「夜・砂浜・モモ・旅行カバン・よく頑張った」

踏切を超えると、

せわしないセミの願い事が夜空中から降り注いだ。


「まだ こんな場所があったのか」


フラフラと彷徨った先はあの海岸だった


遠い昔に引っ越した生まれ故郷の家

その近くにある海岸

あの頃憧れた、遠くに見えたはずの砂浜は

今はもう、ただの海への入り口になってしまった。


あの頃は、日の光の下で楽しそうに自由に遊べる彼らを妬み

自分の意志では家の外へも出られない自分の境遇を僻み

そして、それを強いたただ一人の父を恨んだ。

その時は それが正しかったとしても。


「少し…疲れた」


ザクザクと波にむかって進む。

一歩、また一歩と心がのまれていく


背中から

風がぶつかりながらすり抜けていく


すり抜けて、ぶつかって、引きちぎれて、 波に絡まっていく

ああ、名前も知らないその風に、ひと目で惹かれてしまった



「…もういいか」


適当に腰を下ろす。

ポケットから煙草を取り出し、

手を傘にして何とか火をつける。


ようやく火をつけて一口吸うと

なぜだか風が強まった気がした。


「俺は よく 頑張ったよ」


これほど疲れたのはいつ以来だろうか

中学時代、唯一の肉親である父が他界してすべての財産を親族に盗られてしまったとき?

高校時代、友人が家族で旅行に行くのがうらやましくて、自分で旅行をしようと自転車で三つ県をまたいだとき?

大学時代、学費を稼ぐために朝昼晩とアルバイトをして体を壊した時?

社会人になってすぐ、わけもわからないままよく知らない場所へ配属されたとき?

慣れてきた仕事で先輩のミスを自分のせいにされて一人で解決しろといわれたとき?

ようやくできた結婚を前提につきあってた彼女に全財産を持ち逃げされて借金まで担がされたのが分かった時?



「さあ、どうだったかな」



一人ごちる。

正直もう どうでもいいのだ。


相棒である革の旅行鞄から小瓶のウイスキーを取り出す。

初めてこれを飲んだのは17の今頃だったろうか。

あの頃は酒も、たばこも、

今のように自分が好んで嗜むなんて考えもしなかった。

ただ、漠然と父の部屋の棚に合ったもののラベルだけを覚えていた。

ただ、なつかしみたかっただけだった。


小瓶に口をつけて勢いよく呷る。

琥珀色の熱がくすんだ桃色の喉を焼いた。


また一口、たばこの煙が踊る

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