第33話 コーヒーを温める
「これ上げる」
ベアトリスが、シールをくれた。オットーは、ありがたくもらっておいた。オットーたちがくすくす笑っていると、知らないおじさんが声をかけてきた。さっきコーヒーを頼んだ人だ。手には紙コップを持っている。
「君たち、ちょっと」
「うるさくして、ごめんなさい」
ベアトリスが、おじさんが怒っていると思って謝った。オットーも続けて謝った。
「そうじゃない。」
おじさんは、顔を横に振った。
「そのシールを譲ってくれんか」
「このシールを?」
「ああ、魔女のクッキーのシールね。オットーいいでしょ」
ベアトリスに言われ、オットーは了解した。二枚もあるし、欲しいシールでもなかった。オットーがおじさんにシールを差し出した。
「そうか。ありがとう」
「でもそんなシールもらって、どうするの?」
オットーが尋ねた。おじさんはにっこり笑った。
「これか、ちょっとこの紙コップを持っててくれないか」
おじさんは、コーヒーの入った紙コップをオットーに渡した。それから、シールの裏の紙をはがした。
「よし、ありがとう」
おじさんは、オットーから紙コップを返してもらうと、それにシールを貼った。紙コップのコーヒーから、たちまち白い湯気が立ってきた。
「そうか。このシールでコーヒーを温めるんだね」
「正解。わしはあつあつのコーヒーが飲みたかったんだ。でも、一緒に買った魔女のクッキーは、残念ながら虫の知らせシールだった。そ、そうだ。何ならそのシールのお礼に、君に上げよう」
おじさんは、上着のポケットに入れておいた、シールをくれた。
「誰かの不幸、あなたにお知らせ。虫の知らせの貝殻だった」
このシールもなかなか使い方が難しい。でも、使っておけば何かの役に立つはずだ。
「もう一枚あるけど。それも、おじさんに上げるよ」
オットーが、冷めたコーヒーを温めるシールを渡した。
「おお、それはありがたい。わしも、ちょうどもう二枚持っているから、これと交換しよう。シールを交換するのも、魔女のクッキーの楽しみの一つだろ」
おじさんからもらったシールは、いい事が起こる幸運のシールだった。どんないい事が起こるか、オットーは楽しみだった。おじさんはあつあつのコーヒーを手に満足して、席に戻って行った。オットーは上着のポケットに、二枚のシールを幸運のシールが上になるように貼った。これで不幸な知らせが、いい知らせに変わるように思えた。
「オットー、なかなかいい考えね」
ベアトリスが、オットーがシールを重ねて貼るのを見て褒めた。ベアトリスもシールの使い方に気づいたようだ。本当に上手くいくかは分からないけど、ベアトリスが名案だと言うから、大丈夫な気がした。でも、幸運の知らせって何だろう。
魔法特急は、どんどん近くの駅を通過しながら、オットーたちが目指す、引っ越しの列車を追いかけていった。ときどき魔法特急は主要な魔法の町で、停車するから、引っ越しの列車に追いつくには一時間はかかる。窓の景色は流星のように美しかった。外は真っ暗な上に、あまりに早く通り過ぎる夜の景色には、目が追い付かなかった。魔法特急は、引っ越しの列車を追い抜いて、次にクライトンネル駅に到着した。クライトンネル駅は、地下鉄のように、長いトンネルの中にある珍しい駅だった。
午後十時のクライトンネル駅のプラットフォームには、多くの乗客の姿が見えた。魔法特急からも、たくさんの魔法使いが下車していた。が、みんな普通の乗客を装って、たとえ魔法使いを誇らしく思っていても、いかにも魔法使いという顔はしていなかった。オットーたちもその乗客に紛れて、プラットフォームに立った。
特急で追い越してきたから、引っ越しの列車が到着するまで、一時間ほど待ち時間があった。冷めたコーヒーを温めるシールを上げた、おじさんの姿がちらりと見えた。おじさんはオットーたちに気づくと、にっこり笑って小さく手を振った。
「家の引っ越しの列車の切符は、持っているよね」
ベアトリスが、オットーの方に親しげに体を寄せた。ポケットをのぞくようにした。
「うん、大丈夫」
オットーが、上着のポケットを手で探ってみせた。ポケットには、家の引っ越しの列車と魔法特急の二枚の切符が、ちゃんと入っている。それを大事そうに、またポケットに収めた。
「今度は、無くさないようにね」
「分かってる。それでベアトリスは、これからどうするの?」
オットーがポケットから、ゆっくり手を出しながら聞いた。
「オットーの知り合いの大人の人に頼んで、帰りの切符を買ってもらうから。心配しないで」
オットーは、ベアトリスに分ったと返事した。二人はプラットフォームのベンチに座った。電光掲示板には、まだ引っ越しの列車が到着する時刻が表示されていなかった。列車から降りると、乗客は早く家路に着きたいと早足で、改札口へ向かって行った。
「まだ、一時間もあるよ。どうする?」
ベアトリスが、疲れて目を細めるオットーに確かめた。
「店に入ったらお金もかかるし、ここで待っていようよ」
「お金なら少しくらいはある。でも、大事に使わないといけないから、贅沢はできないけど」
「そんな大事なお金、使えないよ」
オットーは首を振った。目蓋がくっ付きそうなのを、どうにかこらえていた。その日は、一日でずいぶん色んな事があったから、ひどく疲れてしまった。こんなに忙しい日は、滅多になかった。
「オットー、寝てもいいよ。私が起こして上げるから」
ベアトリスが、オットーの肩を抱き寄せた。体が楽になって、すぐに眠ってしまいそうだった。
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