第13話 信頼という重い言葉



 週末家に誘ったことが功を奏したのか、学校で見かける真心の顔が前と比べ幾分か明るくなったように思う。図書室では完成したのか、先日目にした書きかけのポップが、目立つように立てられた本を可愛らしく飾っていた。文字の周りに小さく描かれているイラストが可愛らしくて、海矢は思わず微笑んでしまう。

 頬を緩めながら、海矢はあと少しで授業が始まる中紹介されている本を一冊手に取り手続きに向かった。


 授業後、生徒会室で昼休みに手に取った本を鞄から取り出す。授業が終わる度に少しずつ読み進め、今はちょうど半分までしおりを挟んであるが、ポップを思い出すと真心はこの本を丁寧に読んでいるなと感心した。読んだ上で、優しく温かい言葉を生み出すことのできる真心に海矢の心も温かくなる。


「あの・・・・・・」


 本の表紙を眺めていると、机の前に竜が立っていた。彼が机の上に手を伸ばしたのを見ていると、湯飲みの側にチョコレートが二つ、ころんと置かれた。


「それ、差し入れです。いつも新妻先輩に全部食べられるから・・・。甘いもの、時々は摂ったほうが良いんじゃないですか」


「竜、ありがとな」


 本を置いて礼を言い、一つを口の中に放り投げる。礼を言ったことに嬉しそうにする竜の口に残りの一つを押し込み『お前も摂った方がいいぞ』と言うと、彼は頬を大きくしながら驚いたようにこちらを見てきた。そして次の瞬間、頬が真っ赤に染まる。


「宇佐美くーん、聞こえてますよー」


 一瞬優しい空気になっていたところに、休憩用ソファに身体を預けている大空が口の横に手を添え棒読みする時のような声を発する。


「ってか二人って仲悪いんじゃなかったんだー。何、マジで愛海くん諦めたの?」


「いえ、諦めていませんけど」


「はぁああ!!?お前、諦めるっていっただろ!?」


「あンときは一応そう言っとこうと思って」


「あ゛あ゛?」


「まぁまぁいいじゃないか。宇佐美、まりあは良~い兄ちゃんになるだろうからな。頑張れよ!」


「おい大空!余計なことを言うな!!」


「良い兄になると思いますよ。ね、兄貴?」


「キーッ!!お前に兄と呼ばれる筋合いはないって言ってるだろうが!!」


「でもあのとき“兄”って呼んで良いって言ったじゃないですか」


 それはそうだが・・・だが話が違う!と怒り狂った海矢に竜は余裕に、大空は腹を抱えて爆笑し、結局他の生徒会メンバーによって海矢の怒りは静められた。


 *****


「ったく、あいつら俺をおちょくりやがって・・・・・・」


 ぶつくさと文句を言いながら、海矢は一年生の廊下を歩いていた。教師練に行くには一階を通る必要があり、昼食を摂る前に資料の提出に向かっているのだ。昨日のことを思い出し腹を立てながらちょうどトイレの前を通りがかると、突然ガタッという大きな音がした。何だろうと立ち止まると扉が開き、複数の生徒が出てきて海矢の姿を目に入れると皆一様にビクッとなったがすぐ通り過ぎていった。

 どうしたのか首を傾げながら立ち止まっていると再び扉が開き、今度は真心が出てきた。顔を俯かせていて、海矢の存在に気づいていないらしい。よく見ると感情を押し殺すように左手で右手を掴んでおり、両腕が小刻みに震えている。顔はよく見えないが全体的に暗く、唯一目に入った口元は泣きそうなほど歪められていた。


「真心っ――」


「っ!?」


「あっ・・・・・・」


 どうしたのか、何があったのかと思い真心に声をかけると大仰に肩を踊らせた後顔を上げ、目があった次の瞬間には駆け出して行ってしまった。

 真心は、苦しそうに、今にも泣きそうな顔をしていた。昨日会ったときには穏やかに咲く花のように笑っていたのに。纏う雰囲気も明るかったのに。どうして。一体何が、真心をあんな顔にさせたのか。

