2-3

朝食兼昼食を済ませ、片付けと洗濯物を干した後、紫翠と彼は向き合って座った。目の前には新しくお茶が淹れてある。


「ええっと、何から話そう。あ、その前に鬼さん、おり織部おりべ……何て呼ばれたい?」

「我はそなたに使役された身。好きに呼べばいい」

「わかった。じゃあ、対外的には織部って呼ぶね。普段は、"織"って呼んでいい?」

「構わぬ」


紫翠は本当に嬉しそうにふわりと微笑わらった。

まるで大切な宝物に出会ったかのように。


思わず織部は小さく息を呑んだ。

呟くように「織」と呼んで、また微笑わらう。まるでそう呼べることがこのうえもなく嬉しいことのように。

たかが呼び名で何故そこまで喜ぶのか。


思わずじっと見てしまったからか、織部が見ていることに気づき、紫翠は我に返ったようだ。少し頬が赤く染まっているような気がするが見なかったことにする。

紫翠は真面目な顔になった。


「これからのことだけど、ごめん、もう一つ先に確認させて。織が封印されてから二十年経ったけど、封印された頃のこと、覚えてる?」


意外なことを訊かれた。


「二十年か、存外短かかったな」

「そりゃ何百年も生きている織からしたら短いだろうけど……」


どこか苦痛を感じているような表情だ。確かに人間にとって二十年は長かろう。

しかしそれは彼女にとっては関係ないことではないか?

まるで我が事のように感じているようだ。


「で、封じられた頃のことか、しばし待ってくれ。……うむ、記憶が曖昧だな。我を封じた相手の顔も思い出せん」

 

言われてみれば、確かにその辺りのことは茫漠ぼうばくとしていて覚えていなかった。言われなければ気づかなかっただろう。


「じゃあ何で封印されたかも?」

「わからん」

「記憶がないのはその辺りのことだけ?昔のこととかは覚えてる?」


織部は少し記憶を反芻はんすうする。


「大丈夫なようだ。封印された頃のことだけが抜け落ちておる」

「そう……」


わずかに複雑そうな顔になる。

だがそれもすぐに消えた。


「それが何か問題だろうか?」


そもそも織部もそれなりに長く生きている。記憶が曖昧なところも多い。封印された頃の記憶が抜け落ちていることも、訊かれるまでは気づかなかった。


「織を封印した人物の人相がわかるといいなと思ってただけ。人相がわかっていたほうが警戒しやすいでしょ?」


もっともな言い分だが、微かな違和感がある。

それを指摘しようにも、違和感が微かで、何に違和感を感じているのかつかめなかった。


「でもそっか、覚えてないのか……」

「すまぬ」

「織のせいじゃないから気にしないで」


それから紫翠は空気を変えるかのように明るい表情になり、


「それでね、これからのことなんだけど、」


織部は何を言われるのかと身構えた。


「好きにしていていいよ」

「は?」

「あっ、でもしばらくは家の敷地内から出ないでね。追っ手がかかってないか様子がみたいから」


織部は片手で頭を押さえた。


「言っている意味がわからん」

「え?」


紫翠は何か変なことを言ったかなという顔をしている。

織部は手を離し、彼女を真っ直ぐに見た。


「そなたは、我を何だと思っておるのだ?」

「えっ、鬼さん」


きょとんとした後に素で返してきた答えにため息が抑えられない。

何故式神とかでないのだ。使役しているだろう。


「そなたは、一体何の目的があって我を使役したのだ?」


言ってから気づく。そもそも何故わざわざ封印を解いたのだろう? 戦力や名声がほしいわけでもないならわざわざ封印を解く必要はなかったはずだ。

しかも、あんな山の中の祠に封印されているモノなど。


「目的?」


今度は紫翠が言っている意味がわからないという顔だ。


「何か目的があったから我を使役したのではないのか? そうでなければわざわざ封印を解くことなどせぬだろう?」

「あの封印、解けかけてたよ」

「だとしてもわざわざ使役などという手間をかけずに、封印を強化すればよかったのではないか?」

「他人の術を弄(いじ)るのっていろいろ面倒くさい」

「ならば解いた後にもう一度封じればよかったであろう? そなたならできたはずだ。そしてそのほうが手間がなかったのではないか?」


真名を知っていたのなら尚更。使役するよりは封じるほうが負担が少ない。

紫翠の顔色が変わる。


「織、もしかして封印解いたの迷惑だった?」

「そうは申しておらん」


紫翠はほっと安堵の息をついた。


「ただ疑問だった。それに、そこまでしておいて好きにしていていいと言う。いったいそなたは何がしたいのだ?」


そこまで言ってようやく合点がいったような顔になる。


「ああそっか。不安だよね。でもとりあえずはいてくれたらいいよ。ここにいて好きなように過ごしてくれたらいい。私は織の在り方を曲げさせるつもりはないの」


まるでよく知っているかのような口振りだ。


「在り方?」


紫翠が一つ頷く。


「"ただそこに在ること"」


認識しているそれを言い当てられ、織部は軽く目をみはる。


「四季の移ろいを感じ、鳥や虫の声を愛で、時折、人の」


急に紫翠は口を閉じた。


「時折?」

「いいえ、何でもない。でもそういうのがあなたの在り方でしょう?」

「そういうふうに過ごしてきたことは否定しない」


だが何故そんなことを知っている? と織部は目を訝しげに細める。


「私だって事前準備もせずにいきなり封印を解いたりはしない。いろいろと調べたの」


確かに記録を辿り、丹念に調べればどのようなモノが封じられているかはある程度はわかるだろう。

それが、よきにつけ、悪きにつけ、人間と関わりのあるものであれば。

だが織部には当てはまらない。彼は表舞台に出るような鬼ではない。山の中でのんびりと過ごしていたのだ。


「……よく我に関する記述を見つけたものだな。ほとんどないと思うが?」


全く人に関わらずに生きてきたわけではないが、記述が残されるほど人と関わった覚えがない。


「うちは代々学者の一族だし、うちの保有の古書も多いし、仕事上知り得る情報もあるし、私、こう見えても調べもの得意なのよ」


……何かいろいろ気になる情報が出てきた。

まず何から訊くか。

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