2-6


織部と別れ、部屋に戻ると紫翠は自分の髪をつまんだ。先のほう十センチばかりがパサパサでひどく傷んでいた。


「ここまでなっちゃったら切るしかないね」


それだけ使役の術は大きな術なのでこうなるのは当然だ。


行きつけの美容院に電話してみると、明日の午後の予約が取れた。

休日出勤の振り替えを休みの前日にくっつけたお陰で明日も休みだ。そうしておいて本当によかった。


「さてと、」


一休憩したら夕飯の買い物へ行かなければならないがその前にーー。


昨日放り出したままになっていた巾着袋から結界石の入った袋を取り出す。

言われた通り、一応部屋に簡易な結界を張り、風呂に入る時のための分の結界石を別の小袋に入れた。

残りの結界石をしまおうとして、ふと思った。


あの部屋は危ないかもしれない。


万が一があっては困るのであの部屋には結界石で結界を張っておくことにする。

紫翠は結界石の入った袋を持って部屋を出た。

廊下を歩き書庫に近い一室に入る。


部屋全体に結界を張るなら部屋の四隅に結界石を置かなければならないが、棚とかがいろいろ置いてあるのでなかなかに面倒だ。

目印としてだけなら襖横の二ヶ所に結界石を置いて壁のようにしておけばいいだろう。


手早く済ませると自室に戻った。

今度こそ結界石をしまい、そのまま畳の上に横になった。

ぼんやりと天井を見上げ、


「覚えて、ないんだ……」


無意識のうちにぽつりと呟く。


封印された当時の記憶を失っているとは思わなかった。


果たして記憶は戻るのだろうか?

それを織部は望むのだろうか?


それは彼の望む通りでいいと思う。

思い出すことが幸せなこととは限らない。

織部を封印した者たちが何かをして記憶を封じたのかもしれないし、彼自身が忘れたい何かがあったのかもしれないのだ。


どちらにせよ紫翠は織部を封印した術者のことが大嫌いだ。もし遭遇したら容赦するつもりはなかった。

ただ、彼らの顔も名前も年代もわからない。

わかるのは術符からどこの家に連なる者たちかということだけ。

問題なのは、その家が陰陽師の大家の一つということだ。

織部の封印が、家の方針だったのか、彼ら個人の理由からだったかによっても家の動きが変わってくるだろう。

あの家を敵に回すとなると面倒この上ないが、再び織部を封じるという選択肢は最初から持ち合わせていない。


それだけが大事で、あとは大したことではない。


それに今できることは特にない。

追っ手をかけられるかどうかは警戒しておかなければならないがそれだけだ。

余計なことをして墓穴を掘るのは避けたい。


紫翠はふっと小さく息を吐くと静かに目を閉じた。

これからのことを思う。


織部との二人での暮らし。

穏やかであればいいと思う。

織部にとって穏やかであれば、と。


二十年も封印されていたのだから好きなようにしていればいい。

束の間の休憩だと思ってくれればいい。

ゆっくり休んで心安らかに伸び伸びと過ごしてほしい。

ほんの一時いっときの、織部にとっては瞬く間の間だけ。


その時間は、紫翠のわがままでもあるのだろう。

織部が自由にしているのを見ていたいというわがまま。

解放するまでのほんの一時(ひととき)のわがままだ。


目を閉じていると眠くなってきた。

十分休息を取ったつもりだったが、まだ昨夜の疲れが残っていたようだ。

とろとろと意識が眠りに溶けていく中で紫翠は無意識に呟いた。


「……私が守るからね、織」


すっとそのまま眠りの中へと落ちていった。


***


ざっと風が吹く。

その風に木の葉が舞い上げられ、風がやむとひらひらと降ってきた。


「きれー!」


幼子が歓声を上げ、きゃらきゃらと笑う。


「きれーだね、おにさん!」

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