第2話 心悸(シンキ)
朝の、まばらに人が集まる教室で、後ろの席から肩を指でツンツンとされ、僕は振り向く。
「で、蒼きゅんよ。昨日はどうだったのかね? 芥生お嬢との進展はあったのかね」
冗談めかした口調でにやにやと僕を見る彼は
んー、昨日のあれはあくまで花を囲ったからだろうし? 改めて考えると進展という進展ではないような……? でもなんか、悔しいし適当に濁しておくか。
にしても、昨日の芥生さんの笑顔良かったなー。
「おーい蒼? どうしたー? 帰ってこーい」
おっと、しまった……。
「どうって、まぁ? 多少の? 進展はあったようななかったような……?」
「ははーん、その口ぶり。さてはなんにも起こらなかったな〜? さすがの蒼でもだめかー」
あれー? そっこーバレてる。
「ぐっ……まだまだ時間はあるから」
「図星かよ〜アハハ」
猫宮くんはバシバシと僕の肩を叩く。
「いてて、いたいよー猫宮くん」
「あー、すまんすまん」
そんな他愛もない会話をしてる間に、教室の席はほとんど埋まり掛けていた。
僕も猫宮くんも教室に入ってくるクラスメイトに気さくに挨拶をしたり、されたりをしている。
そうこう過ごしていると、後ろのドアがガラリと開く。
後ろを向いていた僕は自然と入ってきた人と目が合う。そして――
「おはよう、
「うん。おはよう、芥生さん」
芥生さんは僕に挨拶をすると自分の席に向かっていく。
僕も猫宮くんの方を向き直してさっきの話の続きをしようと「でさ」と口を開いた時だった。
「お、お前、やっぱ昨日なんかあっただろ」
と、猫宮くんは目を丸くしていた。
よくわからないがクラス中がさっきより騒がしい気もする。
「いやいや、さっきも言った通り委員会しただけだって」
猫宮くんは疑うような目で言う。
「じゃあなんで、挨拶なんてされてんだ〜? このこのー」
「え、挨拶くらい普通じゃ?」
「はぁこれだからお前は」
ため息と呆れた表情をすると、続ける。
「いいか? 芥生お嬢から真っ当な挨拶もらうなんて異例中の異例だぞ」
いやいや、挨拶なんて誰とでも――
僕は改めて今までの彼女の様子を振り返る……。
考えてみれば、これまでいかなる相手に対して同様の行為は見られない。
となれば、あれれー? 異例じゃなーい? これー。
あまりに自然な所作と流れに気づかなかった。
そっか、これって一歩前進できたのか。
それがわかるや否や嬉しさが込み上げてくる。
「おーい、蒼ぃー? かえってこーい」
しまった。また意識が飛んでいた。
「あーごめん。ぼんやりしてた」
それを見て、まったくしっかりしろよな。と猫宮くんは呆れてる様子だった。
それから午前中の授業が終わり、昼休み。
教室でお弁当を食べようと準備していたところ、
「おー、桔梗。ちょうどいい所にいた。この前の委員会の時に連絡し忘れたことがあってな。資料にまとめたんだ。ほれ」
渡されたA4用紙にはいくつもの注意事項と、追加の仕事が明記されていた。
「先生、これ連絡漏れというには、多すぎません? まさかとは思いますけど……?」
僕は先生の顔を訝しむように見やる。
「い、いや。違うぞ! 決して面倒くさがって端折ったわけでは……!?」
仙谷先生は慌てて弁明する。
まったくこの人は……。
この人はどうやらせっかちというだけで、効率厨というわけではなさそうだ。
「わかりました。確かに受け取りました」
「すまんな、あ、でだ」
「まだ何か?」
「ああ、実はまだ芥生にまだ渡せてなくてな。悪いのだが私の代わりに渡しておいてくれるか?」
僕はクラスを見渡す。確かにそこに芥生さんの姿はない。
「言われてみれば芥生さん居ないですね。わかりました。代わりに渡しておきます」
それを聞くと仙谷先生は右手をひらひらとさせながら頼んだぞーと言って去っていった。
まったくもって勝手な人だな……。
「さて、早めに渡した方が良さそうだし芥生さん、探しに行くか」
んー 、でも芥生さんどこにいるのかな?
