第35話 Sの妖艶、Yの欲望

 ユウキは鍛冶屋に入り浸っていた翔蘭を引き連れ幽霊屋敷へと到着する。


 相変わらず生気のない建物を進んでいくとユウキ達は再び例の白空を目にする。

 そして同時に、見覚えのある女性の声がユウキの耳を抉った。


「遅い」


 暗闇から不機嫌な表情と共に現れたのはユウキと翔蘭を呼び出した張本人。

 小さく、そして過激な学者、愛絆だった。


「あっ愛絆! やっほ〜!」


「何がやっほ〜よ。純文学小説を読み終えてしまったじゃない」


 翔蘭を一蹴すると手元に持っていた小難しい本をしまいギロッと見つめる。


「まぁいいわ、ユウキ、何で呼ばれたか分かっているわよね?」


「西方世界へ向かい朱雀を引き戻せ、これでどうですか?」


「上出来」


 満足した顔を浮かべると愛絆はあの時に見せた薬を収納している箱を取り出す。


 首筋にぶら下げている鍵で南京錠を解除すると愛絆はあの薬をユウキ達に見せた。


「それが完成品……?」


「えっ瓶1つだけしかないっすよ?」


「この瓶だけで二人分の作用がある。半分ずつ服用して」


 愛絆は薬を取り出すとユウキに差し出す……前にある警告を投げ掛けた。


「これは極秘の話よ。私の部下にでさえ伝えてない、故に私は一人でここに来た」


 愛絆は冷酷な言葉を発していく。


「つまり貴方達が西方世界で死のうとも帰れなくなろうとも今後一切私は干渉しない」


「青龍奪還を失敗したら野垂れ死ねと?」


「こっちは何千何万人の命のために動いている。そのためなら一人や二人の命、簡単に切り捨てる」


 合理的であり正しい考えだがユウキ達からすれば非情そのもの。

 

「ハッハハッ! いいっすねその冷酷な扱い、嫌いじゃないっすよ」


 だが翔蘭は変わらず、気味が悪いほどにポジティブで享楽的な態度だった。


「というか今更そんなことで怯むわけないっしょ? ねっ先輩?」


「あぁ、覚悟はとっくのとうに」


 もはや理不尽な仕打ちにも麻痺したように慣れてしまっているユウキにその程度では何も感じなかった。


「命なんて安いもの。俺の命なんてどうぞお好きに」


 そして翔蘭に毒されているユウキは自らの命を軽く見るようになっていた。

 

「……そう、それくらい命知らずな方がこちらとしても罪悪感が沸かなくて助かるわ」


 愛絆は心の中でほくそ笑む。

 使い捨ての命ほど愛絆にとって都合のいい物はなかった。  


「朱雀は色情に忠実で気分屋な性格。西方世界の知識があるから近くので寛いでるはずよ。予想される生息範囲はここに」


 様々な学問を応用し作られた予想される生息範囲の図をユウキに投げ渡す。


「間違えても朱雀を力で抑えようと思わないで。四聖獣に挑んでも待つのは敗北のみ。悔しいけど対話による解決が唯一の道よ」


「対話って何をすれば?」


「朱雀は愛や恋を好む、話術を用いてどうにかして朱雀を惚れさせなさい」


(気軽に無理難題なこと言いやがる……)


 女を堕とすどころか、誘ったこともないユウキにその話は難しいにも程があった。


「それともう一つ、もし朱雀に攻撃しようとする者がいたら容赦なく葬れ」


 愛絆は首を手で横に切る野蛮なジェスチャーを見せつける。

 それはつまり朱雀を戻すためなら西方世界の人物を殺しても構わないということ。


(慈悲のない話を……まぁ仕方ないか)


「貴方にとって西方世界も東方世界も思い入れがあると思う。でも私達の協力者である以上はこちらの世界に肩入れしてもらうわよ」


「大丈夫ですよ。あの世界に……未練のあることはありませんから」


 生まれ故郷が西方世界とはいえ、今のユウキにとっては翔蘭や紫衣楽のいるこの東方世界の方が魅力的だった。


「世界の行く末は貴方達にかかってる。天が貴方達に微笑んでることを祈ってるわ。精々頑張りなさい」


 愛絆は彼女なりの捻くれた鼓舞と共に、薬をユウキに渡す。   

 丁重に受け取ると深呼吸の末、緊張した表情でユウキは改めて決意を固めた。


「翔蘭」


「あいあいさ〜」


 白空の目の前に立ち、ユウキ達は愛絆から渡された薬に口をつける。


 試作品の薬は上手くないが吐き出したくなるほど不味いものでもなかった。

 ぬるいジュースをような代物をユウキは翔蘭と半分半分で飲み干す。


(世界のために……か)


 世界の行く末を自分が決めると思うと凄まじい重圧がユウキの心にのしかかった。

 恐怖とは違うプレッシャーがユウキの心身を強張らせる。


 緊迫した重苦しい空気が流れていく。

 しかしその空気はいつもの彼女によって簡単にぶち壊された。

 

「ねぇ先輩、思ったんすけど今のって間接キスじゃありませんか?」


「えっ間接キス……はっ!?」


 翔蘭の言葉にユウキはとんでもないことをしいた事を自覚する。

 仕方ないとはいえ、意中の存在である翔蘭と唇を間接的に合わせていた。


「プッ、アッハハハッ! 先輩顔真っ赤じゃ〜ん! やっぱ童貞だわこいつ!」


「い、いや違っ! てか何でお前はそんな平気なんだよ!?」


「玩具とキスして欲情する性癖の人なんてこの世にいるんすか?」


 ものの数秒で先程までの空気は翔蘭によって塗り替えられる。

 いつもの明るく卑猥で歪な空気がユウキと翔蘭を包んでいた。 


(こいつ……でもそこがかわいい……!)


