もう一つの恋
買い物袋を持ちながら、レンタルキッチンへと向かう。なんか新婚さんみたいで嬉しくなってしまう。
(恋人になれたら、こうやって隣を歩けるんだろうな……恋人になれたら、なにをすれば良いんだろ)
付き合うって、なんなだろう?
『態度でバレバレだっての……恋愛は付き合ってからの方が大事なんだぞ。自信がないなら、自分を磨いて隣に立てる様に頑張れ。その努力は、無駄にならねから』
義斗兄ちゃんのアドバイスが頭に響く。確かに今の僕じゃ、本当の意味で秋吉さんの隣に立てない。
もし付き合えても、周りのやっかみに負けてしまう。
「頑張るしかないか……それじゃ、レンタルキッチンに行こう」
キョトンとしている秋吉さんを尻目に気合を入れ直す。料理、勉強、ファッション……何より秋吉さんへの気持ち。磨かなゃいけない事はまだまだ沢山ある。
無駄な努力に終わるかも知れないけど、頑張ろう。
「凄いマンションだよね。本当にここで良いのかな?」
マーチャントマンションの前に着くと、秋吉さんが不安そうに呟いた。その気持ち凄く分かります。
「うん、さっき僕もそう思ったよ……すいません。今、戻りました」
ガードマンさんに挨拶をして、マンションの中に入る。
「中も凄いね。どんな人が住んでいるんだろ?」
秋吉さんが驚くのも無理はない。マンションの中は更に別世界。床には塵一つ落ちていないし、そこら中ピカピカに磨き上げられている。
「歩くだけで緊張しちゃうよね。この部屋だよ」
買ってきた物を冷蔵庫にしまって、竜也に連絡を入れる。
「広いねー。信吾君、何か手伝える事ある?」
まあ、ただ待っていても暇だよね。
「竜也の料理の腕を見てからかな。あれだけこだわる先生なら、洗い物もチェックしてそうだし……お茶でも淹れようか?」
正確に言うと料理の手際を見ると思う。やかんにガスに掛けてお湯を沸かす。
「それ位私がやるよ。信吾君は気を使い過ぎ」
そうは言われてもキッチンに立つと、出来る事を探してしまうのです。
「ごめん、ごめん……お茶飲みながら、少し話しようか?」
僕がソファーに座ろうとした瞬間、チャイムが鳴った。竜也、タイミング悪過ぎ。
◇
竜也が来たのでキッチンへ移動。
「まずはイカをおろすよ。良いヤリイカが売っていたんだ。はい、まず手を洗う」
刺身でも食べられる新鮮なイカだ。イカをボールに移して、一杯を手に取る。
「待って、この状態から料理するの?ハードル高すぎない!?」
そう言いながらきちんと手を洗う竜也。
「大丈夫。手順さえ分かれば案外簡単だから。まずは胴体の隙間に手を入れて、身から骨を外す。指を動かしていけば、硬い物にぶつかるから」
骨って言っても軟骨なんだけどね。こうすると胴体が外れる。頭と足は一旦ボールへ移す。
「で、出来たよ」
竜也が終わったのを、確認して次の工程へ。
「次は胴体からさっきの骨を外す。そしてイカの耳の付け根に指を入れて剥がすんだ」
この耳も美味しいんだよね。刺身にしても良いけど、今日は違う事に使う。
「イカってそうやっておろすんだ。流石、信吾君」
秋吉さんが誉めてくれた。鼻の下が伸びそうになるのを我慢しながら、次の工程へ移る。
「耳と一緒に皮が剥がれた所あるでしょ?そこからキッチンペーパーを当てて、皮をはいでいくんだ。やってみて……そう、上手いじゃん。残りのイカもよろしく」
多分、竜也は料理の経験がある。横目で見ながら、自分の作業に移る。
もう一つのボールからイカを取り出し、足、顔、肝に切り分ける。顔はゴミへ、肝はボールへと戻す。
「イカの足は別の料理に使うの?」
秋吉さん、正解。これが美味しいのだ。
「信吾君、待って。その料理も覚えたい」
きちんとメモも取っているし、教え甲斐がある。
「それじゃ、僕も皮を剥くよ。あっ、耳の皮も向いてね。皮を剥き終わったら、胴体を輪切りにしていく。こんな感じ……そう、そう。耳は横に切って、終わったらボールへ入れて冷蔵庫にしまう」
