思春期の罠 PART4 ~雨のドライブと戦争~

小林勤務

第1話 理解

「この前より、随分ガソリンが高くなったな」


 最近、お父さんは何かにつけてモノの値段が上がった上がったと、呪文のように繰り返す。


「3千円で20リッターも入らなかった」


 値上がったのはガソリンだけじゃない。水道、電気、ガスといった日常的に必須なものだけじゃなくて、ラーメンやパンといった食べ物も同じだ。なんでも原料となる小麦粉の値段が上がっているらしい。

 最初、わたしはモノの値段が上がるのって、お店の人が値段を上げているからだと思っていたが、どうやらそんな単純な理由ではないようだ。


 お父さんはこう言った。

 モノには原価という仕組みがある。


「このクッキーで考えればわかりやすいだろ」


 今日は生憎の雨模様。天気も悪いのに、わざわざ車を走らせて、お父さんと二人で幹線道路沿いの有名なお菓子屋さんにやってきた。お目当ては濃厚バタークッキーだ。ふわりと香ばしい甘いバターの匂いが車内を包みこむ。


「ツグミは、クッキーを作るには何が必要だと思う?」

「うーん……小麦粉、バター、砂糖、そんな感じ?」


 ここのクッキーはそんじょそこらの安物とはわけが違う。ウン万円もする最高品質のバターをふんだんに混ぜ込んで、腕のいい職人さんがしっとりと焼き上げた、知る人ぞ知る有名店。この存在を彼女から教えてもらった時は、あまりの美味しさにほっぺが落ちそうになった。


 このクッキーを買うのは今日で二回目だ。


 でも、なんでこんな高いクッキーを買いにきたんだろう。普段は、スーパーでセール品の安いクッキーしか買わないのに。しかも、明日には晴れるって天気予報もでていたのに。

 今夜か明日にでも大切なお客さんがうちにくるのかな。


「クッキーを作るためにはまだまだ必要だぞ」

 と、言われたところで何も思いつかない。このクッキーは見た目もシンプルでフルーツが乗ってるわけじゃない。だとすれば、何か特殊な調味料が使われたり――。

「正解は、オーブンで焼く電気、ガス、水道」

 騙された気分だ。そんなのトンチみたいじゃない。

「あと、何が必要だと思う?」

「何って……」そっちがそうなら、こっちだって。「クッキーを焼くための設備とか」

「ああ、なるほど。それも必要だな。正解は『人』だよ。クッキーを焼く人がいなければ、クッキーは出来ないだろ」

 ああ、なんか早口言葉みたい。

「その人だって何かを食べたり生活しなきゃならない。その人の生活費も値上がってるわけだ。そうなると、当然、その人のお給料も上げなきゃ、もっと待遇がいいお店に移ってしまうことになる」

 確かにそうなんだけど。


「つまり、一個でもモノの値段が上がったら、連鎖的にいろんなモノの値段があがるってことだ」


 ここでふと思い出す。

 連日、ニュースで流れてくる遠く離れた異国の争いのことだ。


 普段、ニュースに興味がないわたしでも、繰り返される悲惨な状況に目をふさいで身震いしている。こっちは大丈夫だよねって心配すると、どうだろうなとお父さんははぐらかして、あんまり怖がらせないでとお母さんが守ってくれる。

 不思議なことに、どこかで争いが起きると、今の世の中はモノがうまいこと回らなくなる。モノが不足して、それが石垣を積み上げるように価格に結びついていくのだ。

 車内を芳醇なバターの香りで満たす名物クッキーのお値段は3千円。最近、300円値上げしたらしい。ガソリン代と同じだ。ちなみに中学1年のわたしのお小遣いは千円。3ヶ月分のクッキーを買うとは。もしかして、わたしのお小遣いも上がるってこと?


 いつも無口なお父さんは、今日は輪をかけて不機嫌。なんとなくお小遣いの値上げ交渉ができる雰囲気ではなかった。やっぱり、お小遣いは据え置きかな。


 助手席でクッキーを抱えながら考える。

 なんで、争いって無くならないんだろう。でも、争いって必ず誰かが誰かを攻撃するから始まるよね。こんな無意味なことにどんな理由が――。

 そんな疑問にお父さんは静かに口を開く。


「色んな理由はあるけど、まずは泥棒の気持ちになることが大事なんだよ」


 瞬間的に頭をよぎったのは、昨日、小1の弟が隠していたラムネをこっそり食べたこと。犯人はわたしだ。


「AさんがBさんの隣に住んで、空き巣の計画を練っている。でも、隣人のBさんはAさんがまさか本気で空き巣にくるとは思ってない。だから、むだな言い争いを避けるため黙っている。Aさんは警察に通報されないってわかっている。だから、隙ができるまでいくらでも空き巣の準備ができるってわけだよ」


