【第二ノ怪】紫陽花の思い出 その15

「やっぱり、春翔はるとさんには才能があります! すごいです! 私が教えること全然ないですもん!」


 さきさんが目を輝かせて俺に駆け寄る。

 それにつられるようにして、奏多かなたくんがノロノロとやってきた。そして、思いもよらない言葉をかけられた。


「さっきのは俺も認めざるをえない……すごかった……」


 奏多くんがあんなに貶していた俺のことを褒めたのだ。少し頰を赤く染めている。


「…………」


 俺は驚きすぎて、奏多くんの言葉への理解が追いつかなかった。


「おい! なんか言えよ! こっちがせっかく褒めてやってんのに!」


 奏多くんはより一層恥ずかしそうに顔を赤らめて、そんでもっていつものように怒りながら叫ぶ。


「……奏多くんに褒められた!? こりゃあ明日雪でも降るんじゃ……いや地震の方? 兎に角、嬉しすぎる」

「はぁっ! 俺のことなんだと思ってるんだよ! 俺も褒める時は褒めるわ! っうぅ、やっぱさっき言ったこと無かったことにする。一生お前の事なんて褒めん!」

「ええええ! それは勘弁! 俺が悪うございました。だからもっと褒めておくれ!」

「気色悪いわ! ええい、離れろ馬鹿野郎!」


 俺は奏多くんの足に縋りつき、スリスリと頬をなすりつける。

 それを振り解くかのように奏多くんはジタバタと足を動かし、俺の頭を押さえた。


「なんやかんや、仲良いねぇ〜ね、幸さん!」

「ふふっはい、羨ましいくらい仲が良いですね!」


 遠くの方で、智也ともやと幸さんは微笑ましそうな、暖かい目で俺たちを見ていた。



――ビュン


 その時、崩れ果てたと思われた黒い液体の中から何かが飛び出した。それは愛らしい黒猫だった。


「は……? 猫? うわぁ、可愛いなぁ! でもなんでこんなドロドロの中から?」

「春翔さんっ、近づいてはいけません! 春翔さん!」


 俺は幸さんの言葉に気が付かず、その黒猫に近づき、触ろうとした。


――ピシッ


「誰が愛らしい黒猫だ! 僕は誇り高き黒豹なのだ。そこいらの野良猫と一緒にするな!」


 叩かれた手から、じわりと血が滲む。

 俺は尻餅をつき、ただあんぐりと口を開けて、ボーッとするしかなかった。

 だって猫が喋ったんだぞ!? そりゃ驚くだろ。


「春翔さん! 大丈夫ですか? あらら……血が出てるじゃないですか……奏多くん、この猫を逃さないように」


 幸さんが素早く駆け寄り、俺の怪我の手当てをしてくれた。そしていつもより冷たい声で奏多くんに命令する。


「分かりました。『話は紡ぐもの、糸も紡ぐもの、数多の糸は鎖となりて、言の葉の根源を縛りましょう』」



ぐるんぐるんぐるん



「おいっ! 何をするんだ! 僕は誇り高き黒豹の妖だぞ! 人間の癖に……僕を縛れるものなんて何にも無いんだ! 離せ! くそお……僕を亡き者にしてみろ! 同族が黙っておらんぞ! くそ! 離せ離せっ!」

「……よしっ捕まえました。幸さん、コイツどうします? 本部にでも渡しますか?」


 奏多くんはこの場から逃げようとする自称黒豹(どう見ても黒猫だが)を術で取り出した縄でぐるぐる巻きに縛り付け、ジタバタしているのをお構いなしに軽く持ち上げ、こちらに持ってきた。


「こんにちは、猫さん。いろいろ聞きたいことはありますが、まずはこちらの方に謝って貰いましょうか。あなた、理性がある癖に春翔さんに攻撃したでしょう? 先の戦いは仕方が無かったと思いますが、今のは見過ごせません」


 幸さんはかなり怒っていた。

 いつも暖かで、優しい口調からは思いもよらない、丁寧だが冷たい声だった。顔も笑っているが、その奥底からは計り知れない怒りを感じた。

 まさか俺の為に怒ってくれているのであろうか? そうだとしたらとてつもなく嬉しい。俺は頰が熱くなった感じがした。


「ひっ……分かった……分かったから……そのおぞましい黄色の目を向けるな! お、おい、そこの男! す、すまなかった! この通りだ許してくれ!」


 猫はお腹を出し降参のポーズをとった。なんとも動物らしい。だが、俺の腑は煮え繰り返りそうになっていた。


「……俺の事はいいんだ。それより、『悍ましい』とはなんだ? 幸さんの目の色のことか? 何が悍ましいんだ? こんな綺麗な色なのに」

「ひっ……」


 黒猫が怯えた顔でこちらを見る。

 智也と奏多くんは心底驚いた顔でこちらを見ていた。

 幸さんは目を大きく見開き、キラキラと輝かせた美しい目で見ていた。



 俺はこの時どんな顔をしていたのだろうか。

 自分でもよく分からない。

 怒りに任せた表情だったのだろうか?


 兎に角、周りの反応から見て、物凄い形相になっていた事だけはよく分かった。

 今まで生きてきた中でこんなみんなが怖がる表情なんか、したことがない。それほどに俺は怒っていたのだろう。



 俺は黒猫の首に掴みかかった。


「ご、ごめんなさい! すみませんでした! お、お前の言う事は何でも聞く……だから殺さないで! お願いします! お願いします!」


 猫はボロボロと大粒の涙を零しながら懇願する。


 ただ1人、幸さんを除いてみんな驚きの表情の中に恐怖が入り混じっていた。

 幸さんは何故あんなに嬉しそうにこちらを見ているのだろうか? 表情からは一片の恐怖も感じられない。


「春翔くん、そんなに怒らないであげてください。妖怪からはこの目は畏怖されるものなんです。だから気にしないで。それより猫さんを離してあげてください。春翔さんがこんなに怒ってくれて私は嬉しく思いますよ」



 怒りで我を忘れていた俺に幸さんは優しく微笑んでくれた。そして、猫を俺の手から取り上げて、あやすように抱き上げた。


「お前……優しいなあ……しかも抱き方も完璧だあ…………お前、いいやつでは無いか! それなら早う言えばいいのに。勘違いして悪かった!」


 俺の手から幸さんのもとに行った瞬間、ガラリと猫の反応が変わった。

 いつの間にか大粒の涙は消え失せ、足をふみふみして、ご機嫌そうに喉を鳴らしていた。


(なんかムカつくなぁ……)


 アホ猫と目が合った。その瞬間、


――ニタァ


 どうだ、羨ましいだろうと言わんばかりの顔で笑ってきた。



ぶちぶちぶち


 何かが切れる音がした。

 俺は猫の方めがけて全速力で走り出した。すると、智也が羽交い締めをしてきた。


「はるちゃん! だめだよ! その速さで行っちゃうと幸さんまで怪我しちゃう! 気持ちはわかるけど、落ち着いて、はい深呼吸」


 俺は智也の言う通り深呼吸しようとするが、なかなか上手くできなかった。


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