3-2

織部は使役されてから数日間、紫翠のことを観察していた。真意はどこにあるのかと。


だが本当に織部に何も求める気はないのか、縁側に座ってぼんやりしていようが、庭に佇んで風に吹かれていようが、文句も言わず自分の日常を送っていた。

たとえ屋根の上で寝転んで星を眺めていても、「落ちないでね。おやすみ」と声を掛けるだけだった。


試しに

「ご飯だよ」

という紫翠の言葉を無視してみたりもした。別に彼女は怒らなかった。

それどころか、しばらくしてから食卓についた織部のためにわざわざ温め直してくれた。

それもごく自然に。

朝はいなくとも朝食を作ってくれ、昼食も作り置いておいてくれる。


その様子からは何かの思惑があるとは思えない。


朝行き合えば「おはよう」と微笑みかけられ、夜寝る前は「おやすみ」と挨拶して就寝する。

まるでただの同居人として暮らしているようだ。……ただの同居人よりはもう少し親しい感じだが。


少しの警戒を持つこちらが馬鹿なことをしている気になってくる。

本当に求められているのは同居人としての彼なのかもしれない。


「今日、何してたの?」


と尋ねられることもない。

「好きなことしてていいよ」の言葉通り、こちらに干渉する気はないようだ。


気になって書庫で自分のことが書いてある書物を探してみてもいるが、今のところ見つけられていない。

とにかく冊数が多いのだ。

祖父と父親が学者というのも伊達ではなさそうだ。

こちらはゆっくりとやっていくしかないだろう。


織部が書庫に入っていることに気づいているのだろうが、こちらについても何か言われることはなかった。

本当に自由に読んでいいらしい。

書物の中には人間社会に疎い織部にも珍しいものなのではないかと思うものもあるのだが。まるで頓着していないようだ。

彼女に話しても、「楽しそうで良かった」と言うだけのような気がする。


そして、どんな研究をしているのか、和書ーー古文書が多い。

実はこちらのほうが断然織部には読みやすくて有難いのだが、こういうところも普通とは違う。

若い女性が好みそうな本はあまりないから、紫翠の本はやはり自室か実家に置いてあるのだろう。

もしかしたらそちらのほうに織部について書かれた本はあるのかもしれない。

その場合は諦めなければならないが、見てみた本はまだほんの少しなのでまだわからない。


見つからなければそれはそれと思っておくことにする。


ただ彼を使役するに至った理由と真名をどこで知り得たのかは知りたかった。


この先、解放されるかはわからないが、解放されたとして、また同じように捕らわれるのはご免だった。

紫翠は今のところ善き同居人だが、もし次があれば、その次の者がそのような存在である可能性は低いように思う。

意にそぐわないことはやりたくないし、織部は鬼だが争いごとは好まない。

だがそもそも鬼を使役しようとするやからは争いごとのために鬼を欲す。

今のところ、ではあるが、それを求めない紫翠のほうが普通ではないのだ。


真名が載っているものはないはずだが、一抹の不安はある。

直近の記憶が一部抜け落ちているのだ。

そのどこかで真名を知られ、記録されている可能性も否定はできない。


多少の記憶の抜け落ちは気にするほどでもないと思っていたが、もしかすると、抜け落ちた記憶の中に重要な何かがあるのかもしれない。


取り戻したほうがいいのだろうか?


ただ取り戻すとしても、何故記憶が抜け落ちたのかわからないので、どうすればいいのかはわからないのだが。


思考が良くないほうに向かった時は庭に出た。

自然の中のほうが心が安らぐ。


もともと織部は山に暮らしていた。

あの封印されていた場所とは違う山だ。

だが暗い中で歩いたから確信はないが、恐らくは近所の山だ。


そして、この庭は織部のいた山にどことなく似ていた。


手入れが間に合わないというのも本当のようだ。

それでも最低限の手は入れているようだった。そして、とても大事にしていることも伝わってきた。

庭の一角にはもとは畑にしていたのであろう痕跡もあった。それほど前ではなさそうなので、祖父母が家庭菜園でもやっていたのかもしれない。


この庭は居心地がいい。


なので今日も今日とて庭にいた。

どれだけいても飽きない。


ただ佇んで風を感じたり香りや音を聞いていることもあれば、庭を歩き回ることもある。

気づけば一日中庭にいたこともある。

場所としての相性もいいのかもしれない。




庭から戻ってくる時にうっかり泥を持ち込んでしまったらしい。床に泥が落ちている。

家の中を探して雑巾を取ってきた。

綺麗に泥をぬぐう。

その一角だけがぴかぴかになり、周囲から浮いていた。

少し考え、廊下全体に雑巾がけをしてみた。

帰ってきた紫翠は一歩上がるなり、


「あれ、感触が違う。もしかして織、雑巾掛けしてくれた? ありがとう」


と笑った。

それに、ほんの少しだけ、満たされたような気がした。




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