 弟も犯人はわたしだと知っているのかも。根に持っているのかも。


「でも、そんなんで戦争にいかされる人たちも可哀そうだよ。だって、下手したら死んじゃうんでしょ」

「そうだな、死ぬな」

「わざわざそんなところに行きたくないな」

「でも、理由があったらどうする?」

「どんな理由?」

「例えば、その国に住んでいる人たちが暴力を受けたり、モノを盗まれたり、酷いことをされて、助けを求めているとしたら」

「そうなの?」

「その人たちを助けるっていう大義名分――つまり、その人たちも喜ぶっていうもっともな理由があるわけだ」

 なんだ、そんなちゃんとした理由があるんだ。じゃあ、仕方ないのかも? それでも殺し合いなんてよくないと思うけど。

「でもね、ここで一つ問題がある」

「問題? なにそれ」

「それは、その大義名分が嘘だったらどうするかってこと」


 暫しの沈黙が訪れる。お父さんはそれから先を続けることはなかった。わたしも同じ。ものすごく嫌な気分に包まれたからだ。

 でも、そうまでして誰かと争いたいのかな。

 なんにもいいことなんて無いのに。

 いや、争いを起こす側にとっては、きっといいことがあるんだろう。

 なんらかのもっともな理由――当人から見たらこじつけにしか思えない言葉を振りかざしてまで。


 今の世の中なら、そんな偽りの情報はあっという間に拡散されちゃうのに。


 馬鹿じゃないの。


 *


 いつの間にか雨足が強まってきた。バシバシと雨粒が激しく窓ガラスを叩きつけ、一気に視界が悪くなる。でも、車はスピードを落とすどころか、ぐんぐんと加速していく。まるで、何かに焦っているように先を急いでいた。


「今から、誰かお客さんがくるの? わざわざ雨の日に高いクッキーなんか買って」

 お父さんは黙って首を振った。

 じゃあ、お父さんの仕事の関係かな。最近、お父さんは土日も急な用事で、呼び出されることも多くなった。でも、そうだとしたら、わたしまで一緒に行く理由はない。

 芳醇なバターの香りは飽きることなく漂いつづける。その甘さに酔いしれていたけど、次々と車を追い抜いていくそのスピードに段々怖くなってきた。


 怖い。

 わたしがそう伝える前に、お父さんは切り出した。


「ツグミは学校でうまくいっているのか?」


「まあ、別に普通かな」

「そうか、ならいいけど」お父さんは一瞬だけ、何かを言い澱むと、「友達はできたのか?」

「いる……けど」

「そうか」

 その一言を最後に、再び沈黙が訪れた。


 お父さんは心配しているんだ。わたしが中学校でちゃんとやれてるのかって。


 わたしはかつて不登校だった。


 小学5年生の時,学校に行けなくなった。別にいじめられていたからではない。なぜか突如として人と話せなくなった。当たり前のように、友達と仲良くすることに強い不安を感じてしまった。

 自分でも理由はわかってる。きっと、あれが原因だ。


「ツグミは及川おいかわさんと仲がいいのか?」


 普段、夜遅くまで働いて、わたしに関心がないお父さんにしては珍しくピンポイントで固有名詞を出してきた。


「うん、まあね」


 及川さんは中学校からの友達だ。不登校だったわたしは、結局卒業まで誰とも会わず、家に引きこもっていた。そんななか、転機がおとずれた。中学に上がるタイミングで遠くに引っ越すことになった。学区が変わり、一から再スタートができるように、両親なりに考えてくれたのかと思ったけど、きっとお父さんの転勤と時期がうまいこと重なっただけだろう。


 このチャンスを逃せば、一生学校に行けない。そんな恐れがわたしを突き動かして、新天地で校舎をくぐることを決意した。そんな時に、仲良くなったのが及川さんだ。


「及川さんってどんな子なんだ?」


「どんなって」

 彼女は一目でわかる人気者。可愛くて、誰とでも仲良くおしゃべりができて。すぐにクラスの中心になった。

「彼女から何か嫌なことをされてないか?」

「なにそれ。あるわけないじゃん」


 むしろ彼女はフレンドリーだった。2年間の不登校のブランクはそれなりに大きく、すっかり口下手になったわたしにも色々と声をかけてくれた。


「彼女はいじわるな子なのか?」

「なんでよ」


 そんなこと、ない。


「じゃあ……」再び、お父さんは何かを言い澱む。「及川さんと今野こんのさんは仲が悪かったのか?」


 今野さんは同じクラスのちょっと冴えない感じの子だ。でも、いつもにこにこしてるから、ある意味人気者でもある。誰に何を言われても笑ってるから、いじられキャラとして定着していた。


