第12話 私は肉盾になりたい

 高慢な態度で登場した魔人はそれまで上機嫌であったが、急に額に青筋を立てた。


「なんだと、ザコども。この魔人ネルロの名前を知らないだとぉ?」


(あっ、やばいっ。魔人さんの逆鱗に触れちゃったかも!)


 オージンは慌ててフィアットを後ろに下がらせるように腕で押すが、まるで恐いもの知らずにフィアットは前に出た。


「なんだかわかりませんが、あなたからは敵意を感じます」


(うん、それは素人の私でもわかるよ。この魔人さん、めっちゃ怒ってるから! 殺気やばいよ!)


 なんとか穏便にこの場を収められないかとオージンは打開策を考えるが、背中を見せて逃げ出した途端に後ろからズドンと一撃で殺されそうだ。


「この俺様を壺の中に閉じ込めやがった人間に復讐してやりたくて、ウズウズしているんだ。まずは生意気な若造から切り刻んでやろう」


 ゆるふわ初心者ダンジョンは一変し、ラスボスの宮殿へと気配が変わる。


 序盤からラスボス部屋に一直線なんて、どんなチート技だ。


(逃げるコマンドが絶対に使えない、ラスボス戦の予感しかしないわ! 盛り上がりが欲しいなって思ったけど、これはやりすぎよぉぉ!)


 いまだモンスターに一太刀も浴びせることができていないレベル1の戦士と、駆け出し魔法使いが相手できるわけがない。無謀にもほどがある。


(★次の転生にご期待ください――)


「ここは僕が時間稼ぎをします。その隙におじさんだけでも逃げてください」

「え……」


 絶望的な状況だというのに、フィアットは戦意喪失していない。戦う気らしく、杖を構えていた。


「俺のことを庇うって言うのか……そんな、お前だけ置いて逃げるなんてできないだろ!」

「足手まといなんですよ! いいから、僕の言う通りにしてください」


 今はその生意気な口調が、死に行く者の強がりに聞こえた。


 こんな見ず知らずのおじさんのために、美青年が命を投げうっていいはずがない。

 逃げ腰になっていたオージンだったが、膝の震えが止まり腹の底から力が湧いてくるのを感じた。


(そうよ、ここは異世界。私には神からのギフトがある。きっとここはその能力を華々しく開花させる時なんだわ!)


 神はオージンに「強靭な肉体」を授けた。

 ならば、どんな攻撃も防ぐことができる最強の肉壁になるのではないだろうか?


(ははぁん、わかったわ。そういうことね!)


 オージンはフィアットの腕を強く引き、後ろに下がらせた。


「おい、魔人とやら、俺が相手だ! こいつを殺したければ、俺から先にやることだ!」

「どっちが後でも先でもかまわない。どうせ殺すのだから」


 ポキポキと指の骨を鳴らして、魔人ネルロが舌なめずりをする。まるでその舌は蛇のように気持ち悪い。


「おじさんは下がってください! レベル1に何ができるっていうんですか!」

「ガキが生意気言ってんじゃねぇよ。お前は俺が守ってやるから、背中に隠れてな」

「おじさん……」


 驚き見開くフィアットの瞳の奥に、初めて「尊敬」という色が見え隠れした。


(フッ、我ながら決まったわ)


 まるで物語の主人公になったような爽快な気分だ。

 ここからゴリマッチョ戦士・オージンの無双が始まるのだ――。



「さっさとその臭い口を閉じろよ、おっさん」


 勝敗は一瞬だった。

 オージンの目には、いつ魔人ネルロが動いたのか見えないほど素早く、気付いた時にはその鋭いツメがオージンの分厚い胸板を貫いていた。


 ゴポリと鮮やかな血が口から吐き出される。


(え……うそ、私の肉体、紙装甲すぎぃぃ~)


 神が与えた「強靭な体」は、あっさりと魔人に突破された。信じられなくて何度もオージンは胸元を見るが、現実は変わらない。


「お前、人間にしてはちょっと硬かったが――大したことねぇな」


 魔人はニヤリと口元を歪めた。


(あれ、うそ? ホントに? 私の異世界冒険はここで打ち切りなの?)