 いつもの翔蘭の容赦なしの挑発にユウキは変態的に悶える。


「あっそうだ! いい事思いついたけど先輩、褒美を決めましょうか」


「褒美?」


「青龍ちゃんを戻して、んでまたここに戻ってこれたらとかで。その方がやる気出るっしょ?」


「へぇキスか……キスゥ!?」


 情欲を誘う提案にユウキは生唾を思いっきり飲み込む。

 柔らかい唇を翔蘭は誘惑するように艷やかな舌で舐めずる。


 女性的な魅力を解き放つ翔蘭に流されそうになるがユウキは我に返った。

 彼女がウソを匠に扱うクズだということを思い出す。


(待て……こいつは幽霊屋敷でもキスするって嘘ついたんだ)


「いや騙されないぞ。またそう言って鼓舞した挙げ句「嘘でした」って言うつもりだろ」


 騙されるまいと理性に従った強い心で女狐の翔蘭を突き放す。


「ふ〜ん、ならこれは?」


 真顔の翔蘭は突然、柔らかい唇を使いユウキの右手の甲にキスをした。


「ッ……!?」


 予想だにしない行動に誘惑に流されないと決めていた心は一瞬で揺れ動き崩れていく。

 彼女の柔らかく温かい唇は身体全身の神経を伝い、興奮を高めていった。


「どうですか? 今のがキス、口にされる快楽を想像してみてください」

  

 ニヤリと翔蘭は笑う。


 誘惑に抗えないユウキは直ぐに理性よりもキスされる快楽を想像してしまった。


(翔蘭とキス……主人と玩具がキス……)


 想像すればするほど、手の甲に伝わった感触と背徳感がユウキの性欲を掻き立てる。


「想像しました? またこの感覚を味わいたいならぁ……死ぬ気で生き残らないと」


 細長い指でユウキの唇をなぞるように弄る。

 

「この快楽もっと堪能したいっしょ? 甘い果実は食べないと、ね?」

 

 ユウキの扱い方を知っている翔蘭は大義ではなく目先の欲望を愛撫させ彼を奮い立たさせる。


「英雄って称号よりも絶対的な権力よりも、先輩はキスやおっぱいが欲しいですよね?」


「……欲しい」


「ほ〜らね!」


 真意を突かれたユウキは素直に認める。


 これまでユウキが行動したのは翔蘭の玩具でいたいという不純な動機。

 世界平和とか、人々のためとか、そういうのはユウキにあまり響かない。


 それより自分を愛でて欲を刺激してくれる美少女と相思相愛であればそれで良かった。

 

「いいっすよいいっすよ。正義ヅラするナチュラルクズな大義マンよりも欲望に忠実な人の方が好印象だ〜か〜ら〜♪」


 歌うような口調で上機嫌に翔蘭は持論をぶち撒ける。


「私は私が楽しければそれでいい、先輩は私とキスして愛したい、そんな身勝手な動機でもいいんすよ。欲望に生きて何が悪い」


 相変わらずな翔蘭の利己的な思考。

 だがそれは重圧を感じ緊張していたユウキをうまい具合にほぐしていく。


「だからね先輩、世界のためとかクソ喰らえなんだよ! 赤の他人も世界も無視して自分勝手に自分のためにやりましょうよ」


「……ホント、変わってるよなお前。でもそこが大好きだよ」


 クズでサディストで自分勝手な彼女。


 だがその理性を捨てた自由奔放ぶりは時にユウキを不思議と勇気づける。

 そんな彼女にユウキはまた更に魅力を感じ狂おしいほどに愛しさが増幅する。


「さて、じゃそろそろ行きますか。怖いならお手を繋いであげましょうか?」


「いや結構、そんな心配しなくても」


 緊張がほぐれた今、翔蘭は平常運転の舐めた挑発に笑顔を向ける。


「行くぞ翔蘭!」

 

「レッツダイブ!」


 ユウキと翔蘭は不敵な笑みのまま、因縁である白空へと勢いよく飛び込んだ。

 二人は瞬く間に光に包まれ白空に吸われるように姿を消す。

 

「……行ったか」


 ダイブした二人を眺め、愛絆は小さくそう呟いた。


「全く楽しければいいとキスがしたいからなんて……なんて下らない理由かしら」


 ユウキ達のやり取りを聞いていた愛絆はため息と共に軽く頭を抱える。

 利己的で劣情まみれの動機でそこに勇者のような素晴らしい大義は全くない。


(こんな奴らに空曹の、東方世界と西方世界の命運がかかってるなんて悪寒が走る)


「まぁでも……それはそれで面白いか」


 ぶっ飛んでいる二人に彼女は不安を抱くがそれ以上に面白みを感じていた。

 枠にとらわれないスタイルに愛絆は無意識に魅了されている。


「ユウキ、翔蘭、簡単に死んだら、ぶち殺すからね?」


 二人が生き残って帰還することを祈り、愛絆は小さな笑みと共にその場を去った。


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る