第3話 初恋デート

 待ち合わせ場所に着くと、私に気づいた秋月君が手を振ってくれた。出掛ける直前になって、やはり会うのは止めておこうかと悩んでいたが、杞憂だったようだ。

 秋月君は高校生の頃に比べて随分とあか抜けた雰囲気になっていた。長年、東京に住んでいたのだ。当然と言えば当然だろう。

「神屋敷さん、久しぶり。今日の服、可愛いね」

「そ、そうかな」

 褒められることに慣れていないせいで、どう反応するのが正解か分からない。いま鏡を見たら、真っ赤な顔をしている自分が映っているに違いない。

「今日は神屋敷さんの行きたいところに行きたいんだけど、どこか行きたいところはある?」

「えっと、・・・・・・水族館とか?」

「いいね。サンシャイン水族館はどう?」

 こくこくと頷くと、「じゃあ、そこで決まりだね」と秋月君は言った。


◆◇◆◇◆◇◆


 水族館を巡った後、いま話題の恋愛映画を見た。

『私はあなたを忘れたかった。それなのに、どうしてあなたは私のことを忘れさせてくれないの?』

 よくある恋愛映画だったが、登場人物のそのセリフが印象に残った。

 隣に座る秋月君の顔を見ると、私の視線に気づいた彼が、優しく私に微笑みかけた。なぜ私に声をかけたのか彼に尋ねようと思っていたけれど、その質問をしてしまったら最後、彼の笑顔が二度と見られなくなりそうで怖かった。

「映画、面白かったね。次はどこへ行こうか?」

「私はどこでもいいよ」

「じゃあ、カフェに入って休憩しよう。どこか気になるお店はある?」

 お店を探そうと一歩踏み出した瞬間、踵に痛みが走った。買ったばかりのサンダルを履いていたせいで、踵の皮が擦り剝けていた。

「絆創膏を買ってくるから、そこのベンチで休んでて」

「いいよ、そんなの。全然平気だから気にしないで」

「そういうの、いいから」

 秋月君の口から氷のように冷たい声が聞こえた。秋月君は気まずそうな顔をした後、近くにあったドラッグストアに入っていった。

「なにやってるんだろう、私」

 ベンチに座って、夕暮れの空を見た。

 履きなれない靴、背伸びしたオシャレ着、『香水男ウケ人気』でネット検索して購入した香水。私がいくらオシャレを頑張ろうが、秋月君は私を好きになることはないのに。そう思うと、必死に彼に好かれようとした自分が惨めに思えた。

「ねえ、そこのお姉さん」

 派手な格好をした男が二人、私の前で立ち止まった。

「暇だったら、俺たちと一緒にカラオケに行こうよ。もちろん奢るよ」

「ひとりは寂しいでしょ?俺らと遊ぼうよ」

 馴れ馴れしく話しかけられて不愉快に感じたが、気安く話しかけられるような恰好をしている自分にも非があると思った。

「消えてよ」

「『消えてよ』だってさ。ウケるんだけど」

「今の言葉、傷ついたわ。慰謝料を払ってもらわないと。ほら、こっちに来てよ」

 腕を強く引っ張られ、助けを求めようと周りに視線を向けた。通行人は触らぬ神に祟りなしと足早に通りすぎていった。

「あ・・・・・・」

 助けを呼びたいのに、恐怖のあまり、声が出ない。

 お願い。誰か、助けて―—。

「おい」

 私の腕を掴んでいる男が後ろを振り向いた直後、男の頬に拳が入った。秋月君は容赦なく男を蹴り飛ばすと、今度はもうひとりの男の胸倉を掴んで持ち上げた。

「目障りだ。消えろ」

 秋月君が手を離すと、男たちは逃げるように去っていった。

「神屋敷さん、大丈夫?怪我はない?」

 秋月君が私の顔をじっと見た。彼の瞳に、今にも泣きだしそうな顔の私が映っていた。

「大丈夫、じゃない」

「ひとりにしてごめん。本当にごめん」

 秋月君はポリ袋から絆創膏と消毒液を取り出すと、私の足の傷口に消毒液を吹きかけた。

「ねえ」

 秋月君がすっと顔を上げた。

「どうして私に声をかけてくれたの?」

 秋月君からのLINEが送られてきてから今日に至るまで、ずっと思っていた疑問を口にした。

「ごめん。迷惑だった?」

「ううん。久しぶりに会えて嬉しかったよ」

 消毒液の蓋を閉めようとした秋月君の手が強張ったように見えた。

「それなら良かった」

「私、やっぱり秋月君が好き」

 秋月君が口を開きかけたその時、夕方の六時を知らせるチャイムが鳴った。チャイムが鳴り終わるとすぐに、秋月君は「そろそろ帰らないと」と言った。

 秋月君は近くを走っていたタクシーを呼び止め、私をタクシーに乗せた。

「神屋敷さん、今日はありがとう。気をつけて帰ってね」

 秋月君がタクシーのドアから手を離した瞬間、私は彼の手をぎゅっと握りしめた。

「告白の返事、聞かせてくれないの?」

 秋月君の瞳が揺れた。彼を困らせたいわけじゃない。だけど、このまま別れてしまったら、もう二度と彼に会えないような気がした。

「好きだったよ」

 秋月君はなぜかとても辛そうな顔をしていた。

「・・・・・・秋月君?」

 秋月君は最後ににこりと笑うと、タクシーのドアを静かに閉めた。彼の言葉の意味を、私は知る由もなかった。

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