肆 少納言さんの友達は弁のおもとさん。
その日は、定子の実家から衣や調度、菓子などが運ばれてくるというので、多くの女房が壺に集まっていた。
定子の実家からやってくる使者達を労い、持て成すために朝から大忙しであり、同時に華やいだ雰囲気でもあり。
使者達が到着すると、それは最高潮に達した。
絹の布や螺鈿の調度、菓子も果物や唐菓子など、日の本で最高位にいる女性のために、何もかも最高級の品ばかりが並ぶ。
「高前内侍より、文机、高麗縁の畳……」
使者の一人が目録を読んでいるのを右から左に流していた定子は、ふと、部屋の隅で清少納言が使者の一人と親しげに話しているのを見つけた。
目録そっちのけでそちらに意識を集中させると、軽く小突き合ったり顔を寄せ合ってこそこそと話をしたりして、普通以上に親しげな様子で。
仕事中だとか話を聞きなさいとか女房らしくしなさいとか定子としては色々と思うところはあったが、本音をぶっちゃけてしまえば、そんなに顔を近づけるな、であった。
苛々と脇息を指で弾いてみるが、少納言と使者は気付かない。
それどころか、ますます顔を寄せ合って、使者が耳元で話す何かに、少納言は顔を赤らめたりしている。
目録の読み上げが終わって、荷を片付けたり、そうでない女房達が各々お喋りなどしている中で、相変わらず後ろの二人はくっつき合ってこそこそと何か話していて。
あ、そろそろいくぞ、と前列の数人の女房が思うとほぼ同時に、定子は密やかな衣擦れの音をさせて脇息から身を起こした。
「少納言、こちらへ。弁のおもとも」
途端、少納言はぱっと姿勢を直すと、はい、とにじり寄ってきた。
弁のおもと、と呼ばれた使者も、神妙な顔になって近づいてくる。
「お呼びでしょうか」
「お前ね、仕事中に、うちの実家の女房と遊んでるんじゃないわよ」
「あっ、はい、申し訳ございません!その、個人的に礼をしたかったものですから……」
「礼?」
「はい。あの……おもとちゃ、いえ、弁のおもとさんとは、母同士が同じ方にお仕えしていた縁で、昔から存じ上げておりまして」
「……おもとちゃん?」
「え?」
「何でもないわ。それで?」
「私が、宮様の女房になるかどうか、という時、弁のおもとさんが私のことを宮様の母君に伝えて下さって、母君が私を推して下さったために、私は宮様の女房になれたんです。宮仕えなどしたらどうか、と言ってくれたこともあって、弁のおもとさんは私の恩人なんです」
「恩人だなんて、女房になれたのは、な……少納言が優れていたからだと何度言っても、この子ったら信じなくて」
「ちょっと、宮様の前でこの子は止めて下さい! これでも私、宮様より十歳も年上なのに……」
「でも私から見たらいつまでもこの子でしょう?」
「もう……」
つん、と頬を突かれ、照れて俯いてしまった少納言は知らなかった。
弁のおもとが少納言の頬に触れた瞬間、定子の表情が一気に険しくなったのを。
あれ、何だろうこれ、と奇妙に思う弁のおもとを余所に、定子は表情と裏腹の柔らかな声を出した。
「それにしては随分と話が弾んでいたようだけれど?」
「あの、それは……お恥ずかしながら、毎日楽しくて、宮様にお仕えできてどれほど嬉しいかというお話をしていたら、時間が経つのも忘れてしまって……」
申し訳なさそうに更に顔を隠す少納言の様子に、少しだが定子の表情が和らぐ。
「少将の唯一の人になった落窪君から手紙を貰ったとしてもここまでではないだろうと言うほどでしたのよ」
弁のおもとが早口で言い添えると、定子は小さく頷いた。
「宮様のご実家から使者がいらしているというのに、申し訳ありません」
「……別に、そこまで怒ってないけど。でも、条件一つ」
「条件?」
「そう。私のことを、て……」
「宮様、それ以上はなりませんわよ」
宰相の君の制止がかかり、右兵衛督によって少納言はぐぐっと後ろに戻される。
「え?あれ、右兵衛さん、まだお話が……」
「大丈夫、もう終わっている。それより、お前の持っている書で借り受けたい物がある、付き合ってくれ」
「はぁ……」
右兵衛督と少納言が並んで部屋を出ると同時に宰相の君が
「宮様、今、何とおっしゃるおつもりでしたの?」
と問うた。
「定子様と呼びなさい、と言おうとしただけよ」
「やっぱり。御止めして正解でしたわ」
「何よ、定子ちゃんより良いでしょうが」
「良い訳ありませんわ」
本名など、親兄弟以外では夫、恋人にしか教えないものだ。特に女性の場合は。
もちろんそれは建前上で、実際は天皇の妻達、内侍、女官など公に出ている者であれば、知ろうと思えば簡単に知ることができる。
定子とて、多くの者は宮様などと呼ぶが、彼女が関わる多くの者に本名は知られている。
しかし、知っているのと呼んでいいのとは別の話で。
「そんなこと許されても、少納言が困るだけですよ」
「……ちっ」
「宮様、舌打ちなさらないで下さいませ。はしたないですわ」
そのやり取りを眺めていた弁のおもとは。
大切な親友を送り込んだことをほんの少しだけ後悔しながらも、本人が幸せそうだからいいのかなあ、と思い直したりもしたのだった。
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