僕はお花が大好きな彼女に恋をする。
五月雨蒼生
第1話 初恋(ハツコイ)
『愛はいつでも贈り物としてあなたのもとにやってくる。突然、なんの前触れもなしに。私たちは愛されたいと思って愛するのではない。愛したいから愛するのだ。
教育学者レオ・ブスカーリア』
その日、僕は恋をした。
****
それは、私立
自宅の玄関に座り込み靴紐を結んでいると、背中越しに話しかけられる。
「あれ、アオイ? もう行くの?」
その声は寝起きのそれで、あくびをしながらゆっくり階段を下りてくる。
僕はそのまま返す。
「あ、お母さんおはよう。まぁね早く起きれたし」
「あらーえらいわね。ご飯は食べたの?」
「うん、トースト食べた。母さんとましろの分もテーブルの上にあるから」
「いつも助かるわー」
「いいよ、別に」
僕は立ち上がると、玄関のドアを開ける。
その隙間からは絶え間なく朝日が差し込んでいた。
その足取りは背中を押されているように軽く、心は踊っている。
いつの間にか速足になっていることなど気にも留めず、気づけば校門前に立っていた。
僕の心臓は、トクントクンと小気味良いリズムを奏で、息遣いも少し荒い。
普段より大きめに息をすれば、目の前の壮大な校舎に、高校生になった実感と期待感が襲い来る。
「今日から僕も高校生か――」
噛み締めるようにつぶやく。
再び歩き出した僕の背中を流れるように 、春の温かい風が桜吹雪を乗せて体を包み込み、導かれるままに正面を見据える。
そして吸い寄せられるように見つめた先だった。
花壇のそばで膝を抱えて座る――
彼女がいた。
それが僕の初恋で一目惚れだった。
****
定型的な入学式が終わり、各自の教室でHRが始まる。
壇上には漆黒の長い髪を後ろで一つに束ね、タイトスーツからすらりと伸びる脚を覗かせた、長身の女性。
「改めて入学おめでとう。今日からこのクラスの担任を務める
彼女はハキハキと自分の名前を口にしながら、黒板に勢い良く線を走らせる。
「でだ、私はこうみえてせっかちだ。故に君たちの自己紹介も兼ねて、委員会決めを行おうと思う!」
どうみてもせっかちだろ。という突っ込みは置いといて、もう決めるのか委員会。
他のクラスメイトもざわざわと困惑している様子だ。
仙谷先生はいいからやるぞーと半ば強引に準備を進める。
どうやら入りたい委員会を順に挙手して、決まった者から自己紹介していく方式らしい。
クラスメイトが次々と決まり自己紹介を済ましていく中、僕はというと――――まだ迷っている。それはもうものすごく悩んでいる。
委員会をこんな急に決めろって言われても………。
学級委員、体育委員、文化祭実行委員は……?
どれも僕の柄じゃないし……。
保健委員や図書委員は仕事多そう……。
放送委員は、そんなスキルないし……。
ぐあぁーーー決めらんない!
僕は頭を抱える。
出来れば楽そうで、充実感が得られるような委員会がいい。
考えている間にも枠はどんどん埋まっていく。
想定以上の進行度合いにさすがの仙谷先生も舌を巻く。
「おお、いい具合に順調じゃねぇか。おっしゃ、次行くぞ~えー次は、環境美化委員だな。やりたいやついるか? 手ぇ挙げろ」
環境美化委員? どんな仕事なんだろうか……。
それは単純な興味で気まぐれだったと思う。
僕は咄嗟にこれだ。と悟った。
思うが早いが、僕は手を挙げ返事をする。
「「はい」」
その時、寸分違わず同じタイミング同じスピードで二つの手があがり、二つの声が重なる。
もちろん一つは僕で、もう一つは――?
