1-4

目の前にいるのは背の高い男だ。

やっと会えた。

歓喜が胸の中に満ちる。

嬉しくて嬉しくて顔中に笑みが広がるのを止められなかった。

ああ、本物だ。


月の光に冴え冴えと光る長い銀髪も、

頭に生える二本の立派な角も、

甘さの一切ない怜悧れいりな美貌も、

それに反して不思議と柔らかい紫色の瞳もーーその瞳は見知らぬ者を見るような冷たい光を宿していた。


すぅぅと頭が冷えた。

一度目を閉じ、開いた。

切り換える。

唇の端にだけ笑みを残し、他を消す。

ここからが正念場だ。

彼には提案に乗ってもらわねばならない。


紫翠は気負いない様子で声をかけた。


「こんばんは。いい夜ね」


彼のいぶかしげに細められる。

警戒されている。

当然は当然であるが他に方法はなかった。

怪我をさせたいわけでもしたいわけでもないのだ。敵意がないことを示すにはこうするしかなかった。


「我を出したのはそなただな? 我に一体何用なにようだ?」


何用かと訊かれるとちょっと困る。

ただ会いたかっただけだ。

それと、封印を破った以上、彼を封じた術者たちからしばらくかくまいたい。

それだけだ。

だがそれを素直に言ったところで恐らく信じまい。


「この結界を張ったのもそなたであろう? この結界を壊してここから出るのは骨が折れそうだ。そこまでして何用だ? ……勝負か? 鬼を倒して名声でも得たいというのか?」

「別にそんな名声はいらないけど」


そこでひらめく。彼の言(げん)に乗れば、望む結果が得られるかもしれない。


「私が戦って勝てる相手じゃないし。自分の実力ぐらいわかってるよ」

「ほぅ。結界を見る限りなかなかの腕のようだが?」

「一番得意な術だし、よく使うからね」

「そうか」

「それに、争うことは好きじゃないの」

「そればかりは我も同類だ。ならば、そのまま結界を解いてくれるとありがたい」

「解いてもいいけど、その前に一つだけ試させてくれない?」

「内容次第だな」


とりあえず交渉のテーブルには乗せられた。


「一つだけ言っておきたいのは、怪我をさせるつもりも怪我をするつもりもないの」

「ほぅ。それで?」


信じてくれたかどうかはわからない。まあ信じてもらえなくても仕方ないが。

紫翠は一つ呼吸をし、告げた。


「あなたを使役できるかどうか、試させてほしいの」


彼のまとう空気が冷たくなる。


「やはり名誉か? それとも争いは好きではないと言いながら戦力がほしいのか?」

「どちらもいらない。ただこんな機会は滅多にない。せっかくだから試してみたいだけ」


何がせっかくなのか自分でもわからない。

ただ、かくまうなら、形だけでも自分の支配下に置くのが確実だ。


沈黙。


呆れているのか、警戒しているのか。いや、恐らく真意を測りかねているのだろう。

名誉も戦力もいらないのは本当。

ただ試してみたいだけというのは嘘だ。

本心と嘘が半々。

乗ってくれるかどうかも半々、だろうか。いやさすがにそれは都合がよすぎるか。

乗ってくれなかったらすっぱり諦めるしかない。

そこで縁も完全に切れるだろうが仕方ない。

目的は一応達したのだ。

追っ手がかかるかもわからない。来るとしたら封印を解いた紫翠のほうかもしれないし。

それに、今度は無事に逃げおおせるだろう。今の彼には……


「……そなたは何を考えておる?」


彼の瞳(め)にあるのは、困惑だろうか。


「さっき言った通りよ。使役の術はすごく集中力を使うから一回しかできない。だから一回だけ試させてくれない? 使役できなかったら逃がしてあげる。封印したり追ったりはしない。あなたは完全に自由になる。どう?」


これで乗ってくれなかったら諦めよう。

結界も解いてさよならだ。

紫翠はじっと彼を見た。

彼は何も言わない。

風が木の葉や草を揺らす音が二人の間を満たしていた。

彼から目を離さずにただその音を聞いていた。

しばらく待つもやはり彼は何も言わない。

やはり駄目かと、結界を解く準備に入ろうとした時、


「……よかろうよ」

「え?」


聞き間違えかと思った。


「……よかろうよ。そなたは外に出してくれた。一度くらいは付き合おう。ただし、約束を破ったらその身を引き裂くぞ?」

「それはもちろん。あ、術を使っている間、攻撃しないでいてくれるとありがたいな。さっきも言ったけど、怪我をさせるつもりもするつもりもないの。まだ死にたくはないし。」


彼は呆れたようなで見てきた。

図々しいと思われたか、それならやらなければいいのにとでも思われたか。

怪我をさせたくないし、したくもない。ましてや死にたくはないのだから仕方ない。

はぁと彼が溜め息をついた。


「わかった。そなたが術を使っている間、攻撃はしない。抵抗はするかもしれぬが。それでよいか?」

「うん。ありがとう!」


笑顔でお礼を言うと苦笑を返された。

条件を飲んでくれたおかげで全力でできる。

これならーーいけるだろう。


「じゃあ始めるね」


一言告げてから、呼吸を深くする。

印を組み、呪文を唱え始めた。


***

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