第16話 ガムシロップ
先に夕食の弁当を抱えて、ミランダが帰ってきた。バートは発車五分前に慌てて戻ってきた。手にはドーナツの入った大きな袋を持っていた。郵便局へ行った途中で、ドーナツ屋さんを見つけたのだと言う。揚げ立てドーナツを売っていたのだと、バートは子供のように嬉しそうに説明した。が、すぐに泥棒が入ったことを聞いて、慌てた表情になった。
「何か取られた物はあったのかい?」
「今のところ、魔法のフライバンだけよ」
「よし、魔法で調べてみよう。もし犯人が魔法使いなら、余計な物は探らないはずだ。犯人も取っていった物が、すぐに分かる魔法の存在を知っているからな」
「どうするの?」
オットーが険しい顔のバートを見上げた。
「この引っ越しの家に、魔法をかける。少し私から離れていなさい。大体時間は三十分以内かな」
バートはコウモリ傘を取ってきて、家の天井から床に向かって小さく振り動かした。コウモリ傘の先端が、綺麗な弧を描いて、辺りに小さな閃光が飛び散った。魔法の効果は、すぐには現れなかった。列車が走り出して、五分が経過した頃だ。リビングの方からキッチンにかけて、魔法のフランパンが宙に浮かんで戻ってきた。他にもアリスの焼いた黒焦げのホットケーキ、それから冷蔵庫に入れておいたガムシロップが飛んできた。
「くそ、ガムシロップを取られた。ドーナツにかけて食べようと思っていたのに」
バートが眉を寄せて、珍しく悪態をついた。いつも冷静な人物だと思っていたから、オットーには意外だった。そんなバートでも好物を奪われると、急に降り出した雷雨のように、激しい気性を見せる時があるのだ。
「魔法のフライパンと、黒焦げのホットケーキに、ガムシロップだけのようね。さて、これはどういう事かしらね」
キッチンに戻ってきたフライパンが、透明になって消えるのを見届けると、ミランダが息をついた。魔法絡みの厄介なことになったのかもしれない
「魔法のフライパンを欲しがる奴は、幾らでもいる。が、わざわざ盗む物でもないだろう。黒焦げのホットケーキは逃走の魔法に使ったとして、問題はガムシロップだ」
バートは険しい表情のまま、これは困ったことになったと、その瞳に失望の色を見せた。
「どうして、バートはあんなに怒っているの?」
オットーは高がガムシロップにあんなに大袈裟になることもないのにと思いながら、小さな声でアリスに尋ねた。でもそうではなかった。
「あのガムシロップは、バードの好物で魔力を高める栄養剤なの。それに、ある町でしか手に入らない貴重品なのよ」
「バート、そうカッカしないで」
ミランダが、バートをなだめる口調をした。
「ああ、オットー。大声を出してすまなかったな。しかし、どう見てもこれは、私に対する挑戦だとしか思えない」
「偶然じゃないの。ホットケーキも盗まれているし、犯人もホットケーキが食べたくなたんだ」
アリスが、冷蔵庫の中を確かめるように開いて、振り返った。
「うむ、仕方ない。ちょっと予定を変更して、私は一足先にアラビアガムに行ってくるよ」
「そんなに、あのガムシロップが必要なの? 魔法市に帰れば、たくさんストックがあるでしょうに」
ミランダがバートに言った。
「誰かが、我々の旅を邪魔しようとしている可能性が出てきた。それに備えるには、ガムシロップが必要不可欠なんだよ。ミランダ」
「そう。それじゃあ、仕方ないわね」
バートは、ミランダの言葉に小さくうなずいた。
「でも、魔法のフライパンも手に入れなきゃ」
アリスが冷蔵庫を閉めて、鋭い目付きをした。
「そうだったな」
「さあ、取られてしまった物のことばかり悔やんでいても仕方がないでしょ。夕食に弁当を買ってきたから、みんなで食べましょ。アリス、お湯を沸かしてくれる?」
ミランダは景気付けに、手をパンパンと叩いた。アリスは、はいと返事して湯沸かし器に水を入れた。これも当然魔法の物だった。十秒で今入れた水が沸騰した。オットーは何て便利なんだと感心した。テーブルの上に、みんなの紅茶の入ったコップが配られると、みんなそれぞれの席に着いて、ミランダが買ってきた弁当を広げた。アリスが鍋つかみで魚を焼く網をつかんで、オットーにその弁当を載せるように言った。
「魔法で、温めて上げるよ」
「電子レンジでいいよ」
オットーは、アリスの魔法を断った。黒焦げのホットケーキのことを考えると、ちょっと不安になったからだ。
「オットー、私のも頼む」
バートが、アリスに言われる前に先手を打った。オットーは、四人分の弁当を電子レンジで温めるのは大変だった。でもアリスに任せて、真っ黒焦げにされるよりは増しだと考えた。
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