さて、次が僕の秘策だ。ジャガイモを取り出して、水で洗っていく。
「信吾君、それペティナイフだよね。ケースから出したって事は、信吾君の私物?」
レンタルキッチンに調理器具は一通り揃っているけど、わざわざペティナイフを持ってきたのは意味がある。
「うん、僕の私物。これを使うと皮むきとかがしやすいんだ……ほら」
ジャガイモは今まで数え切れないほど、皮を剥いてきた。
「凄いっ。プロみたいだね」
竜也が感心してくれているけど、バイト代をもらっているからある意味プロなんだよね。
「竜也、このナイフを使って芋の皮を剥いてみて……そうそう、上手い。上手い。そのジャガイモを一口大に切る。そしてレンジで加熱」
竜也は、僕の指示をきちんとこなせている。
「凄く使いやすいナイフだね。次は何をすれば良いの?」
婆っちゃが小学生の僕でも使える物選んでくれたんだから、当たり前。でも、なんだか凄く嬉しい。
「鍋でイカの胴体・耳・肝をバター・醤油・酒で軽く炒める。そうすると、イカからも水分が出てくるんだ。一回火を止めてイカを取り出す。イカが浸かる位の汁を掛けておく。今度は鍋にジャガイモを入れて弱火で煮ていく。火が通ったら、そのまま冷ます。これでバターイカじゃがの完成。食べる前にイカを戻して温めてね。秋吉さん、皆に連絡して」
この煮汁、ご飯に合うんだよね。
「分かった……凄く美味しそうな臭い!これ絶対美味しいやつだ」
秋吉さん、テンション上がりまくり。本当に食べる事が好きなんだな。
「次はイカの足についている吸盤をそぎ落としてから、皮を剥く。そしてそれを包丁でたたく。そこに刻んだネギと醤油を入れれば、げその叩きの完成。七味はお好みで。ご飯に合うんだよ」
爺ちゃんいわくお酒にも合うとの事。
「もう二品出来たんだ……トマトは何に使うの?」
賄いの品は手早くが基本なのです。
「まずはトマトに十字の切り込みを入れて、お湯にさっとくぐらせる。これで湯向きの完成。それを角切りにして……うん、そう。出来たら二つに分ける。次は新玉ねぎを粗みじんにして放置。これで辛味が抜けるんだから、不思議だよね。その間にお湯を沸かして中華出汁を投入。そこへさっきのトマトを入れて、一煮立ち。沸騰したら溶いた卵を入れる。この時スープに渦を作って、その反対向きに卵入れるのがコツなんだ。これで中華風かきたま汁の完成。あっ、味見して塩で調整しておいてね」
トマトって火を通すと旨味が増すんだよね。
「玉ねぎは何に使うの?」
残すは二品。
「さっきのトマトと玉ねぎ、ツナ缶、レモン汁、オリーブオイルを合わせる。ツナ缶はオイルも入れてね。塩と胡椒で味を整えれば、トマトと玉ねぎのサラダの完成。オムレツは皆が来てから、僕が作るよ。それと使い終わった物は、隙を見て洗ってね」
合格できるか分からないけど、これが僕のせい一杯だ。
「信吾君、ありがとう。家でも練習してみるね」
イタリア料理感は皆無だけど、竜也は喜んでくれている。ちょっとだけ肩の荷が下りた気がする。
「うん、そしてこれを使って。こだわりのある人なら分かると思うから」
ペティナイフを竜也に手渡す。きちんと使い込んだ包丁は料理人の誇りだ……って父さんが言っていた。
「信吾君、それ大切なナイフなんでしょ?」
秋吉さんは、僕がこのナイフを大事にしている事を知っている。
「うん。だから大切な友達の竜也に貸すんだよ。これで先生から合格をもぎ取ってね」
かなり恥ずかしいけど、これが僕の本音だ。
◇
出来上がった料理をテーブルに乗せていく。
「今回の僕の答えが、これ。イタリア料理で良く使う食材で作った賄い料理だよ」
トマトと玉ねぎはもちろん、イカやジャガイモもイタリア料理では良く使うのだ。
ネギやツナ缶は賄い料理で良く使うので、どこのお店にもある筈。
「しかし、見事なまでにイタリア料理感ゼロだな」
徹が不安気に呟やく。だって僕本格的イタリアンなんて作れないもん。そんな僕がイタリア料理好きに挑むなんて無謀過ぎる。
