第4話 僕は大人になりたい

 輝く黎明の大地・ビスタルテ。


 世界には人間、エルフ、ドワーフ、獣人、魔族が生息しているが、長い歴史の中で大地の覇者となったのは人間族だ。


 世界は五つの大国が支配し、これには含まれない小さな城街や、エルフの隠れ里などが各地に点在している。


 目の前にある城街もその一つだが――まさに滅びの瞬間を迎えようとしていた。




「最後まで守ってあげられなくてごめんなさい――フィアット、あなただけでも生き延びて」

「ママ、ママ! 行かないで!」


 爆撃音の響く中で、一組の母子が今生の別れを迎える。

 母親と思われるまだ若そうな女性は、小さな男の子を愛おしそうに胸に抱きしめた。そのぬくもりをしっかりと確かめると、柔らかな頬にキスを落とす。


 男の子はまだ物心がつくかつかないかの年頃で、自分が育ったこの街に何が起きているのか理解できなかった。ただひたすら、耳をつんざく轟音と、なだれこむ敵兵の野蛮な声に怯えている。


 周囲は火の手に包まれ、母子が隠れている丈夫な宝物庫の外は地獄と化していた。

 昨日まで笑っていた近所のおじさん、おばさんたちが死体となって転がり、仲の良かった幼馴染の女の子は泣きながら両親の遺体に覆いかぶさったまま焼死する。


 この街が全滅するのは、もはや時間の問題だった。


 覚悟を決めた母親は、愛しい我が子の額に手をかざした。


「フィアット、今からあなたに魔法をかけます。少しの間眠ることになるけど、大丈夫。目が覚めた時には、全て終わっているから」

「ママ、ママ、僕こわくて眠れないよ」

「心配しないで、良い子だから」


 ズシン、ズシンと地響きが床から伝わってくる。

 敵はこの街ごと全て灰と化し、踏み潰すつもりらしい。


 だが、この地下宝物庫は頑丈に造られているだけでなく、特殊な魔法もかけられているため炎に呑まれることも、襲撃に崩壊することもない。


「さあ、ママがお歌をうたってあげる」

「ママ、こわいよ、ママっ!」


 だだをこねる幼子を抱きしめながら、母親はこの地に伝わる古い子守唄を口ずさんだ。

 彼女の手はほのかに光り、男の子を魔法の力で包み込む。


「覚えておいて、これが私たち一族に伝わる『時の魔法』よ。いつかあなたが大人になったら使いこなせるわ。ママの魔力の全てをあなたに託すから」

「ママ……僕、なんだかまぶたが重たくて……」

「瞬きすれば、あなたは時を越えるわ。その時にはもう、恐い人たちはいなくなっているから――」

「僕……眠りたくない……」

「おやすみ、フィアット。愛しているわ」


 目を閉じれば二度と母親と会えなくなることを本能的に悟った男の子は、なんとしても目を閉じまいと抵抗する。

 だが、魔法の力に適うはずもなかった。


 動かなくなった男の子の体を優しく横たわらせると、母親は自分が着ていたローブを脱いでその体にかけた。いつもしているようにもう一度おやすみのキスをして、優しく見つめる。


「さようなら、フィアット。必ず生き延びるのよ」


 名残惜しくてその場から離れがたかったが、母親は覚悟を決めると、長い杖を手に取り、轟音響く戦場へと勇ましく向かう。


 その足音は遠ざかり、やがて聞こえなくなった。




 ――それから数年後。


 とある農夫がクワで畑を耕していた。

 今日は天気もよく、カラッとしていて過ごしやすい気候だ。クワを振るう腕も軽やかで、陽気な鼻歌交じり。


 その時、耕したばかりの土がボコリと不自然な形に盛り上がった。

 モグラでもいるのだろうか。作物を食い荒らすモグラは農夫にとっては天敵であり、叩き殺してやろうとクワを身構える。


 ボコリ。

 続いて、その近くの土も同じように奇妙な形に盛り上がった。

 どうやらモグラが家族を率いて畑を荒らしに来たようだ。こうなったら根こそぎ駆除してやろうと、ソロリ、ソロリと近づく。


「よーし、動くなよ、モグラめ。とっちめてやる!」


 いよいよクワが振り下ろされる直前、土を掻き分けるようにして人間らしき者が土の中から這い出してきた。

 それを見た途端に農夫は飛び上がり、よく確認しないまま脱兎のごとく逃げ出す。


「ひぃぃぃ、死霊が出たぁぁ! 呪わないでくれぇえ~」


 あっという間に農夫の姿は視界から消える。


 そんな農夫を気にかける余裕はないようで、土の中から這い出してきた薄汚れた人影は、ふらふらと立ち上がろうとして、崩れ落ちる。


 長く眠り続けていたせいで、体がまだ思うように動かない。歩き方すら忘れかけていたが、すぐに自力で立ち上がる。


「ここ……どこ?」


 土にまみれた顔で、その人影は周囲を見渡した。

 彼の目に映るのは見知らぬ風景。


 ここにはかつて立派な城壁を持つ街があったが、目の前に広がるのは田畑と、遠くにあるのはみすぼらしい木造の家屋だけだ。


 彼はまだ知らない。

 滅ぼされた故郷が、侵略者たちにより破壊し尽くされ、全く違う村へと姿を変えたことを。


 ただ呆然とするばかりだが、肩から剥がれ落ちた汚れたローブを見つめて、彼は自分が全て失ったことを自覚する。


 いや、全てではない。

 彼が握りしめたこぶしの中で、光が生まれた。

 それは魔法の力。


 母親が残したこの力だけが、彼が持つ全てである。


「……早く、大人にならなきゃ……」



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