探すにしてもある程度あたりは付けたいよな。
「ん? どうしたー蒼?」
振り向くと猫宮くんがお弁当箱片手に立っていた。
普段彼は、昔馴染みと昼食をともにしていることが多い。
ところが今日はその人が不在ということで代わりに僕と約束をしていたのだが……
まぁ、彼は顔も広いし問題ないだろう。
「あ、猫宮くん。ごめん、今日はお昼別々でいいかな?」
「おう。それは構わないけど何かあったのか?」
「うん。なんかね、仙谷先生にお使い頼まれちゃて」
「あー、あの人は人遣い荒いからな。俺も授業の準備、何度も手伝わされたぜ」
まったくあの人は、どうやら誰に対しても同じようだ。
「そうそう。そういうことだからちょっと行ってくる」
「おう。いってらー」
僕は財布とスマホ、ファイルに挟んだ件のレジュメを持つ。
あ、そうだ。顔が広い猫宮くんなら芥生さんの居そうなところ知ってたりしないかな?
少し聞いてみよう。
僕は、教室を出る前に再度、猫宮くんに声をかける。
「ねぇ、猫宮くん。芥生さんの居場所って知ってたりする?」
彼は少し考える素振りを見せると、いつも通り真摯に答えてくれる。
「芥生お嬢かー、すまん詳しくは分からねぇな。強いて言えば、いつも授業終わると、すぐ教室から出てどっか行くなー。よっぽどお気に入りな場所があるのかも」
「なるほどー! ありがとう、参考になるよ。でー? 猫宮くんどうしてそんなニヤニヤしてるの?」
何やら
「いやー、ほほうと思いまして」
ほほう? ほほうってなんだ?
結局、僕は猫宮くんがニヤニヤしていた訳が、最後までわからなかった。
芥生さんどこにいるのかな。
僕は歩きながら考える。
猫宮くんはお気に入りの場所があるかもなんて言ってたけど……。
芥生さんのお気に入りの場所……。
そもそもまだこの学校の全容把握できてないし。
んー、とりあえず購買でも行ってなにか買おうかな。
うちの購買部は二つある。
一つは、学食に隣接されているもので、その立地の良さから多くの生徒はそっちを利用している。
対して、今向かっているのは少しだけ教室棟から遠く人もさほど多くない購買部だ。
それゆえに穴場的ポジションとして僕はこっちを利用している。
到着すると、僕はパッと目に付いたカニクリームコロッケバーガーを買う。
入学してからバリエーション豊富な購買パンを制覇しようと目論んでいるのだが、先はまだ長い。
さて、探す続きをせねば。
僕はもう一度思慮を巡らせる。
そう言えばこの購買って中庭が隣接してるよな。
一応、確認しに行ってみよう。
中庭に入ると、そこにはいくつかのベンチと複数本の大きな木がある。
ベンチはどれも埋まっており、木の下にもちらほらと人影がある。
しかし見渡してみてもそれらしき人影は見当たらない。
うーん、ここにもいないかー。
僕はふと手に持ったスマホを見つめる。
こんなとき、連絡先知っていれば便利なのに……。
諦めて中庭を後にしようとした時。
たまたま横切ろうとした大木の下に、力強く自生する一輪の花が咲いているのが目に入る。
昨日、芥生さんがお花が好きだと言っていたのを思い出し、不思議と興味が駆り立てられる。
僕は目の前にしゃがみこむと、その花を観察する。
鮮やかな黄色の花がラッパのような形状をしており、葉の形はチューリップに近い。
「この花なんだろう?」
その花はとても美しく可憐で、僕に勇気をくれるかのように凛と咲いていた。
「芥生さんならこの子の名前しっているかな?」
ちょっとあとで聞いてみよう。
僕はスマホのカメラアプリを開き、パシャと写真を撮る。
「これでよし。それにしても綺麗な花だな――ふむ」
僕は心当たりを一か所思い出す。
花が好きな彼女ならきっとあそこに――。
思い当たった目的地を目指しひたすら階段を登る。
頂上に至った時、そこには無骨なドアが姿を見せる。
ふっと一息入れると、丸いドアノブに手をかける。
握った手に軽く力を入れひねるようにしてゆっくり回し、ドアを開けると――
そこに広がったのは多くの美しい花と、そのさらに周りをぐるりと囲むフェンス。
初めて訪れたが、まさかここまで解放感のある屋上だったとは。
綺麗に並べられたプランターや鉢植えには色とりどりの花が咲き誇り、それはとても心が和む素敵な光景だった。
そんな中に一つだけ、木製のベンチが置かれているかと思えば。
そこには一人の少女が座っている。
後ろ姿だけだが、正体は一目瞭然だった。
「やっぱりここに居た。どーも芥生さん」
僕の声に反応したように彼女はこちらを見る。
「き、桔梗くん!? どうしてここに?」
珍しく取り乱した様子の彼女は不思議そうな顔をしている。
ありゃ、脅かせちゃったな。なんか申し訳ない。
「ごめんね、びっくりさせちゃって。君に会いたくて来ちゃった」
そう言葉を発してから、あれ? と気づく。
こ、これ勘違いさせちゃわないかな?
