第7話 幕間 愛の下僕

 この世に神はいない。


 信じる者は救われないのだ。



 ——私の人生がおかしくなってしまったのは……いったい……いつのことだったでしょうか?


 どこにでもいるような平凡で優しい両親から生まれた私は、貧しさに喘ぐこともなく幸せで健康に過ごしていたと思います。

 素敵な出会いをして、優しい夫を持ち、子供は二人がいいなぁ……なんて考えていたくらいでした。——魔王軍が私たちの町を襲うまでは。


 魔王軍に襲われた町や都市が辿たどる運命は一つ。破壊と殺戮さつりくの嵐に襲われ、血の海と瓦礫がれきの山がひたすらに広がる不毛の地と化すのみ。

 呆気なく両親を殺された私の運命も町と同じ——だと思われました。

 

 私たちの町を襲った魔王軍を指揮していた変わり者の上級魔獣が、若い女のみを生け捕りにしていたからです。

 ——命だけは助かった。と、当時の私は密かに安堵あんどしていたはず——この先に待ち受けるのが……更なる地獄だとは露知らずに。




◇◆◇◆◇◆




 私達が連れてこられたのは『』と呼ばれる場所でした。

 そこでは魔王軍によって捕らえられた人間が、まるで家畜のように、知性ある魔獣達に飼われていたようです。


 『飼育場』では人間のころの名前を捨てさせられます。家畜に名前は必要ないということでしょう。

 両親から授かった『  』という名前を捨てさせられた私に与えられたのは百八番という数字だけでした。


 『飼育場』での日々は地獄です。

 私たちに求められたのは実験体、というのは聞こえが良すぎますね。要するに魔獣達のお遊びに使われる玩具おもちゃという役割でした。


 魔獣の力比べのために両腕を掴まれ綱引きの綱代わりにされた者。

 お掃除のためと言われ全身をあちこちに強い力で押し付けられ、雑巾のように絞り上げられた者。

 両腕を切り落とした人間をどんどん積み上げていって、山を崩した方が負け。なんて遊びに使われた者もいました。

 

 玩具おもちゃにされる人間は番号順で選ばれていく。一番が死ねば次は二番。二番が死ねば次は三番の人間が玩具の出番でした。


 早く死んだ方が楽なんじゃないか。

 そう思える位には籠の中で順番待ちをしている時の恐ろしさは凄まじいものでした。

 番号が近づいてくる度に死への恐怖が大きくなります。

 

 魔獣の玩具おもちゃになった者は、例外なく人の尊厳というものを失った上に、果てしない苦しみの末に絶命するため、どうせ死ぬならと自死を選ぶものも少なくありません。


 ——私は……ずっと耳を抑えて震えていたような気がします。

 自分の出番が来るのが怖くて怖くて……他の人の順番が来るたびに番号が聞こえないにしていました。


 私はいつしか、楽に死ねることばかりを神に祈るようになりました。


 死への恐怖に怯える日々が続き、もうすぐ私の順番が来るかもしれない——

そう思っていたある日のことでした。

 

 突然の運命の出会い、彼を初めて見たその日のことを今でも覚えています。


 『飼育場』の魔獣をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。

 圧倒的な力を見せて私たちを救った彼に……私は見惚れていました。

 

 当時はまだお名前も『勇者』という呼び方も知らなかった私は、貴方が絶望の底に

沈んでいる者に救いの手を差し伸べる神様に見えました。


 勇者様のおかげで『飼育場』から逃げ出すことができた私たちは、

辛い体験をしたけど、まだ人生をやり直せる。幸せを掴むことはできる。

 ——そう、思っていたのです。

 

 ここから始まるのは、私の人生という悲劇の『』。




◇◆◇◆◇◆





 なんとか、人間の住む土地に辿り着くことができた私たちでしたが、身寄りもない、滅びた土地の生き残りを助けてくれるような善人はどこにもいません。

 

 騙され、奪われ、尊厳を貶められる。

 

 私も奴隷商人に捕まり、奴隷という商品になります。あの地獄から抜け出しても人間として扱ってもらえることはなかったというわけです。


 売られた先は教会。

 当時の教会は魔王軍に追い詰められるあまり狂気の研究を行っていました。


 『量産型聖女製造計画』

 

 聖女とは『加護』を持つ女性の聖職者のことを指します。対魔王軍戦において聖女は非常に貴重な戦力となっている。しかし、戦力としての聖女にも問題がありました。

 

 それは、数が非常に少ないということです。

 

 『神霊』との契約は相性がまず求められるために、誰でも契約が可能というわけではありません。『神霊』の好みがあります。更に、代償への恐怖のため契約を躊躇ためらう者も少なくありません。