「お、ちょうど二人か、お前ら仲いいな」
仙谷先生は茶化すように笑う。
「じゃあ、まずキキョウ。自己紹介しろ」
僕は、緊張に震えながらも深呼吸すると、勢いよく席を立つ。
「は、はい! 初めまして、
「……」
お、おいやめろ。シーンとしたら滑ってるみたいだろ。。
僕の持ちネタだぞこれ。
そんな中、カハハハッハハハと大笑いするやつが居た。
どこぞの教師である。
んんっと咳払いすると僕は続ける。
「趣味というか生きがいは人と話すことです。今後ともよろしくお願いします」
「へぇー桔梗は話をするのが好きなのかー。よおしお前ら思う存分いじってやれー。 あとギャグおもしろかったぞ」
いや、ちょっとこの教師何言ってるのかわからない。
てかあんまり蒸し返さないでくれ……。
僕は適当に苦虫を噛みながら笑う。
仙谷先生はそんな僕を知ってか知らずか、話を進める。
「よし。じゃあ次だ。アザミ、お前の番だ」
「はい」
返事をする彼女の声は、どこまでも透き通るように響いている。
そして立ち上がった彼女に、僕は瞬く間に目線を奪われる。
「(あれ? この子たしか今朝の……?)」
絹のような光沢を帯びた
「
彼女の声は熱を帯びておらず、それだけを言うと周りの目も気にせずすっと座る。
仙谷先生は壇上で表情を引きつらせながら、彼女を見つめる。
「おーいもう終わりか? 芥生」
彼女は顔色を一切変えずに答える。
「はい。特に話すこともないので」
その淡々と話す様子に今朝のような面影はなく。
僕は不思議に思うのと同時に彼女のことを知りたい。強くそう思った。
****
それから数日。僕は幾度となく話しかける機会をうかがっているが、そのチャンスは訪れていない。それどころか、彼女に話しかけた
僕は歯がゆさを感じていながらも、諦める気なんて毛頭なかった。
「なぁ蒼。まじでいくのか?」
「うん、そのつもりだよ
彼は、
「そうは言っても、相手はあの芥生お嬢だぜ?」
「もちろん、噂なら知ってるよ」
「そうそう。話しかけたものの末路は良くて無視、悪いとあの鋭い眼光で睨まれると聞くぜ?」
「だいじょーぶ。僕に任せて」
「任せてって、なんか策はあるのかよ」
「いや? 特になんもないけど」
「無策かよ、つえー。まぁなら思う存分散ってこい?」
「根拠のない自信でも持っとけば力になる。これが僕の座右の銘だからね」
決まったあ。一度言ってみたかったんだよなー。座右の銘。満足満足。
「…………」
「あ、あれ? 引いてる? もしかして引いてる?」
キーンコーンカーンコーン
「あ、チャイム鳴った。席戻るぞー、じゃな蒼」
「えー、どんなタイミング……」
授業が終わり、帰りのホームルーム。
「あ、君らに連絡し忘れたことがある。今日の放課後てか、この後に各種委員会の第一回会議があるから、全員参加するように。以上」
あまりに横暴な仙谷先生の要求に、放課後の教室では困惑するもの、文句を言うもの、呆れるもの、慌ててスマホでどこかに連絡するもの。反応は様々だがみんな困ったようにして教室を後にする。
ただ一人僕を除いて。
これはまたとない
もちろん芥生さんとお近づきになるためのだ。
委員会ともなれば二人きりになることもあるはず。
そう考えた僕は思い立ったが吉日、行動に移すことにした。
「芥生さーん、一緒に委員会いこー…………て、あ、あれ? もう居ない…」
芥生さんの席を見ればそこにはもう姿も形もなかった。
ガックシと肩を落とすと一人寂しく、とぼとぼと会議場所へと向かう。
環境美化委員の教室に着くと、そこには既に各クラスの代表がほとんど揃っており、残りは担当教師を残すのみになっていた。僕は親切な
当然だが席の隣には芥生さんが座っていた。
「あ、芥生さん先に行ってたんだね」
「ええ」
彼女は端的に相変わらず熱を帯びない声で答える。
「環境美化委員の仕事ってなにするのかな」
「さぁ」
「僕のイメージだとお花に水あげる仕事なんだけど、芥生さんはどう思う?」
「そうね」
僕は彼女と話していて思った。
ここ、こここれは、いい感じに会話できてるのでは⁉