用事があって会いに来たって、正しく伝わってるかな?
「ふーん」
彼女の顔色を伺うと、どうやら普段と変わりない様子。
その反応もいつもと同じ希薄なもの。
見たところちゃんと伝わっているようだ。
安心安心。
流石にまだ僕の恋心を悟らせるわけにはいかないしね。
まずは少しでも交友関係を築いていかないと――。
「これを渡したくて探してた。急ぎのものみたいだから」
僕はファイルに刺さったプリントを取り出し、はいと渡す。
「あー、そういうことだったのね。これって環美委員のものよね」
昨日も思ったことだが、彼女はとても察しがいい。
「そうだよ、なんでも仙谷先生が連絡し忘れてたみたいで」
「そうなのね、ありがとう。確かに受け取ったわ」
よし、これで任務完了と。
ここからは僕自身の用事を遂行するぞー。
あの花についても聞きたいし。
「ねぇねぇ? 良ければお昼一緒してもいいかな?」
これは博打。まだまだ関係性の薄い今現在、断られる可能性は大いにある。
「どうぞ」
彼女はそう言うと座っている位置を少しずらしてスペースを作ってくれる。
ママママ? まじか!?
やったーーーーーーー!!!!!!
心の中の僕は飛んで跳ねている。
しかし、あくまで冷静にお礼を言うと空けてくれたスペースにストンと座る。
「それにしてもここは綺麗な所だね」
「そうね。いろんなお花が沢山見れて、人もほとんど来ない穴場だから私のお気に入りの場所なのよ」
「そっか、やっぱり予想通りだった」
「予想通り? そう言えば桔梗くんは何故ここがわかったのかしら?」
この場所自体は初めて訪れたが、ここに多くの花が集まることは知っていた。
知ったのは環美委員の会議室でそれぞれの担当箇所を確認した際だ。
そこには校内マップに担当者のクラスと株数が記されていた。
その中でここは一か所に集まる花の量が最も多かったと記憶していたし。
ついでに階段を登らねばならない面倒くささから上級生の間では外れの場所と認識されていたことも、織り込み済み。
となればあまり
つまり
とまぁ、頭をフル回転させ名推理をしたわけだ。
とは言え候補は他にもあったし、結局のところ最後に決め手となったのは――
「なんとなくかな」
「なんとなく?」
彼女は首を傾げる。
「そ、候補はいくつかあったけど、なんでだかここに居そうな気がして……」
「そう」
彼女はそれだけを言うと、ピンクの花柄の可愛いらしいお弁当箱の中身を、箸でつつく。
僕もまた、カニクリームコロッケバーガーの袋をビリビリと破いて、思いっきりガブリとかぶりつく。カニクリームコロッケはクリーミーで蟹の風味が口の中を広がり、シャキシャキと歯切れのいいキャベツが程よく食欲を駆り立て、濃厚なタルタルソースがそれらを繋ぐ。シンプルなバーガーだがこれは美味い。夢中になってがっついていると。
半分くらいまで食べ進めたころ――勢いよくむせた。
慌てて誰もいない方向に顔を背け、ゴホッゴホッと咳き込みながら驚くほど冷静に僕は思った。
あ、やばい飲み物買い忘れてた?!
自分の胸を何度も叩いたり、じたばたしても変わらない。
喉奥になにかが詰まってる感じが拭えず、何度も咳き込む。
あ……これ……やばいやつだ……。
終わったやつ……だ……。
自分の命の危機を感じ取った時。
僕の前に神々しく光る女神が現れる。
「大丈夫? これ飲んで」
女神の手には彼女が使っていたはずの水筒のコップが握られていた。
ああ、女神様よ。なんとお慈悲を与え給う。この御恩は一生忘れませぬ。
この
差し出されたコップを受け取ると、その中身を一気に飲み干す。
僕はこの味を生涯忘れないだろう。心が安らぐそれは温かい麦茶だった。
おかげで落ち着きを取り戻した僕は、何か重大な見落としがあるような気がした。
それはとても由々しき問題であり、今後の彼女との関係性を決定づけてしまう何か…………………え?