 ひっかかったのは、真心が出てくる前にトイレから出てきた生徒たち。明らかに海矢を見た瞬間狼狽えたし、その前も皆で顔を見合わせながらにやにやと嫌な笑みを浮かべていたのだ。

 海矢は、手の平に爪が食い込むほど怒りで手を握りしめていた。状況からしか判断はできないし、真心の口から直接『助けて』と聞いてもいない。だからこれを勝手に生徒会の議題に出し対処することはできない。今生徒会と他の委員会とで進めている海矢が提案した制度も、本人の口から対処してほしいと聞いてからでなければ動くことができないようになっている。もちろん無理矢理聞き出すのも、被害者への負担にあたるだろう。あくまで、本人の意思に添う形での解決が求められるのだ。

 海矢は真心が相談をしに生徒会室へ来てくれないかと気がかりでいつもよりも仕事に集中できず、大空や竜に指摘されながらも心に不安を残したまま作業を続けていた。学校がらみじゃなくていい。個人的な悩みでもいいから、聞かせてくれないか。そう、海矢は心から思った。


 自分じゃなくても、愛海や辰巳、竜たちに話してはいないか、家へ帰ると愛海にさりげなく聞き出すなどするが、全くそれらしい情報は入らなかった。真心に接触をしようと思い生徒会の帰りや昼休み時などに図書室へ赴いても、あれから真心に会うことはなくその週が終わった。



 土曜日、海矢はカフェで友達と呼べる者たちに相談をしようと思い、声をかけた。副生徒会長である大空と、風紀委員を努める二人の友人だ。彼らには真心の名前を伏せた上で、今自分が置かれている状況、そしてどうしたらいいか、どうするべきか意見を尋ねてみた。


「――っていう感じでさぁ・・・・・・なぁお前ら、どう思う?」


「結局生徒会の方には行っていないのだろう?ならばこちらとしてもどうしようもないだろう」


 いつも通り何を考えているのかわかりにくい表情ではっきり言い放ったのは、風紀委員長を務める戸川とがわなみ。黒目黒髪で硬質的な印象を見る者に与える容姿をしている。髪は常に一定の短さで清潔感を抱かせるが、同時につまらなさをも感じさせる見た目だ。身長は海矢よりも数センチ高く、ガタイも良い。


「いやいやいやー、だからって丸っきり放っておくのもマズいんじゃないの?だって海矢ちゃんはその生徒たちを睨んでるんデショ?」


 自身の髪を指に巻き付けながら隣の波を肘で小突くのは、風紀委員副会長の朝日あさひ茶介さすけだ。ゴールドブラウンの髪が肩くらいまでで揃えられており、俯くとサイドから顔にかかる髪でものが食べにくそうである。


「そうだよねー。難しいとこだよね~。本人から頼まれなきゃ動けないけど、まさかの事態になったら大変だしねぇ・・・・・・?」


 そう言いながら海矢の肩に腕を置いてくる大空に、いつも通り視線も向けず振り落とし注文していた珈琲を一口飲んだ。海矢の隣には大空、前には波で、その隣に茶介という風に座っている。高校に入ってから話す仲になった、現在目の前に座っている二人は幼馴染みらしい。だが波は風紀委員長というような風紀に厳しい印象なのに対し、茶介はどちらかというとチャラい方でしゃべり方もどことなく軽い感じがする。よく波が身だしなみについて小言を言っているようだが、全く耳にしていないみたいだ。


「でもさぁ・・・・・・よく我慢できるよね。辛いことがあったらオレ、絶対人に話すもん」


 茶介がオレンジジュースに入れてあるストローを指で弄りながら、心底理解できないという風に言った。


「確かに。でも俺口軽そうな奴には話したくねぇな。例えば茶介みたいな」


「えっ、ヒドーい。オレだって大空はお断りだし。あー、オレ海矢に一番に泣きつくカモ!!面倒見良さそうだし」


「まりあは俺のでーす。残念でしたー」


「おい。俺がいるだろ」


「えっ、波はなんか、冷たそう」


「それわかる。やっぱ海矢だなー」


「おいお前ら、話が逸れてる」


 話が脱線してきたのを感じ、さらに続きそうになるのにストップをかけ話題を元に戻そうとする。


「でもさぁ・・・結局のところオレたちに何ができるわけでもないよね?だってそもそも当人が黙っちゃってるんだもん」


「そうだな。俺たちができるのは、海矢が発案した制度の導入を進めることぐらいだと思うぞ。それも、相談者が来たら迅速に対応できるようにしておかないといけないしな。俺たちができるのはやはり、そういう部分なんじゃないのか?」


