の警官が懐中電灯を持って立っていた。

「おい、そこのおまえ!」

 肩幅が広く、サイズの合ってない制服を無理やり着ているような太めの警官と、対照的に細身でスポーツマンのような筋肉質。共通するのは、交番勤務とは思えない鋭い目つき。

「こんな処で何している?」

 太めの警官が神原の顔に電灯を向けた。強烈な光線をいきなり当てられた神原は、相手が警官にも構わず怒鳴った。

「おれの勝手だろ!」

 警官らは、お互いの顔を見て頷くと神原を挟んだ。細身の警官が、捕食動物を思わせる神経質そうな動きで背に回った。電灯の反射によって、太めの警官の目が赤目となった。神原はまずいなと思った。

「見かけない顔だが、名前は?」

「なあ、お巡りさん、ライトを下げてくれないかな」

 怒鳴ったことを詫びるように神原は言ったが、警官らの警戒は解けないようだった。

「名乗ってからだ。身分を証明するものがあるか?」

「財布に免許が入ってる」

 神原が尻に手をやろうとすると、太めの警官が「動くな」と言った。

「どうすりゃいいってんだ?」

「手を上げろ」

「カンベンしてくれよ。おれは、何もしてない」

 背に回った警官が、神原の肩を押さえつつ財布を抜き取った。

「神原浄……三十五才。住所は、東京だな。どうして、この町にいる?」

「おい、もっとくわしく見てくれ。本籍は、この町だろ」

 ふん、と吐き出した声が聞こえ、正面のライトが下がった。両手を自由にしたのだ。つまり、いつでも神原にかかってこれるように。

 数週分の無精ひげと、薄汚れたコートは確かに不審者を思わせるかも知れない。だが、事情聴取にしては緊張の度合いが高すぎる。

 二人とも穏やかな性格には見えず、溜め込んだストレスを発散する相手を探しているように見えた。警官が、念入りに神原の体をまさぐり始めた。ただのボディー・チェックとは思えない。

 太めの警官が警棒を取り出そうとしていた。

「逆らったりはしない」

「ああ、そうだろう。こんな処で何をしてたんだ?」

 細みの警官が、先ほどと同じセリフを繰り返した。

「別に。寝ていただけだ」

「免許を更新してないのは、なぜだ」

「まだ、この町に戻って二週間だからだ」

 警官二人はそれでも納得できないといった顔を見せて、お互いを見て頷いた。

「二週間ね。悪いが、ちょっと〝交番〟まで来てもらおう」

「財布を返してくれ。そんなヒマないんだよ」

 神原は身を引き、退散しようとしたが、その行動が逆に警官らの神経を逆撫でしたようだった。太めの警官は、その体格からは想像できない動きを見せて、神原の左腕を背に回した。地面からもらった筋肉痛に鈍い痛みがプラスされ、神原は呻いた。

「痛えな。おれは、何もしてない!」

 振り払おうとしたが、酒に酔った体がうまく反応しない。おれとしたことが、と神原は一瞬思った。

「暴れるな」

 細身の警官も加勢し、神原は身動きが取れなくなった。そのまま近くに停車していたパトカーに押しこまれた。

「いつから、この町のお巡りさんはこんなに乱暴になったんだ?」

 神原は、後部座席から施錠された腕を見せた。

「こちらの危険を防ぐためだ」

 エンジンを始動させた細身の警官が言った。

「二人がかりで押しこんでおいて、よく言うよ。どこへ連れて行く気だ?」

「矢河原署だ」

「交番と言ったじゃないか。身元を調べるなら、免許で十分だろ。あんたら、本当に警察なのか? 怪しいぞ」

「署にしか、コンピュータがない」

 細身の警官が、さっと警察手帳をかざした。手帳には、田原とあった。

「コンピュータ? おれのことを根堀り葉堀り調べる気か。どうしてだ?」

「もう、黙れ。まるで素性を調べられたくないみたいじゃないか。知られたくないことでもあるのか?」

 田原が言った。

「別に。時間の無駄だと思うだけだ」

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