第13話 魔法の勉強

 食事が終わると、小休憩を挟んでオットーは、アリスに魔法の勉強を見てもらった。さっき食事をしたテーブルが、今度は勉強机になっている。バートは何枚も書類を鞄から出して、それを熱心に読み返していた。ミランダは小さな本を読んでいた。それは大きな図書館の奥にしまってあるような、とても古そうな本だった。魔法の本かもしれないと、オットーは思った。

 アリスは付箋のたくさん貼られた手帳を取り出して、頻りに何か書き込んでいた。その手帳を開くたびに、手帳の厚さが変わって見えた。不思議な手帳だった。アリスは、オットーに真っ新なノートと先の尖った鉛筆を渡してくれた。ノートは普通だが、鉛筆には特別な魔法がかけられていた。たとえ間違ったとしても書いた文字を指でつまんで引っ張れば、消すことができると教わった。便利な鉛筆だ。

「私が教えることを忘れないように、そのノートに書いて覚えるの」

 オットーの魔法の勉強が始まった。オットーは期待にと不安に花の蕾が開くみたいな気分で、アリスの話を聞いていた。

 オットーはまるで両手ですくった水をこぼさないように、アリスの言葉を一つ一つノートに書き留めた。アリスの言葉は不思議なことばかりだった。

「ちょっと魔法を使ってみるよ。私が最初にやるから、後から真似してみて」

 そう言って、アリスは野球のボールくらいのガラス玉を白い布鞄から取り出した。アリスの鞄には、様々なガラクタがつまっていた。そのガラス玉は、中が空洞になって、真ん中に火の消えたロウソクが立ててあった。でも、どうやって入れたのか、ガラス玉にはロウソクを入れる穴がなかった。アリスはガラス玉をオットーに一度渡した。これは手品ではない。オットーはタネも仕掛けもないことを確かめ、アリスに返した。

 アリスはテーブルの上に畳んだハンカチを敷いて、ガラス玉が転がらないように工夫した。

「見てて、ロウソクに火をつけるから」

 アリスは、ガラス玉を指先で触れた。それから、ガラス玉の表面をなでるように動かした。

「ロウソクに火がつくように念じるの」

 アリスがそういうのと同時に、ガラス玉の中のロウソクの芯が、ぽっと燃え上がった。小さな火がついた。オットーは火も近づけていないのに、ローソクに火が灯ると、うれしくなった。顔を明るくした。ガラス玉も明るくなった。不思議だ。火が当たっているガラス玉の表面に触れても、全然熱くなかった。

「これ、本物の火じゃない」

 オットーはすぐにその事に気づいて、目を丸くした。

「オットー、よく分かったね。これは魔法の火なの。だから、熱くならないの」

 アリスはもう一度ガラス玉に手をかざした。ロウソクの芯をつまむような動作をした。すると、今度はガラス玉のロウソクの火が一瞬で消えた。はっとした。部屋の明かりが一つ消えたように思えた。

「消すこともできるんだ」

「当たり前でしょ。それじゃ、今度はオットーの番よ。私がやった通りに真似してみて」

 オットーは、アリスのやった通りと言われても、困ってしまった。こうやって、魔法を使うことも初めての経験だった。オットーはアリスに促されるまま、今見た通りガラス玉に指を触れた。一箇所も引っかかる所がないほど、表面がつるつるしている。オットーは先ほどロウソクに火が灯った時の残像を追いかけて、火をつけと念じた。

 いつの間にかバートとミランダが手を休めて、オットーが魔法を使うのを見守っていた。オットーは、触ると弾けそうなシャボン玉に触るような感覚で、ガラス玉に触れた。しかし、オットーが期待したことは、何も起こらなかった。ガラス玉のロウソクは、静かに立ったままだった。オットーの失望にガラス玉の中は、こんなに薄暗かったかと疑った。

「ふふ、そう簡単にはいかないか。そう気を落とさないで」

 アリスが、がっかりして肩を落とすオットーを元気づけた。

「上手くいかなくても仕方ないの。オットーには、魔法が使えない呪文がかかけられているのだからね」

 ミランダがオットーに優しく声をかけた。それから、また手にした小さな本に目を落とした。バートも書類を手に仕事へ戻った。オットーは恨めしそうな目で、火の灯っていないガラス玉のロウソクを見つめた。アリスが簡単にやって見せるから、自分もその気になっていたのだ。火がつかなくても当然だった。

「そんなに落ち込まなくてもいいよ。これは仕方がないことだから」

 アリスが、オットーをなぐさめるように頭をなでた。少しは励まされた。

「どうして、ぼく魔法が使えなくなったの?」

 それは、その日初めて起こった単純な疑問だった。どうして?

「それは、不慮の事故だったんだよ」

 バートが書類から顔を上げた。不幸を嘆く彼の顔が暗くなった。

「不慮の事故?」

「オットー、以前に奇妙な花瓶にイタズラしなかった?」

 ミランダがオットーの暗い目を見た。オットーはしばらく考えて、またがっかりした。心当たりがある。小さい頃、列車の中で転がってきた花瓶に、身代わりのシールを貼り付けたことを、ロウソクに火がついたように思い出した。その時は、ちょっとしたイタズラのつもりだった。まさか自分のせいで魔法を封印してしまうなんて思いも寄らなかった。

「やってしまったことを、今更くよくよしても仕方がないよ。これからできることを考えましょ」

 アリスが、オットーの沈んだ気持ちを明るく励ました。オットーはアリスの言葉に救われた気がした。そのうち魔法が使えるように、なるかもしれないと付け足した。

 オットーは元々魔法が使えることも知らなかったのだから、すぐに諦めもついた。

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