「設定が日本にあるイタリア料理店だから、これで良いんだよ。働いているのは、日本人。いくら好きでも毎日イタリアンは飽きるでしょ?賄い料理は食べてもらって、なんぼだよ」
もしイタリアにあるレストランなら、完全につんでいた。イタリア人がイタリアンに飽きる事はない。何より一口にイタリア料理って言っても、種類が多いんだよね。
「このじゃがいも、やばっ。バター醤油とイカの旨味染み込んで、やばい位美味しい」
夏空さんは、やばいが口癖なんでしょうか?煮汁をご飯にかけてがっついてます。
「信吾君、イカの肝って食べられるの?」
秋吉さんが肝を見ながら怪訝そうな顔をしている。多分、秋吉さんなら気に入ってくれると思って入れたのです。
「騙されたと思って食べてみて。凄く、美味しいから」
当たり前だけど、肝は一杯に一つしかない。僕は自分の分を、こっそり確保しています。
「本当だー!凄く濃厚で美味しい。幸せ―」
イカバタじゃがは、皆に好評だった。いつか洋食も食べてもらいたい……いつか自信がついたら、振る舞ってみよう。
「げそ、にこんな使い方があったんだな。信吾、お代わり」
徹、ご飯位自分で盛れよ……でもレンタルキッチン代は徹が出してくれるそうなので、素直に盛ります。
「トマトのスープ、美味しい。カロリーも高くないから、栄養士にお願いしてみよ」
桃瀬さん、出来たら僕の名前は伏せて下さい。プロに見せられる品じゃないんです。
「オムレツ、トロトロで美味しいよ。今日は休みだから、信吾君の料理食べられないと思っていたから、嬉しいっ!」
うん、でも僕はまだ納得していない。爺ちゃんや父さんが作るオムレツは、こんな物じゃない。
「教えてもらってなんだけど、こんな簡単に美味しい料理が作れるんだね……このサラダ、純一が好きだそうだし、今度作ってみようかな」
竜也が嬉しそうに笑う。ううん、皆笑顔で料理を味わっていた。僕はブロッサムに入って良かったと心から思える。
「それ、モッツァレラチーズを混ぜて冷製パスタにしても、美味しいんだぞ」
夏になったら、皆でキャンプとかしてみたいな。
◇
土曜日の昼過ぎ、洋食屋ヨシザトは今日も大繁盛。アルバイトとはいえ、夏空祭は店内を忙しく動きまわっていた。
(確か今日は相取の合格が分かる日だっけ)
祭にとって相取竜也は、仲の良い男友達の一人。
ちなみに祭は、かなりもてる。告白された事も一度や二度ではない。それにフレンドリーな性格の祭は勘違いされる事も多く、あえて男子とは距離を取る様にしていた。
しかし信吾達三人は、きちんと距離を保ってくれる。信吾と竜也は、異性として意識しなくても良い少ない男友達なのだ。
「今日の賄いは海鮮餡掛け炒飯だよ。悪いけど、先に食べていて」
そのうちの一人信吾が賄い飯を持ってきてくれた。家計の助けの為にアルバイトを始めた祭にとって、ヨシザトの賄いは嬉しい存在だ。
ある一点を除いては……。
「ううん。私達も結果を知りたいから気にしないで」
いつもより甘い声を出しているのは、親友の秋吉実。本人は『ただのお友達だよ』と否定しているも、祭の目から見れば実は確実に信吾に惹かれている。
「良かった。合格だって」
スマホを見ながら信吾がにこりと笑う。友達の幸せを心から喜んでいる優しい笑顔だ。
それを見て頬を赤らめる
ただ実はある理由から、恋心を抑えている。もっとも、祭や陽菜から見ればだだ漏れで、胃もたれする位、甘い空気をだしているのだが。
(まったく……毎回、間近で甘い空気に包まれる身にもなれっての。ここに庄仁がいれば……いなくて良いっ!あいつに迷惑が掛かる)
自分の気持ちを否定するかの様に首を振る祭。
「良かったじゃん。今度のランチ会はお祝いだね」
そして夏空祭。彼女もまたある事情から、恋心を封じているのだ。
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