 『量産型聖女製造計画』とは——『神霊』と契約が可能な人間の条件を割り出し、

 条件に適する人間を大量に準備することで『加護持ち』を大量に増やそうという研究でした。


 私が奴隷として売られた段階で教会は『白の癒神』との契約の条件を発見しており、その条件は二つ。一つ目は『神霊』を強く信仰していること、二つ目は穢れを知らない乙女であることです。


 教会はこの条件を満たす人間を大量に用意するために、いなくなっても問題のない人間。つまり、奴隷を大量に必要としていたのです。

 

 『飼育場』から抜け出した私を待っていたのは、聖女という武器を作る『工場』だったというわけですね。


 私は再び絶望しました。この世になんて救いのないことか。

 洗脳にも近い思想教育を強制された私たちは来るべき契約の時に向けて、武術や錬魔、戦う術を徹底的に叩き込まれました。

 辛かった教会での日々でしたが、あの時助けてくださった勇者様の存在が私の支えになっていましたね。


 教育が始まってから三年。

 

 契約が済んだ聖女が戦場に出荷されるのを見ていた私にも、遂に契約の時が来ました。結果は成功。

 無事に加護を得ることができた私は、代わりに『攻魔の使用禁止』という代償を背負うことになりましたが、充分な戦力として戦場に出荷できる状態になりました。後は出荷を待つばかり。

 まさにその矢先のことでした。


 です。

 人類は勇者によって救われたのです。


 勇者様とはあの時の方に間違いないと確信した私は、あまりの感動に涙を流します。一度ならず二度までも私を救ってくださったことに感謝すると共に一目会いたい、という気持ちが強くなります。

 

 しかし、勇者様は一行に私たち人類の前に姿を現すことはありませんでした。

 

 一週間が過ぎ、一月が過ぎ、一年が過ぎました。姿の見えない勇者様に皆の関心はだんだんと薄れていきます。


 私は一日たりとも勇者様のことを忘れることはありませんでした。

 毎日の礼拝の際に契約している『神霊』へだけではなく勇者様のご無事をお祈りし、毎日を過ごしました。



 戦争が終わっても私の絶望は終わりません。

 平和になった世で私が目の当たりにするのは醜悪な人の欲でした。


 教会の権勢拡大のために、上層部は加護の力と『神託』を盾にその影響力を拡げようとするのです。

 

 私達——量産型聖女も教会のために表では聖女の仮面を被りながら施しを行い、

 裏では魔王軍との戦いのために培った技術で教会に敵対する人間を暗殺する。といった形で教会のためにその身を捧げる毎日でした。



 自分が自分でなくなっていくような、全身がバラバラに引き裂かれているような感覚を味わうの毎日。

 私の心は誰かの助けを求めていました。



 勇者様の存在だけを心の支えに、更に月日は流れます。大戦が終わったころはまだまだ幼さの残っていた私も、夫を持っていてもおかしくのない年齢になりました。

 

 教会の聖女、アイビス=アルバスと名乗っていた私は『白の癒神』との相性がよかったのか、長年の教会への実績が評価されたのかは分かりませんが『慈愛の聖女』という冠名もいただき、多くの人から称賛されるようにもなりました。しかし、私の心は渇いたままです。

 勇者様に合うこともできず、このまま一生を教会に捧げたままの人生で終わるのか。


 そう思っていた二十の誕生日。遂に——が訪れるのです。


 日課である勇者様へのお祈りをしていた時のことです。

 私の前に天から希望の使者が舞い降りたのです。


『人の子よ……よくぞ苦難の日々を耐え抜きました。あなたの勇者への変わらぬ想い、この目でしかと見届けました』


 現れた『  』と名乗る女神。彼女は私に二つの贈り物をくれました。


『アイビス……勇者はまだ生きています。しかし、の者は力を失っており、かつての雄姿は見る影もありません……聖女アイビス。私の加護を得ることができれば……きっと、勇者の力にもになれるでしょう……この契約結びますか?』


 勇者の生存と契約の申し出。私の心は歓喜に包まれました。


 ——勇者様が……この契約を受ければ勇者様のお役に……

 

 迷う必要などありませんでした。

 私の心は勇者様に救っていただいたあの日から決まっていたのです。


『聖女アイビス……謹んでその契約、お受けいたします』


 新たな加護の名前は『』。


 女神曰く、勇者の存在を感じ取ることができるようになり、この加護を持つものこそが勇者の力を蘇らせることができるという。

 


 ——あぁ!勇者様……我が神よ!!あなたのが今、お側に参ります!!



『愛』の代償が一体どれだけの重さなのか。

今はまだだれも、彼女すら知ることはなかった。


 









 

 ——これは、絶望と苦難の末に愛という信仰に狂った一人の聖女の終わりと始まりである。

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