第7話 脱獄と眠れる看守
プリスマ町のテント公園近くには、交番の厳しい建物が見える。その建物の奥に、悪いことをした人を一時的に、閉じ込めておく薄暗い牢獄があった。七歳になったオットーは、そこの常連だった。別に何か悪いことをしたわけではない。ただこの町では、魔法は禁止されていたし、たとえ魔法でなくても不思議なことは起こしてはならないというのが規則だった。
魔法を一度でも使えば、たとえ子供でも、即牢獄行きだ。そして、魔法使いかどうか詳しく調べられる。嫌疑が晴れれば、すぐにでも釈放となるのだが。灸をすえるために、二三日拘留することは珍しくなかった。
「また悪さをしたのか、オットー!」
赤鼻の太った看守がやって来て、牢獄の鍵を確かめた。
「ぼくは、何もしていない」
オットーは鉄格子を両手でつかんで、顔を近づけた。油っぽい食べ物の匂いが、ぷーと鼻をついた。看守の奴、飯を食っていたな。
「ウソつけ。あれを使っただろ。あれはこの町じゃ、禁止だぞ!」
看守は威張るように怒鳴って、腰紐に付けた鍵の束をジャラジャラ鳴らした。
「あれじゃない。トリックだよ」
オットーは鉄格子の間から看守を睨んで抗議した。
「トリックも禁止だぞ!」
看守は鼻を鳴らした。
「どうして?」
オットーは眉をひそめて、看守の方へ首を伸ばした。
「ふふふ。トリックもあれみたいに、不思議だからだ。そこでしばらく反省してろ。すぐに出してやるから。お前は魔法使いじゃないことは、十分に承知している」
看守は用が済むと、乱暴に廊下の頑丈な扉を開けて出ていった。オットーは肩をすぼめて、鉄格子から離れて硬い床に座った。看守の奴、威張りやがってと、オットーは口を尖らせた。
オットーは硬い床に座ると、廊下に誰もいないのを用心深く確かめた。扉はしっかり閉じられていた。
オットーは、そっと左耳を左手でつまんだ。耳をひねると、箱が飛び出した。木の箱に厚紙で、草花の模様を貼り付けた物だ。オットーは、それを手にじっくりと眺めた。これはトリックではない。でも、オットーにはそれが分からなかった。こんな箱が、耳の裏に隠れるはずがなかった。しかも、誰にも見つけられない。この不思議な箱には蓋がついていて、開けると中は空っぽだった。特大な弁当箱ほどの大きさなのだが、その中にはどんな大きさの物でも隠すことができた。こうやって、耳の裏にしまっておくと、その中にしまっておける物と、勝手に出てきてしまう物とに分かれてしまう。一体、どういう仕組みなんだ。それはオットーの六歳の誕生日に、濡れ鼠のおじさんから贈られてきた誕生日祝いだった。
また誰か来た。オットーは慌てて、不思議な箱を耳の後ろに隠した。
「オットー、お前の身元引受人が面会に来てるぞ。しかも二人もだ。大人しくしてろよ。そうすれば、すぐにここから出してやる」
赤鼻の看守が、廊下の扉から大声を出した。そこには、オットーの知らない大人が二人、親しげな笑みを浮かべて立っていた。
一人は山高帽に黒のスーツを着た紳士で、ライオンの鋭い目を大らかに細めていた。もう一人の婦人は、オットーは会ったことないが、学校の先生のような厳格な顔立ちで、小さな眼鏡を高い鼻の上にかけていた。本当に学校の先生かもしれないと、オットーは思った。
「誰? ぼくをここから出してくれると言うのは。二人とも知らない顔だけど」
オットーは牢獄の中から叫んだ。
「オットーだね。私はバート・クラーク。役所で働いている。シンボルは獅子だ。こちらは、ミランダ・ベーカー。学校で勉強を教えている先生だ。シンボルは烏だ」
紳士の方が、穏やかに自己紹介した。
「こんにちは、オットー」
ミランダが、澄ました顔で挨拶した。やっぱり学校の先生だ。オットーはまだ学校に行っていない。とっくに入学してもいい年だったから、友達が話していた先生と呼ばれる人が、いつか迎えに来ると思っていた。
「初対面だと思うけど。どうして、ぼくの名前を知っているの?」
オットーには訳が分からなかった。
「ああ。君のおと、えへん。お母さんに頼まれたんだよ。お母さんとは、古い知り合いでね」
バートは、ちょっとむせるように咳払いした。オットーは驚いた。こんな場所でお母さんの知り合いに会えるとは、意外だった。
