第5話 馨と翠(前編)

 双子の兄である馨は、性格良し、成績良し、いわゆる優等生だった。昔から馨と比較されて育った俺は、兄の存在が憎かった。

 中学生になり、兄がいじめにあっていることを偶然知った。そのことに気づいた時にはすでに馨の精神状態はボロボロで、学校に行こうとすると拒絶反応が出るようになっていた。

 ある日、俺が自室でゲームをしていると、馨が部屋に入ってきた。

 馨の口は動いているのに、声は全く聞こえない。ストレスで一時的に声が出せなくなっていると、母親が言っていたのを思い出した。

 父親も母親も、兄のことばかり。心の病なんて、ただ心が弱いだけじゃないか。

 俺は「いま忙しいから」と言って、馨を部屋から追い出した。その日の夜、兄は病院に運ばれた。夜の川に飛び込んだらしい。近くに助けてくれる人がいたから良かったものの、運が悪ければ死んでいたと警察が言っていた。

 馨を自殺に追いやったのは、自分だと気づいた時、これからは何があっても馨の味方でいようと心に誓った。

 それから数年後、馨が末期の膵臓がんだと診断された。余命半年と医師から告げられた時、両親は絶望に打ちひしがれていた。

「馨、入るよ」

 病室に入ったはいいものの、兄に掛ける言葉が見つからず、丸イスに座って項垂れた。

「どうして黙ってるの?」

「馬鹿。オーギュスト・ロダンの『考える人』になっていたんだよ。お前がいつツッコんでくれるか待ってたんだ」

「高度すぎて分かんないよ」

 兄の疲れた笑顔に胸が痛んだ。

 余命半年。もしかしたら、それよりも短いかもしれないと、医師は言っていた。

「あのさ、バケットリストって知ってる?死ぬまでにやりたいことをノートに書いて、それをひとつずつ実行していくんだけど、良かったら一緒にやってみない?」

 兄は「やる」と即答した。俺は鞄から買ってきたばかりのノートとペンを取り出し、馨に渡した。数分後、兄は「書けた」と言った。

「見せてよ」

 兄からノートを受け取った。

 全部で九個。十個目は空欄だった。

「十個目は?」

「考え中。十個目は特別なものにしたいからさ」

「そっか。まあ、いいけど」

 それから俺は家族や親戚、友人たちを巻き込んで、兄のやりたいことを叶えていった。俺にとって、兄のバケットリストを叶えることは罪滅ぼしと同義だった。

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