 痛いというよりも体中がカッと熱くなり、意識が遠のいていった。

 世界がスローモーションのように見える。


「おじさんっ!」


 フィアットの悲痛な悲鳴がして、夢中で杖を振り回して魔人を追い払おうとする。クールな彼にしてはひどい取り乱しようだ。


「魔人め、おじさんから離れろ!」

「小賢しいガキが――」


 魔法を使うことすら忘れて、フィアットは杖で殴りかかる。それを小さく睨みつけて、魔人はオージンの胸から腕を引き抜き、後方に飛び退った。


 崩れ落ちるオージンの巨体を、フィアットが必死に受け止めようとするが、重さに耐えきれず二人とも崩れ落ちる。


「おじさん、しっかり! 死なないで!」


(ああ、やば……この感覚、過労死した時と同じだ……私、死ぬのね……でも、最後にイケメンの顔を拝みながら死ぬのも悪くないわ……)


 あの壺は誰かに仕組まれたものだ。

 それを気付いていながら、事前に止めることができなかったことが悔やまれる。


 そして、このままだとフィアットまで魔人の餌食になるだろう。それが可哀想でならなかった。


「フィアット……にげ、ろ……」

「おじさん、嫌だ。僕はもう……」


 温かい水滴がオージンの頬に落ちてきた。

 フィアットが大粒の涙を流している。


 あんなに生意気で素っ気なかったのに、可愛いじゃないかとオージンは最後の力を振り絞って笑った。


(いつも苦しい時、私は笑ってきたっけ……今度こそ、終わりね……)


「ありが…とう……短い間だけど、たのしかった……よ」

「……おじさんは死なせないよ」


 動揺し震えていたフィアットの瞳に力が漲った。

 その金色の瞳に、まるで猫のような鋭利な瞳孔がきゅっと引き絞られると、彼の体を中心に魔力の流れが渦巻いた。


 それは知覚できるほどの魔力量であり、魔人は一目で彼がただの人間ではないことを悟る。


「貴様、ただのガキじゃねぇな。古代魔法の継承者か――」


 魔人の顔色が曇る。

 よく見れば、彼はオージンに突き刺した腕を庇うようにして立っていた。その腕はだらりと垂れ下がり、痛みにぴくぴくと痙攣している。


 この時、魔人の腕は粉砕骨折を起こしていた。

 オージンの肉体がありえないくらい硬かったのは計算外で、負傷したことを知られるわけにはいかないと強がっていたのである。


「何者だ、お前ら……」


 尋ねるわけでもなく独りごちた魔人は、この得体の知れない人間たちを警戒した。


 今は封印から解かれたばかりで完全体ではなかったというのは言い訳だが、負傷したまま相手するのは得策ではない。

 引くのはプライドを傷つけることだが、引き際を知らないような低能でもない。


 魔人は舌打ちすると、漆黒の羽を広げて宙に飛び上がった。


「いいだろう。俺様を解放した褒美で、お前だけは見逃してやる」


 捨て台詞を吐くと、さっと身を翻して暗闇の中へと姿を消した。一瞬で気配が遠ざかる。



 脅威は去ったが、フィアットの体からは膨大な魔力が放出され続けていた。

 杖を構え、その視線の先には血まみれで横たわるオージンの姿がある。


「おじさん、僕の本当の魔法をお見せします」


 もはや声は届いているのかわからない。


 オージンは虫の息だが、魔人が立ち去ったことを確認してどこかホッとした顔をしている。


「時空の賢者の守護を我に――時よ遡れ。その者のあるべき姿に戻れ――時光回還<クロノリバース>!」



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