1-7

真名を使って使役されたのは予想の範疇を超えてはいたが、憎しみや怒りは沸いてこない。

使役されたのは、自分の落ち度だ。相手を見くびっていたからに他ならない。

それよりも、真名を知られていたことに驚愕きょうがくし、呆然となった。

真名を誰かに教えた覚えはない。

それなのにーー


「何故真名を知っておる?」

「え? ああ……」


一瞬驚いたように固まったようだった。だがすぐに何かを悟ったような瞳(め)になった。

そして、微笑(わら)った。泣いているような、笑顔だった。

隠そうとして隠せなかったのだろう。


「内緒」


その笑みを見てしまっては何も訊けなかった。


「なら聞かぬ。ただ真名は他言してくれるなよ?」

「それは大丈夫。私だって真名がどういうものかは知ってるから。もう呼ばない」

「ならよい」

「あ、まだ名乗ってなかったね。私は紫翠、菅原紫翠っていうの。好きに呼んで。」


その軽やかな名乗りに反して表情にどことなく緊張感を漂わせているのは何故なのか。


あるじと呼ぶ。」


そう呼ぶのが当たり前なのに、微妙に落ち込んだ様子なのはなんなのか。

何故か訊けなかった。


「そう……」

「主、何か問題が?」

「ううん、大丈夫。片づけるからちょっと待ってて」

「あ、ああ」


悄然しょうぜんとした様子で祠に向かうのを、ただ見ていることしかできなかった。



***



「主と呼ぶ」


使役したのだから恐らくそう呼ばれるのが正しいのだろう。だけど少しだけ、そう、ほんの少しだけ落胆してしまった。

名前で呼んでくれてもいいのに。愛称ならもっといい。

とはいえ、何かを強制するつもりはない。

目的は達成したのでもはやここにいる意味はない。

片づけるから待っててと彼に言い、紫翠は破り捨てた札を拾うと祠の中に入れて扉を閉めた。横に置いておいた貼られていた札を拾い、封じるように貼り直した。効力はないが。


「何をしておるのだ?」

「念のための時間稼ぎ」


札を破る時の跳ね返りは結界である程度は防いだはずだからどこまで感知されるかはわからないが念のためだ。

紫翠は一つ息を整えると、ぱんと手を打ち鳴らした。結界が解ける。

結界の外に置いておいた巾着とカンテラ型ランプを持ち、結界石を回収していく。

結界石をすべて小さな袋に入れて巾着にしまってから彼を振り返った。


「お待たせ。行こう」

「どこに?」

「うち」


彼は一度口を開きかけて閉じた。言葉を飲み込んだようなため息をつき、「承知した」とだけ言った。

どんな言葉を飲み込んだかは気になったが、問いただすことはせずに歩き出す。

さすがに疲れた。


***

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る