「う~ん・・・俺も波に賛成だな。ここでいくらどうこう言ったって、本人が助けを求めていないんだったらそもそも動けねぇもん」


 確かにそうだ、と海矢は思った。複数の人間に同じことを言われると、自分の中で考えていたときよりも説得性が増す。皆多面的に考える性質であることが共通点であることから彼らの意見を聞き、やはり自分たちは自分たちの仕事に専念するべきなのだと思った。

 だが、勝手に先走らないことと真心の心に歩み寄らないこととは違う、と海矢は思う。確かに自分たちは本人の意思なく対応にあたることはできないし、もしできてしまったらそれは生徒本位の仕組みではなくなる。しかしだからといって明らかに問題がありそうな状態であるのに見て見ぬふりはできない。


「俺らから無理矢理聞き出すのもダメだしなー・・・・・・。やっぱり、信頼関係が必要なんじゃねぇのかな・・・・・・。信頼してる相手なら、話そうって思えるし」


「そうだな。俺も信用した奴にしか悩み事は相談しないな」


「オレもー!海矢ちゃんが持ち前の兄力を振りかざしてさ、『俺を信じろ!』って言ったら案外ぽろっと言っちゃうんじゃない?」


 信頼関係・・・・・・。海矢はその言葉を心にしまうと共に、苦い思いがした。自分はまだ真心に信頼してもらえていないのか。まだ悩み事を打ち明けるほどの信頼は寄せてくれてはいないのかとどこか寂しい気持ちになってしまう。彼のせいではないのにそのようなネガティブな感情が支配しそうになり表情に出てしまいそうになったとき、ポンと肩に手が置かれた。


「海矢なら大丈夫だよ。誰にとっても信頼できる奴だからな。勇気を抱かせる信頼と、何を言っても受け止めてもらえると思える安心感、これがあれば絶対大丈夫だ」


 置かれた手が元気づけるようにぽんぽんっと肩を叩き、それによって海矢の中の暗い考えは綺麗に消えていった。信頼と安心感・・・・・・。そうか・・・、何を聞いても受け止める。何があっても見て見ぬふりをしない。何があっても守る。それをちゃんと伝えて安心してもらえることも、きっと本題を聞き出すことよりも大事なことだ。まずは真心の心を、真心自身を守らなければ。


「そうそう。海矢ちゃんなら大丈夫だって!!その子がちゃんと助けを求めたときはオレたちも協力するからさ!」


「ああ。全力で対応する」


「お前ら・・・・・・ありがとな。お前らに相談してよかった」


 自分にとって信頼できて、安心が持てて、頼れる奴は今目の前にいるこいつらと、愛海と、辰巳と、竜と・・・・・・とたくさんいる。こうやって自分が困ったときに、笑って手を差し伸べてくれる人たちが。自分も、真心にとってのその様な存在になりたいと海矢は心から思った。それと、大空が何気なく自分の名前をちゃんと呼んでくれたのがすごく嬉しい。


「っふ・・・・・・」


 嬉しさのあまり、思わず笑いが溢れてしまった。


「おい、どうしたんだよ」


「いや、お前さっき俺の名前をちゃんと呼んでくれたなーって」


「え?俺まりあって言ったけど?」


「海矢って言ってたーー!!ね、波?」


「言ってた」


「いやいやいやいや!!俺ちゃんと“まりあ”って言ったし!!」


「何赤くなってるんだよー?」


「赤くなってねーし!!」


 目の前でコップが危ういほど騒ぎ立てる彼らを見て、海矢はこいつらが自分の側にいてくれて本当によかったと、そう思ったのだった。









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