第4話 ペングリム
列車はペングリム駅に着いた。巨大な時計台のあるその大きな駅は、プラットフォームが十近く並んでいて、車体の新しい列車が止まっている。行き交う乗客も多い。二人は一番端のプラットフォームを目指して、乗り換えのため、長い跨線橋を渡ることになった。
「急いで、遅れないでね」
オットーの母はときどき振り返っては、オットーが大きな荷物を抱えながら、懸命に歩いてくるのを見守った。ずいぶんと歩かされた。重い荷物に、腕が痛くなった。出発の時間が迫っていたから、オットーの母親も彼のことなど忘れてしまったように、早足になる時があった。他にも何人もの旅行鞄を携えた人が、黙々と歩いていた。不思議とみんな同じ方向を目指していた。
二人の乗る列車は、既にプラットフォームに到着していた。雨は依然として激しく降り続いて、かまぼこ型の列車の屋根を、音を立てるくらいにたたいていた。プラットフォーム中を冷たく湿った空気が取り巻いて、床も階段も誰かの雨の足跡で、じっとりと濡れていた。
二人はどうにか列車の出発に間に合って、車室に入った。辺りを見回しても、みんな既に座席に着いて、発車の時刻を今か今かと待ちわびるようだった。ようやく二人は落ち着ける席を認めて荷物を下ろすと、列車が動きだした。ひどい雨降りの中を、列車は頑張って進むようだった。向かい合わせに、席が四席空いていたのが、ぎりぎりで駆け込んできた乗客が、二人の他にもあった。
列車が意気揚々と出発したときには、二人の前に四十くらいの黒服の婦人と、女の子が席に着いていた。それが、こっそり忍び寄ってきたとも、最初からそこにいたとも分からないほど、静かに座っていた。
婦人は、実際よりも年上に見えるのかもしれなかった。灰色の頭髪は、金型から抜き取った風に、きっちりと後ろで束ねていた。長い睫毛の目をぱちぱちさせ、真っ直ぐ前を向き、ときどき二人の方へ視線を移したり、また前を見たりしている。他の乗客と違って、彼女らは旅行鞄も、大きな荷物も持っていない。荷物といえば、女の子のひざの上に置いた、大きなバツケットだけだ。これから、どこかピクニックにでも出掛けるという出で立ちだった。
女の子は、綺麗な黒髪のお下げで、白い顔の中に凛々しい細い眉を描いていた。まだ子供らしいあどけない瞳を備えていた。オットーとは少し年が離れていて、もう学校に上がっていてもいいくらいに見えた。その上、大人のように何か警戒するふうに、始終周囲に目を配っていた。
四人の間に沈黙が続いた。列車はゴトゴトと、いつも音を立てて走っていたから、多少の気まずい空気も紛らわせてくれた。
オットーは、車窓からペングリムの駅が次第に離れていくのを眺めていた。夜の訪れた車窓の景色は、町並みが遠のくに連れ、煌々と輝いた高いビルや温かな光がもれる人家、外灯の白い灯は疎らになっていき、暗闇ばかりが目立って、遂には眺める景色を見失うと、オットーはどうにも目のやり場に困ってしまった。それは、目の前に座る婦人や女の子も一緒だっただろう。
声を掛けてきたのは、婦人の方からだった。婦人は、女の子にバスケットの中から、四角い青い缶を取り出させた。
「坊ちゃん、クッキーはいかが?」
オットーは、先ほどから気になっていた。彼女らの荷物は、女の子のひざの上に置いた、大きなバスケットだけだったから、その中身が何か考えていたのだ。
「遠慮せずに、どうぞ」
婦人がそう言った時、オットーは思った通りバスケットの中身は食べ物だ、と顔を明るくした。それでも、少し物足りなさを感じていた。もっとオットーの想像を絶する、摩訶不思議な出来事が飛び出してくればいいのに、と期待するしていたからだ。つまりそれは、「ま」で始まることだった。オットーは黙って、母の顔を見上げた。
「どうも済みません」
オットーの母は婦人にお礼を言って、彼にもらってもいいとうなずいた。オットーも有り難うと恥ずかしそうに言葉を返して、四角い缶の中をのぞいた。のぞくとたちまち驚いた。こんなクッキーは見たことがない。
どれを選んでも迷うほどに、色々な種類が缶の中に詰まっていた。しかも、そのクッキーの形ときたら、まるで変わっていた。それは古い置き時計だったり、車のタイヤだったり、風呂場の洗面器だったり、引き出しの奥に紛れ込んだ短くなった鉛筆だったり、おおよそクッキーの形としては似つかわしくない形状をしていた。
オットーは、手にしたクッキーを繁々と見つめた。すぐに口にするのが勿体無かった。それは、裏庭の片隅に置き去りにされた、壊れた植木鉢の形をしていた。そんな奇妙な形をしているのだから、味なんて真面に味わえるはずがなかった。
婦人は、もう一ついかがとクッキーの缶を差し出して、オットーに勧めた。
「ベロニカ・ハウエル、シンボルは狼よ」
その後、婦人はそう名乗った。
「この子は、スージー・フリーク。私のお手伝いをしてくれる子ね」
オットーの母は、ハウエルとスージーに握手した。
「クラリス・リドリー、シンボルは大熊です。これは息子のオットー、シンボルは小犬です」
オットーは、恥ずかしそうに小さな手を差し出した。スージーは、「よろしく、シンボルは小狐よ」とだけ言って、オットーの手を軽く握った。
ハウエルたちは、ペングリムにはお使いで来て、その帰りだという。列車はすぐ近くの駅で降り、そこからバスに乗り換えるのだそうだ。荷物は送り届けたから心配ないのだけど、お使いを済ませたときには、すっかり日が暮れてしまって、帰りの列車に間に合わないかと思ったと、ハウエルは笑みを浮かべた。ペングリムには何度か訪れているが、今住んでいる町とは比べ物にならないほど大きな町だから、途中で道に迷ってしまったのだと、彼女は顔を赤らめた。
「ええ、駅の構内も広いですから、列車を間違わなくて良かったです」
「そう、そう」
オットーの母と、ハウエルが世間話を始めたから、オットーは車窓へ顔を向けた。
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