「ツグミは今野さんとは仲良かったよな」


 わたしは――

 仲良しっていえばそうだし、普通っていえばそうだし。

 いや……ちがう。

 今野さんは親切な子だ。隣の席だったこともあり、忘れ物をした時とかも嫌な顔ひとつせずに貸してくれた。それから、自然と距離が縮まった。一緒に机をくっつけてお弁当を食べたり、休み時間に好きなアニメの話をしたり。美味しいお菓子のお店を教えてくれたり。

 でも、なぜか今野さんと急に疎遠になってしまった。一緒に遊ぼうって言われても、なんとなく断ってしまったり、会話も避けるようになったり。


 彼女はわたしの初めての人なのに。


「今野さんは今、学校に来てるのか?」

「……いない」


 ある日を境に今野さんは不登校になった。当たり前のように隣の席にいた彼女が幽霊のようにすっと消えてしまって、胸がちくりと痛んだ。


「及川さんが今野さんをいじめてたのか?」


 ストレートに切り出したお父さんの問い掛けに、わたしは咄嗟に否定する。

「だって、今野さんも別に気にしてなかったし、むしろ楽しそうだったよ。仲良く笑ってさ」


 でも、こんな言葉がどこか白々しく感じてしまった。


「ネットに晒されてたぞ。及川さんが彼女をいじめてた動画が」


 今野さんは元々おっちょこちょいというか、天然というか、そんなキャラであり、皆のいじりのターゲットになっていた。その中心人物が及川さんだ。ドッキリと称して、わざと彼女のイスにヘアジェルを塗ったり、偽のラブレターを下駄箱に入れて揶揄ったり。その度に、今野さんは「もう、やだな~」と笑っていた。


 彼女は愛すべきいじられキャラなんだ。


 彼女も笑いを取れるから喜んでいたんだ。


 及川さんは少し浮いた存在だった彼女が、クラスに溶け込めるように手助けしただけなんだ。

 きっと、そうに違いないんだ。


 でも、本当は。


 彼女の気持ちを、都合のいいように利用しただけだ。


「その動画の中で、及川さんと一緒に映っていた取り巻きも共犯だって叩かれている」


 その中のひとりがわたしだ。


 わたしは怖かった。

 また、自分が不登校になってしまうのが。


 小学5年生の時に、わたしは見てしまった。同じクラスの女の子が皆から仲間外れにされていることを、陰で散々悪口を言われていることを。

 もしかしたら、その黒い同調圧力はわたしにもくるかも。いや、彼女と仲良しだったわたしも。本当は裏では皆から馬鹿にされているのかも。


 次のターゲットはわたしなのかも。


 それから、わたしは学校に行くのが怖くなった。


「ツグミは、今野さんに何かしたわけじゃないよな? ただ映っていただけだよな?」

「うん……」


 お父さんは正面の一点を見つめて、声を震わせた。


「お父さんはツグミを信じてる。もし、ツグミが皆からいじめられたら、今度はお父さんに相談するんだぞ。何度だって転勤してやるから」


 もしかして、わたしが今の中学校に引っ越したのって、偶然なんかじゃなかったのかもしれない。

 本当は、わたしを心配した両親が、わたしのために――


「今野さんって、このクッキー好きだったよな」


 そうだ。このクッキーは今野さんがわたしに教えてくれたんだ。


「引っ越したばかりの時に、友達の家に行くから、このクッキー買ってよってせがんだよな」

 したよ。

「あの時、ツグミが楽しそうな顔してたから、お父さんも嬉しくてな」

「……」

「お母さんから聞いたぞ。その友達って今野さんだよな」

「うん」

「今すぐ、このクッキー持って彼女に謝りにいくんだぞ。それでいいな?」


 お父さんが、わざわざ雨の中、車を走らせて高級なクッキーを買ったのは、これが理由だったんだ。このクッキーを買ったのは二度目だ。初めてできた友達こんのさんの家に遊びにいくとき、そして、今日。

 今野さんは会ってくれないかもしれない。

 当然だ。だって、わたしから距離を取ってしまったんだから。


 わたしには、自分を大切に想っている家族がいて、わたしを友達だと思ってくれた子がいた。

 お父さんだって慣れない環境で仕事に追われていたんだ。

 わたしはもう一度、今野さんとやり直したい。


 こんなことになって初めて気が付いた。


 小さな怯えが、自分の世界を閉ざして、色んなものを動かして、再び違った景色を見せてくれた。まるで、この値上がったクッキーと同じ。


 さっきまでの叩きつける雨は、いつ間にか小降りに変わっていた。

 雨雲は散々雨を降らせてお役御免とばかりに、ゆっくりと千切れはじめる。

 その小さな切れ間から、一筋の光がアスファルトを照らしていた。



 了


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