第2話 決闘

 金曜日のペングリム行きの列車に、二人の男は乗り合わせた。隣の車両には十数人の乗客が黙って座っているのが、ちらりと見えた。誰もが疲れ切ったように、座席の背もたれに、深く寄りかかっていた。列車は都心に向かって走っている、それにもかかわらず、この車両だけは二人の男を除けば、人影はまるで見当たらない。つい先ほどまでは、他に二三人の乗客がいたのが、一つ前の駅で不思議とみんなそそくさと降りてしまった。

 二人は共に三十代前後の男だった。まるで彼らは対照的で、一人は紳士風の外套を整然と着こなしている。それに似合った同色の山高帽を、よく櫛を通した頭の上に載せていた。もう一人は、黒マントのようなレインコートで全身を包んでいる。まりで土砂降りの中を駆け抜けてきたふうにずぶ濡れになり、床にぽたぽたと水滴を垂らしている。レインコートを顔半分が隠れるほど深く被って、じっとうつむていた。外見はこちらの方が、少し若く見える。ちょうど車両の中央辺りの席に、二人以外の誰かがその場に居合わせたとしたならば、二人が顔見知りだと思わないくらいに、間隔を開けて腰掛けていた。

 山高帽の男は、始終穏やかな笑みを浮かべていた。晴天を思わせる笑顔に対し、レインコートの男の周りには、どこか物悲しい雨の日の旋律がまとわり付いて離れない。勿論、それはこの男が雨男だという訳ではなかった。男が身にまとっていた雨男のレインコートのためなのだ。そのレインコートを身に着けていれば、まるで雨の日のように、決してその使用者の痕跡を残さない。一つ残らず雨で洗い流してしまう。唯一残す物といえば、その雨水の跡だけだ。

「そのレインコートも、彼から奪ったのかね?」

 山高帽の男が厳かに言った。

「雨男は、ただの人間だったよ。こんな厄介な物に取りつかれてしまったのが、彼の不幸の始まりだったんだ」

 レインコートの男が、静かに苦笑した。

「君は相変わらず罪人のようだな。少なからず、彼は魔法の物を扱えた。普通の人間には、それは不可能なはずだ。それなら、彼もまた我々の仲間といっても過言ではないはずだ」

「仲間! あんな奴が仲間だと、冗談も大概にしろ」

 レインコートの男は、突然の雷鳴のように怒鳴った。

「我々魔法使いは、もっと表の舞台に立つべきだと言っているんだ。臆病者め!」

 響きのある声だった。

「君は、もっと歴史を学ぶべきだ。公になった魔女や魔法使いが、これまでどれほどの災厄を被ってきたか考えてみたまえ」

 山高帽の男は穏やかな調子で、諭すように話した。レインコートの男には、その事が気に入らなかった。その癖、まるで敵意を感じさせない。それがかえって、底知れぬ力をどこかに隠し持っていると、レインコートの男は直感的に感じ取っていた。用心深い彼が、のこのことやって来るはずがない。余裕のある様子からして、万全を期して、ここへ臨んできたのだろうと予測が付いた。

「何を企んでいる。平和を愛するなどと口走って、攻撃的なのは貴様の方ではないか」

 レインコートの男は若者のように情熱的であり、突然と感情的になった。それでいて、時には老齢の哲学者に似て、理屈っぽいところがあった。

「歴史などと化石に頼っていては、世の中は変えられない。我々の可能性をつぶしているのは、貴様の方だ」

「君は全く乱暴者で困る。どうしてそうやって、皆を争いに巻き込もうとするんだ。たとえ我々が大勝利したとしても、それは彼らと立場が変わるだけの話。やっていることは、何ら彼らと変わらない。もしや君は、彼らのようになりたいのかね?」

「下らん! 人を小馬鹿にするのも大概にしろ。――もういい。貴様と話すだけ時間の無駄だったな。交渉決裂だ!」

 列車が急カーブで揺れたのではない。二人の魔法使いの攻防によって、車体が揺り動かされたのだ。それもその車両に限られた話で、他の車両からも、列車の外からも、激しい衝撃を受けたという事実を知る由はなかった。

 車内で打ち上げ花火を点火したくらいの、まぶしい閃光が炸裂した。その衝撃でも、魔法で守られた車両は、傷一つ付いていなかった。二人の魔法使いは互いの魔法に気を取られ、同じ車両に小さな男の子が紛れ込んでいることに、全く気付いていなかった。

 ふと夕立に似た激しい雨音が車両を満たし、それが「シャー、シャー、シャー」と、恐ろしい蛇の唸り声に聞こえてくると、天井にまぶしい光が走って、それがたちまち蛇の姿に変わるなり、一斉に山高帽の男へ向かって襲いかかった。

 山高帽の男は、透かさず外套のポケットから取り出したのは、小さなお菓子のスティックだった。宙で振り動かし、慌てずこう声を上げた。

「ドーナツだ!」

 そんな物で、獰猛な蛇の攻撃を交わせるはずがなかった。ところが山高帽の男の言った通り、恐ろしい蛇は、自分のしっぽにかみ付くと、見る見るお菓子のドーナツに変身してしまった。山高帽の男はにっこりと笑顔を見せ、その一つを指先でつまんで一口かじった。

「私は、これが大好物なんだ」

 山高帽の男はドーナツを頬張りながら、また笑った。彼が使ったのは、魔法封じのお菓子のスティックだった。あらゆる魔法攻撃をお菓子に変えてしまう。ただしお菓子に変えた物は何であれ、一口食べなければいけない。そうしないと、たちまちお菓子は元の恐ろしい蛇に戻ってしまうというのだ。

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