「お母さんの? お父さんじゃないんだ。お父さんの知り合いだったら、うれしいのにな」
オットーは、寂しそうにバートから目を逸らした。
「どうしてだい?」
バートが興味ありげに、オットーの栗色の瞳をのぞいた。
「それはね。ぼく、お父さんの事何も知らないからだよ」
オットーはバートをまた見た。
「お父さんは、君に名乗らなかったのかい?」
「知らないよ。一度も会ったことないんだ。それで、お母さんの知り合いが、ぼくに何の用なの?」
オットーは、ちょっと元気を無くした。父親のことは、誰も教えてくれない。すぐに気を変えて聞き返した。
「あなたは、これから私たちの町で一緒に暮らすのよ」
ミランダが牢獄に響くような、はっきりとした声で話した。オットーは、その声に背筋が真っ直ぐ伸びるような緊張を感じた。こういう人が、先生なのだな。
「また引っ越しなんだ?」
オットーは、少し顔をしかめた。だが、オットーの本心を言えば、それほど嫌ではなかった。幼い頃から突然の引っ越しを繰り返してきたから、もう慣れっこだった。
「お母さんも一緒に行くんだよね。ずっと二人で暮らしてきたんだ。離れ離れなんて、嫌だからね」
「当然、お母さんも一緒だけど。でも、オットー。あなたは、しばらく私たちと一緒に暮らさなければならないの。あなたに必要な知識が学べるまでの辛抱よ」
ミランダは、オットーに諭すように答えた。こんな事言う大人は、今までオットーの周りにはいなかった。
「必要な知識? ぼくにはそんな物いらないよ」
オットーは、鉄格子から離れた。牢獄の冷たい壁に背中をつけた。あまり面白い話とは思えなかった。
「オットー、君はあれが何か知っているかね」
バートがオットーの興味を誘うように抑揚をつけて、厳かに口を動かした。オットーは首を小さく振った。ただいつも看守が怒鳴っている時に使う、禁じられた言葉だ。
「この町で、あれは禁止なんだって。でも、ぼくはそれがよく分からない」
「では、あれでそこから出して上げましょう」
ミランダが、ゆっくり右手を胸の所まで上げた。
「そんな事して、大丈夫なの? 後で看守に説教されないかな。捕まるかもしれないよ」
オットーは、ちょっとびくびくした。看守に怒鳴られるのは真っ平だ。
「大丈夫。看守はさっき、一時間たっぷり眠れるように、あれをかけたからね」
オットーは口笛を吹いた。ミランダは、その態度には眉をひそめた。
「そんな下品なこと、どこで覚えたの? どうやらマナーから教えないといけないみたいね」
ミランダは牢獄の扉に向けて、右手で指を鳴らした。それに合わせて、牢獄の扉の鍵が開いた。
「オットー。鍵は開けたから、そこから出てきなさい。さあ、急いで」
バートが、牢獄の中のオットーに手を伸ばした。
「ねえ。後で捕まらない?」
オットーは牢獄の扉を押して、薄暗い廊下に出てきた。
「その時には、列車の中だ。追って来ようにも、もう追い付けないだろう」
バートが獅子のように大らかに微笑んだ。
看守は、ミランダの言った通り寝息を立てて眠っていた。しかも立ったままの姿勢でだ。どうしてこんな格好で、眠っていられるのか不思議だった。大きなシャボン玉が、看守の体を包み込んでいるみたいだった。呑気なものだ。いびきと共に、赤鼻には鼻提灯を膨らませていた。
「オットー。さあ、行きましょう」
ミランダが促すように手招きした。
「本当に眠っているんだ」
オットーは、ぐーぐーと気持ちよさそうに眠っている看守の顔をのぞき込んだ。驚きだった。
「えーと、荷物はどうするの?」
グラントーゼ駅に直接着いた時、オットーは心配になった。引越しをするというのに、まだ一つも荷造りをしていなかった。鞄一つ持っていなかった。
「必要な物は、後からお母さんと一緒に届けてくれる手はずになっている。それとも、何か大切な物を置いてきたのかね」
オットーは肩をすくめた。大切な物といっても、そんな物オットーには思い付かなかった。ただ耳の裏に隠してある箱くらいのものだ。これさえあれば、どこにいても大概の自分の物は取り出せる。箱に手を入れて、何が欲しいか念じれば、欲しい物が取り出せる不思議な箱なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます