第12話 海野家に招待!
あれから海矢は、真心のことが気がかりになっていた。彼の様子から、他の生徒に何か不快になるようなことをされているのかもしれないと思ったのだ。もしかしたらそうではないかもしれないが、去年生徒会に相談してきた生徒も、真心のようにどこか不安げな様子を常に見せていた。彼もどちらかというと大人しい性格であり、黙ってじっと耐えるような人だったのだ。そんな彼と、真心が重なる。
幸い、彼は最近愛海たちと昼食を共にしていると聞いている。食事中に彼のことを楽しそうに話す愛海を可愛いなと思いながら、彼の近況も聞いていた。
海矢と真心は、海矢が時々図書室に本の貸し出しや返却をする際に顔を合わせるようになって少しずつ親しくなっていった。本を貸し借りするときに話したり、生徒会の仕事を終えたあとに彼の仕事を手伝ったりなどをし、距離をつめていった結果、本についての感想や考えなどを交わす仲にもなれたのだった。最近は本当に稀だが、海矢も愛海たちに混じって昼食を共にしたりもしている。そのときは屋上なため、人の目を気にせず彼らと楽しく過ごせることが非常に楽で楽しかった。
今も海矢は真心の隣に座って昼食を摂っていた。こうして近くで見ていると、何も問題はなさそうに目に映る。しかし、ほんの少しだけ顔を曇らせるときがあるのだ。海矢は真心の口から悩みを聞けるまで、急かすことはしないと心に決めていた。
「ふぅ・・・・・・遅くなっちまったな。帰るか」
すでに暗くなってしまっている外を覗き、家で待っている愛海に今から帰るとメールを送ってから帰る準備をした。暗い廊下を歩いていると、ぼんやりと明かりが漏れている部屋がある。見ると明かりがついていたのは図書室だった。
「まだ帰らないのか?」
「っ!!?」
「すまん、驚かせて。通りがかったときにまだ電気がついていたから」
静かに部屋に入るとそこには真心しかおらず、一カ所だけ付けられている薄く明るい電気の下でなにやら机に向かっていた。背後から近づいて声をかけると思いきり飛び上がり、必要以上に驚かせてしまったことに罪悪感を抱く。手元を覗き込むと、数々のペンとまだ完成はされていないが可愛らしいイラストが描かれている紙がいくつか置いてあった。海矢の視線の先がわかり、真心はほんの少しだけ照れたようにそれらを手で隠し、小さく口を開いた。
「ポップです。あんまり文が思いつかなくて・・・・・・。いつも仕事が遅いんです、僕。駄目ですよね・・・・・・こんなでくの坊で」
「そんなことない。真心はでくの坊なんかじゃない。他の委員は気づかず行ってしまうような、本が逆さまになっていることとか、真心は見逃さずに一冊一冊直してくれているだろう?いつ来ても同じ本がちゃんと同じ場所にあるのだって、毎日真心が元の場所に戻してくれているおかげだ。それに、真心の丁寧な仕事が、俺は好きだ」
真心は一瞬泣きそうに顔をしかめたが、すぐに無理矢理笑顔を作って『ありがとう、ございます』と小声で答えた。真心はいつも一人で仕事を淡々とこなしている。他の生徒に手伝ってもらえば良いのにとか、人に助けを求めれば良いのにと思うが、人に頼むことが苦手なのかもしれないと海矢は思う。だからいつも誰にも仕事を頼めず、量が多くても一人で頑張ってしまうのだろう。仲良くなったと自負していたが、海矢はなかなか自分を頼ってくれない真心にもどかしい気持ちを抱いた。まるで、小さかった愛海が何でも自分でできるようになっていってしまったときのような気持ちだった。
紙やペンを片付けだした真心に、『もう帰るのか?』と尋ねると無言で頷かれる。時計を見るといつもより相当遅くなっており、こんな暗い仲一人で帰るのは心配だなと考えながら、何となく真心の帰り支度を待っていた。
無言で並びながら下駄箱まで歩き、その後も自然と並んで外へ出る。最近は比較的元気そうな様子だったが、今日はなんだか元気がないなと図書室にいたときから感じる。いつもだったら今も本の話をしてきそうのだが、顔に影があり俯いたままで雰囲気も暗い。
「あの・・・では僕はここで・・・・・・」
「おう。あ、そういえば、真心の家ってどこなんだ?学校から遠いのか?」
時折海矢を窺いながら居心地悪そうに歩いており、そろそろ一人になりたいのか小さな声で喋りかけられたが、海矢は先ほどから思っていたことを口に出した。家の場所を聞くと、学校からはかなり遠くて驚く。
「うわっ結構遠いな!こんなに遅い時間に一人じゃ危ないぞ・・・それに、家族に連絡とかしなくて大丈夫か?」
思わずいつもの愛海への心配性が出てしまい、高校生に聞くことだったかと言った後に少々気恥ずかしさを感じたが、やはり弟がいる身にしては愛海と同じ背格好の生徒を暗い中一人にさせることに心配が募る。
「大丈夫ですよ。今僕、一人暮らしですし」
「お前、一人暮らししてるのか」
真心は自分でも気づいていないだろう寂しそうな表情で、だがどことなく平気さを醸しながら言い切った。
「(家に帰っても、一人なのか・・・・・・)」
海矢は寂しい気持ちになった。海矢が家に帰ると家には電気がついており、愛海がいてくれている。『ただいま』と言ったら『おかえり』と答えてくれる。温かい夕食を共に笑い合いながら食べることができる。もし家に帰っても愛海がおらず、真っ暗な家の中で明かりをつけて一人で食事をするということを想像すると、心が冷たくなっていくようだった。
弟を心配する兄心を擽られて、海矢は無意識のうちに口を開いていた。
「あのさ、俺の家、寄っていかないか?」
********
「ただいまー。愛海、遅くなってごめん」
「おかえりー・・・って、え!?真心くん!?」
「お邪魔します・・・・・・」
半ば強引な形で真心を夕食に誘い、連れてこられた彼は出迎えた愛海に恐縮しながらスリッパを履いて家に上がった。真心の案内は愛海に任せ、海矢はブレザーを脱ぐとハンガーにかけエプロンを身につけると早速料理へ取り掛かった。
「ウソっ!真心くんめっちゃ上手いじゃん!!ヤバい負けちゃうっ!!ほらっ、お返しだ!」
「うわっ!え、ちょっと待って~!!」
愛海に教えてもらいながら騒がしくゲームをしている様子を見ると、少しは気分が明るくなったのだろうかと感じられた。もしかしたら愛海も普段の暗い顔を知っているのかもしれない。どこなく、気を遣って接しているように見える。
「飯、できたぞ~。今やってるのが終わったらもう終わりにしろよー」
「はーい!!」
「ごめんなー、凝ったもの出せなくて」
「いえっ、僕カレー好きなんです・・・・・・」
「わーいカレーだー!」
手早く作れる一品の中にカレーがあったのと、冷蔵庫にちょうど使いかけの食材があったのでカレーになってしまった。テーブルに三人分のランチョンマットを敷き、適当によそった皿を置くと二人はゲームを片付け椅子に座った。真心の言葉は本心であるようで、湯気カレーに目を輝かせている。愛海の大好物でもあるので、胸をなで下ろす。
「「いただきます」」
「いただきます・・・・・・」
一口食べた愛海は口の端を上げて幸せそうな顔になる。『おいしい!』と笑ってくれる愛海に笑みを返し真心の方を見ると、彼は小さく掬った一口を口の中に入れると、しばらく固まっていた。
「口に、合わなかったか?」
「いえ!おいしい、です・・・すごく・・・・・・」
「でしょー?兄ちゃんの作るご飯はいつも美味しいんだよ!!」
「よかった・・・。ほら、どんどん食べろ」
頬の赤くなる真心と兄自慢をしてくれる愛海に、まるで親のように勧めてしまう。ガツガツ食べ出す愛海に伴い、真心も遠慮深げに二口目を口に運んだ。すると唇をきゅっと結び、沈んだ顔になる。
表情の変化に愛海も気づいたがあえて口に出さずに見守っていると、真心はその細められた目からポロリと一粒涙を零した。
「ほんとうに、おいしいです・・・・・・。ほんとに、ほんとに・・・・・・」
片手で涙を拭いながら、スプーンで掬っては口に入れる。次々とあふれ出してくる涙と鼻水を必死に拭いながら、『おいしい』と言っては食べていた。その様子を、二人はただ静かに見守っていた。
********
「僕、ずっと一人なんです」
食べ終わって涙も引いてきたところで、真心は目元や鼻を赤くしながらそっと話し出した。
「僕一人っ子で、両親もいつも忙しくて家には一人でいることが多かったんです。一人で大丈夫かと聞かれる度に僕は『うん、大丈夫だ』って言ってきました。昔から人付き合いが苦手で、友達が一人もできないのにたまに話す親には心配掛けないように嘘をついていました。学校から帰っても一人のときが多くて・・・いつも電気のついていない家に入るのがなんだか寂しかったな。必要最低限の電気をつけて、薄暗い部屋で適当なレトルト食品とかカップ麺とか食べて、一人で寝て・・・・・・。なんか、ずっと一人だな、って・・・思ってました。
でも、今日久しぶりに人が作ってくれたものを食べて・・・・・・先輩や愛海くんと家族みたいにご飯を食べて・・・・・・あぁ、なんか、やっぱこういうのっていいなって・・・・・・」
「真心くん・・・・・・」
真心の涙を飲みながらの話を聞いて、海矢も愛海も涙ぐんでいた。
「僕、さみしかったんだなぁ・・・・・・」
ぽつり、と言ったその言葉が、真心の本心そのものなのだと感じた。テストで良い点数を取っても先生に褒められても話す相手がいない。心がズタズタになるような、悲しい目に遭ってもそれを話し慰めてくれる相手もいない。家に帰った自分を待っているのは、真っ暗な部屋だけ。時々家に帰ってくる親は疲れた顔をしており、とても自分のことを話せるような状態ではない。我慢、我慢だ。一人でじっと耐えてやり過ごして、言いたい、喋りたい、わかってほしいという欲求を押し殺してそいつが黙って沈んでいくのをひたすら待つ。そんなことを真心は、今までずっとしてきたのだろう。人に頼らないのではなく、頼れないのだ。一人で耐えることを知ってしまうと、もう。
「真心くん。また食べに来てね、絶対!!」
「ああ、いつでもここに来ていいぞ。それに、今日はもう遅いからここに泊まっていけ」
「え・・・でもっそんなの悪いですっ!」
「俺が強引に誘っちまったからな・・・。それに、明日は休日だし」
「そうと決まれば風呂にレッツゴー!着替えは僕の貸してあげる!」
「おう、愛海。真心に場所とか教えてやってくれ」
「え、えっ・・・!?ちょっ」
「風呂から上がったらまたゲームしよ!」
困惑しながら愛海に背中を押されて行く真心を見て、海矢は苦笑いしながら洗った食器を片付ける。きっとまだ真心が最近暗い顔をしている原因は解決していない。だが今日は、少しだけだが真心自身のことが知れてよかったと、海矢は小さく微笑みながら三枚の皿を食器棚へとそっとしまった。
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