第32話 魔法特急

「ベアトリス。済まないが、オットーについて行ってやれ。まだ追手を完全に巻いたわけじゃない」

 ベアトリスが、アイザックに小さく了解を示した。

「それじゃあ、オットーをしっかり頼むぞ」

 改札口で、アイザックがベアトリスに伝えた。

「うん、分かってる」

 ライアンが帽子を手にして、別れの時のように、ベアトリスとオットーに大きく振った。別れはいつも辛いものだった。ラルフも手を上げて、悲しい時のサヨナラをした。改札口には、列車に向かう人の流れができていた。

「列車に乗りましょ」

 ベアトリスがオットーに促した。オットーはベアトリスに手を引かれ、列車に向かった。夜の闇に似た真っ暗な車両が、プラットフォームに八時の出発を待ちわびるように停車していた。車内は、深緑のビロードを座席に張って、昔風の落ち着いた車両だった。乗客は魔法使いのように、黒か紺のマントに身を包んでいる人が多かった。が、他にも観光客のようなよそ行きの格好で、疲れて座席にぐったりしている乗客も見えた。

 その列車もそれに乗り合わせた乗客も、どこか魔法染みて見えた。乗客はみんな、大きな荷物が旅行鞄一つで、その中にほうきや黒猫、鳥かご、何でもかんでも有り得ない物が、全てまとめて入っているという様子だ。

 どうしてこんな事が起こるのか、起こらないとも言えない格好で、素敵に装っている。

 オットーとベアトリスは、空いた座席を見つけると、隣同士に座った。笛が鳴って、魔法特急の出発を知らせた。窓の外は、街灯が灯るばかりで暗かった。  

 魔法特急はどんどんスピードを上げて、激しく揺れた。でも、誰も文句を言わなかった。乗客はみんな当たり前のように、きちんと着席して、列車が揺れるのに任せていた。ときどき座席と座席の中央に、誰かの荷物が滑ってきたが、誰も気にしなかった。滑ってきた荷物は行ったり来たりしているうちに、いつの間にか元の所へ戻っていた。

 オットーは、あまりにも列車の揺れが激しいので、ベアトリスに体がぶつかりそうになった。必死にこらえていると、ベアトリスが寄りかかってきても大丈夫よと優しく声をかけた。

「列車の揺れに逆らわない方がいいよ」

「うん、分かった。でも、この列車は本当にひどく揺れるんだね」

「特急だからよ。物凄いスピードで走っているの」

 窓の外は、町の明かりが流れ星くらいに過ぎて去った。オットーはベアトリスと一緒になって体を揺らしていると、揺りかごに揺らされている気分になって、次第に落ち着いてきた。

 ガシャンガシャンと、あっちこっちの座席にぶつけながら、おばさんが車内販売のワゴンを通路の間を押してきた。

「コーヒーにアイスクリーム、お菓子にお弁当はいかが?」

 車内販売のおばさんが、車内に呼びかけた。座席の間から、誰かが手を上げて、おばさんを呼び止めた。

「コーヒーを一つ、もらおうかな」

「コーヒーを一つですね」

 車内販売のおばさんはワゴンを止めると、ポットからコーヒーを紙コップに勢いよく注ぎ込んだ。その時、車両が激しく揺れて、手にした紙コップが逆さまになった。でも、逆さまになっても、コーヒーは紙コップの中に注ぎ込まれていた。車内販売のおばさんは、よいしょと紙コップを元に返して、乗客に手渡した。コーヒーは一滴もこぼれていなかった。

「熱いから気を付けて下さいね」

「オットー、何か食べる?」

 車内販売のワゴンが来るのを眺めているオットーを見て、ベアトリスが聞いた。

「ぼく、お金持ってないよ」

「お金は、私が出して上げる。何がいい?」

「そうだ。魔女のクッキーがいい」

 オットーは、ちょっと車両の天井を見上げて、思い付いたというように答えた。

「男の子は、みんなお負けが好きだね。それじゃあ、食事にならないよ」

「ぼく、あまりお腹が空いてないんだ。ベアトリスは?」

「実は私も。みんなの事が心配でね。それじゃあ、魔女のクッキーとジュースを頼みましょう」

 ベアトリスは、少し頬を赤く染めて打ち明けた。ベアトリスも同じだったのかと、オットーは微笑した。オットーとベアトリスは、仲良く魔女のクッキーとリンゴジュースを買った。オットーは早速、魔女のクッキーを開封してみた。出てきたのは、冷めたコーヒーを温めてくれるコップだった。

「あなたの手助け、コーヒーを温める。あつあつコップ」

 オットーは、がっかりして肩を落とした。コーヒーを飲まないし、味も苦くて嫌いだった。ぼくが持っていても使い道がない。これは限りなく、ハズレのシールだ。

 今度はベアトリスが、魔女のクッキーを開けた。出てきたのは、オットーと同じ冷めたコーヒーを温めてくれる薬缶だった。二人は、思わず声を立てて笑った。あまり声が大きかったので、すぐに口を手で塞いだ。それでも、笑いが込み上げてくる。こんなハズレのシールを、二人して引き当てるなんて、かえっておかしくなった。でも、二人とも少しは楽しい気分になった。

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