んーーーーーーーーーーーーーーーーー????
ちょっと待てよ……?
冷静に、あくまで冷静に考えろ…………?
僕は喉を詰まらせ、むせた。それを見て芥生さんが飲み物をくれた。それは彼女の水筒に入っていた麦茶。それを何を使って飲んだ? 彼女の水筒のコップ。さっきまで彼女が使っていた………………?
はああああああああああああああああああああああ!?!?!?!?!?
やらかしてる……かんっっっっっぜんにやらかしてる…………
これっていわゆる――――――間接キッッッスっ!!!!!!!
ヤバい、か、顔が燃えるように熱い。動悸も今までにないくらい速い。
だが待て、こういう時こそ落ち着くのだ。桔梗蒼。
僕はまだいい。しかし彼女はどうだ……?
例えそうするしかなかったとは言え、嫌悪感や後悔があるのではないか?
その可能性がある以上、今心がけるべきは彼女を不快にさせない紳士的態度。
そうだ。それしかない。
僕はズボンのポケットからハンカチを取り出すと、自分が口を付けたところを綺麗に拭き取る。
そして普段通りの声音で――
「ありがとう。助かったよ」
と、お礼を伝えるとコップを返す。
「うん、よかった。無事で……」
彼女の横顔からはなにも読み取れないが、僕なりの最善は尽くした。
あとは、印象が悪くなっていないことを祈る他ない。
「「……」」
訪れた沈黙を破るように、んんっと咳払いをすると話題の転換を試みる。
「そうだ。芥生さんに聞きたいことあったんだ」
「そう、何かしら?」
彼女の様子はいつも通り。話題の転換には成功したらしい。
「うん、この花のこと教えて貰おうと思って」
僕はスマホをタップし、ここに来る前に撮った写真を見せる。
「あー、これはスイセンの花ね」
「へぇー、この子スイセンって言うんだ。可愛い花だったから、思わず写真撮っちゃった」
「あら、そうだったの。スイセンはヒガンバナ科の球根植物で、室町時代に地中海沿岸の方から日本に渡来されたとされているのよ」
流石、芥生さん。名前を知っているどころか、由来まで教えてくれるなんて。
「そうなんだ。結構歴史あるんだね、葉っぱがチューリップに似てるのにも合点いったよ。同じ球根植物だからなんだね」
植物ってこうして追ってみるとすごく面白いものだと思う。
いつの間にか、お花や植物に対して興味を持っている自分がいるのだから驚きである。
「そうね。ちなみに黄色いスイセンの花言葉は――」
彼女は突然言葉に詰まる。
僕は不思議に思い首を傾げながら聞き出そうとする。
「えと、花言葉は?」
「い、いえ。なんでもないわ」
彼女は取り繕うように慌ただしく言った。
変だなとは思いながらも、彼女が言わなくてもいいと判断したなら追及すべきでないのだろう。
自分で調べれば簡単だが、なにかそれもズルい気がした。
「あ、もうそろそろ休み時間終わるね」
ふと見た腕時計の針でそのことに気づく。
「あ、そうね。早く片付けないと」
彼女はお弁当箱を可愛らしい花柄の三角巾に手早く包む。
「桔梗くん、今日は悪かったわね。手間を取らせてしまって」
「ううん、大丈夫だよ。同じ委員会のよしみだしね」
むしろ手間以上の大事を起こしてしまい、こちらのほうが申し訳ない気持ちです。
「そう、ならよかったわ」
教室に戻ろうと僕らは荷物を持ち立ち上がる。
あ、そうだ。もう一個、芥生さんにお願いしたいことがあったんだ。
危ない忘れるところだった。
僕は最後にもう一度、彼女に呼びかける。
「あ、芥生さん!! よ、良かったらで大丈夫なんだけど、LINE交換出来ないかな? あの、そのこれからも委員会関連で、連絡することもあるかもしれないし、む、無理にとは言わないんだけど」
緊張のあまり、少し早口でまくし立ててしまう。
こういうのは中々、慣れない。
それでも、彼女はスっと自分のスマホを取り出す。
そして時折見せる、ドキッとさせる表情で僕を見つめると、柔らかい声で言った。
「ええ、いいわよ。もちろん。」
僕はそれからしばらくの間、今日起こった出来事を思い出したり、LINEに残る彼女の名前を見つめたりしては温かいほわほわとした気持ちになっていた。
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