2-5
そこで何か思い出したのか、はっとした顔になる。
「あっ、それと、何がいいのかわからなくて最低限のものしか用意してないの。だから必要なものがあったら言ってね。用意したものも気に入らなかったら言ってくれていいから」
気にしていなかったことを言われて驚く。
意外と気を遣って用意してくれていたようだ。いや、意外ととはもう言えないか。こちらに随分と気を配ってくれているのはさすがにわかる。
「今のところ大丈夫だ」
「そう? いつでも言ってくれていいからね」
「ああ」
「それと織の部屋には勝手に入らないから安心して」
「我もそなたの部屋には無断で入らないようにしよう」
そもそもが結界を張るように言ったので入れないはずだが。
「うん。他は自由に使ってくれていいよ。書庫の本も戻しておいてくれれば好きに読んでいいから」
「……ああ」
……読まれたくないものや触れられたくないものは自室に置いておくのだろう、恐らく。
そこまで気を回しているかどうか、今までのことを思えば若干怪しいが。
ふと古い知人を思い出した。
しかし、書物の読み放題だと、彼なら喜びそうだな。
とはいえ、しばらく会ってはいないし、勝手に招き入れるような真似は絶対にしない。
ふっと一息入れるように紫翠がお茶を飲む。
「他に確認しておきたいことはある?」
「そうだな……今のところは特にない」
「そう? じゃあもし何かあったらその時に言ってね?」
「ああ」
「うん、あとは好きにしてていいよ。湯呑みは後で片づけるから置いておいていいから。夕飯ができたら声をかけるね」
「……ああ」
湯呑みを持って立ち上がりかけた紫翠が動きを止めた。
「あっ、ごめん。家の中を案内してなかったね」
「自由に歩き回ってよいなら不要だ。入ってはならぬ場所にだけ結界を張るか目印をしておいてもらえれば有難い」
「わかった。じゃあ、結界石で弱い結界を張っておくね」
「ああ」
紫翠は自分の分の湯呑みを持って隣の台所へ消えた。水音が少しして途絶える。
そのままそちらから廊下に出たのだろう、廊下を歩く音がする。
襖が閉まる音がするまで織部は動かずにそのまま待った。
遠くに静かに襖の閉まる音がしてようやく湯呑みを手に取り、一口口に含む。
ずっと、"主"と呼ばずに"そなた"と呼んでいたが、彼女が気にした様子はなかった。
「お前など主とは認めない」と言っているようなものであったが、一度も言及されなかった。
気づいていないのか。
気にしていないのか。
ふと昨夜の彼女を思い出す。
名前で呼んでいいよと言った彼女に主と呼ぶと言えば、妙に落ち込んでいた。
恐らくは気にしていないのだ。
それどころか主としての立ち位置も嫌なのかもしれない。
今日話したことを反芻してそれは半ば確信に変わった。
彼女が求めているのは、同居人としての彼なのだ。
一時的か半永久的なものかはわからないが。
だからこそ好きにしていていいと言うのだろう。
だがそれも何のために?
一人暮らしで寂しいのか。
この家に一人なのが嫌なのか。
だがそれだけなら動物を飼うなど他にいくらでも方法があるだろう。
わざわざ封印を解いてまで人外者を置かなくてもいいはずだ。
こちらを全く警戒していないのも気になる。
しばらくは様子を見たほうがいいだろう。
とはいえ、魂に鎖かけられた身だ。"命令"されたら従わざるを得ない。
あまり"命令"されることもなさそうだが、心には留めておかなければならないだろう。
とりあえずは"好きにしていていい"という言葉通り好きにさせてもらおう。
織部はお茶を飲み干し、立ち上がった。
紫翠は湯呑みはそのまま置いておいていいと言っていたが、何となくそれは
織部はとりあえず湯呑みを流しまで運び、それから庭に出てみようと廊下に出た。
***
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