桔梗蒼は極度の天然だった。
ガラガラッ
突然、教室のドアが開く
「遅れて悪かった。それでは環境美化委員会の活動を始める。担当の仙谷 鳳花だ――」
「ええ⁉」
僕は思わず声を上げる。
「どうした、桔梗? いきなりうるさいぞ」
僕は口を押えてぺこりとお辞儀して、すいませんと無言で意思を伝える。
僕への注目が収まると、隣の芥生さんにひそひそと声をかける。
「びっくりしたね。まさか仙谷先生が担当だったなんて」
すると芥生さんも僕と同じようにひそひそと返してくれる。
「そうかしら? 想定はできたと思うのだけれど」
確かにそれもそうか。と僕はうなずく。
仙谷先生の話によると、環境美化委員会の仕事は花の水やりだけでなく、校内の清掃や、イベント後の片づけ、定期的な校内美化イベントの運営など、多岐にわたるようだ。
気まぐれに楽そうだからという理由で選んだ僕的には、複雑な気持ちだが悪いことばかりではなさそうなので、頑張ろうと決意しちらりと隣を見る。
真剣に説明を聞いている芥生さんの横顔はとても凛々しく、僕の気持ちを高揚させる。
どうやら今日は初回ということもあって、花壇の水やりをしたら帰っていいそうだ。
「ねぇ、ところで僕らの担当どこかな?」
「前の黒板に張り出されているそうよ」
「あ、なるほど」
「もしかして、あなた説明聞いてなかった?」
「うっ……い、いや聞いてたけど……?」
「聞いてなかったのね。まったく何をかんがえていたのだか」
「す、すみません」
い、言えない……芥生さんの横顔に見とれていたなんて。
「まぁ、いいわ。早く確認しに行くわよ」
そういうと芥生さんは軽やかな足取りで、黒板へと向かっていく。
僕もその後ろを着いて行き、一緒に自分のクラスの場所を探す。
該当の箇所を見つけ互いに示し合わせると、彼女はそのまま教室を後にした。
「あ、待って。芥生さん!」
僕も慌てて後を追う。
こうして着いた先は校門前の花壇だった。
僕にとっては始まりの場所。
そこに今、こうして当人といることに、幸福感を感じていた。
「――――くん、――きょうくん? 桔梗君!」
「あ、え?」
「さっきから呼んでるのに……」
「あーごめん。ぼーとしてた」
「多分その感じだと説明もろくに聞いていなかったと思うから、改めて説明するわね。今日の仕事は水撒きと植物の薬を花壇一つ一つに刺していくことよ」
「植物の薬?」
「そう、
そう言ってポケットから取り出し、僕に見せてくれる。
見た目は半透明のプラスチックに緑色の液体が入っており、先端に行くにつれて先細っていく形状をしている。
「へえー、これってどうやって使うの?」
「使い方は簡単よ。こうして先の部分を少しだけハサミで切って、植物の根元から少し離れたところの土に刺すの」
実演しながら教えてくれたおかげで、花の世話をするのが初めての僕でもすぐに分かった。
「なるほど。やってみる! 一本貸して」
僕は見様見真似で活力剤を土に刺す。
「いい感じね。上手だわ」
僕が声に反応してそちらに顔を向けると芥生さんもこちらを見ており目が合う。
彼女は屈託のない笑顔だった。
僕はそんな彼女のこれまで見たことのない表情に、心臓が高鳴り始め、つい口をついて出てしまう。
「………………かわいい」
僕は、はっと事の重大さに気づき顔を背け、芥生さんのほうを横目で覗き見る。
彼女も同様に目の前の花を眺めていた。
そして口を開く。
「こ、このお花とても可愛いわよね。デイジーというのよ」
「そ、そうなんだ。可愛いよねこの花」
「そう、
「へえー、詳しいね。芥生さんは花が好きなの?」
「ええ、そうよ。お花を見ると癒されるし元気を貰えるの」
「そっかー。それで今日は嬉しそうだし、いっぱい話してくれたんだね」
「そ、そうかしら。自分でも気づかなかったわ」
彼女は再び花を見つめる。
その横顔は慈しみや優しさに満ちた優しい表情で、僕は入学式の日を思い出し、より一層彼女のことが好きになるのだった。
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