第0章

第0話 赤い蜘蛛が夢を見る

 弱い者の虚像きょぞうをくいやぶる赤い蜘蛛クモが好きだ。

 自分を強いと信じてうたがわない者を、糸でからめとるのが好きだ。


 おろかものが好きだ。と言えば、ウソになるかな。

 私はおろかものが大嫌いで、この世に必要ないと思っている。


 たとえば、高みを目指すヒトは好きだけどね。

 下を見てよろこぶ小心者は恥さらしだとしか評価しようがない。


 言葉足らずに上を見て、こびへつらう者の“ぶざま”ときたら!

 露悪をよろこび卑屈を気取る考えなしの人間と、なんの違いもありはしまい。


 生きている価値がないとは、まさにこのような人間のことを呼ぶのだ。


 食事の席で私が言うと、友人想いの友人は友人の私にお節介な助言を返す。


「なら、キミが“いちばん”になればいいさ」


「いちばん?」


 私の問いに挑戦的な笑顔がはじける。


「負けたらなにを言っても言い訳になるからね。他人ひとの無様が嫌いで愚か者が許せないなら、キミはそいつらよりも強くならなくっちゃいけない。だから、“いちばん”」


「めんどくさ」


「だけど理屈はそうだろ? めんどくさがり屋のお姉さん?」


 たわいもない掛け合いが私たちにとって今生こんじょうの別れだった。

 この友人は……彼女は戦争に行くのだ。

 私たちは人間の国をおびやかす悪魔の国と戦争をしている。

 人間の国家を、共同体を守るために……

 私たちは戦争に引っ張りだこにされている。


「悪魔は強い。私はきっと生きて戻れないよ」


「さびしいね」


「今日が別れの晩餐ばんさん会だね。見送りをありがとうさ」


「いいえ、ごちそうさまでした」


「こらこら酒も飲まずに帰ろうとするんじゃない。支払いは私持ちだが冥土の土産に私の話をぞんぶんに聞いていってくれよ」


「めんどくさ」


「それが死にゆく友人への態度かね……薄情者とは、キミのことだな」


「へえ、死ぬの?」


「いいや死なないとも、私はキミの心で生き続けるよ。寄生虫のようにね!」


 微笑んだ友人は次の日、大魔王との戦争であっさり殺されてしまった。

 彼女はいなくなった。だけど……

 だけどまだ、私の中には、彼女の言葉が生きている。


「負けたらなにを言っても言い訳になるからね」


 戦いに負けた彼女はなにを失い言い訳にさせられたのかな?

 戦いに勝った大魔王はどんな主張を貫き、守ったのかな?


 だけど、その次の月には大魔王が死んでしまった。

 戦場にあらわれたドラゴンに喰い殺されたのだと、若い兵士が言っていた。


 大魔王はなにを言い訳したのだろうか。

 なんにせよ、自分が強いと信じているおろかものにはふさわしいさ。


 しかし、他人のぶざまを聞いても良い気分にはなれない。

 それをよろこぶ私こそがおろかものだと、私がいちばんよく知っている。


 負けたらなにを言っても言い訳になる……だから。


他人ひとの無様が嫌いで愚か者が許せないなら、キミはそいつらよりも強くならなくっちゃいけない」


 彼女の言葉が私の中でまだ生きている。

 私は弱い。弱い私は不幸にも強くなるチャンスを得た。


 死んだ大魔王の血を身体に組み入れる禁忌きんきの儀式だ。

 伝説の“勇者様”になれるという触れ込みのとびっきりのギャンブルだ。


 私の髪は赤い、私の眼はらんらんと赤い。

 私の髪は白くなった、私の両目は赤いままだけど、ほとんど目が見えなくなった。


 でもまあ私、ドラゴンを殺せるくらいには強くなれたよ。

 友人を殺した大魔王を殺したドラゴンを殺す。


 逆恨みみたいな繋がりがおかしくて笑ってしまう。


「ねえ、あなた、死ぬの? ここで終わるの?」


「狂った、女、め、呪われろ、呪われろ、くそぅ……」


 ドラゴンは負け惜しみを言い残して、死んでしまった。

 悪魔を殺して、わずかに生き残った人間も殺す。


 だって、みんなが私を殺そうとするものだから、私も本気で戦ったのだ。

 ありとあらゆる生命を殺しつくせば、最後は私がいちばんだ。


 友人が生きていたら、きっと言ってくれただろう。


「よーし、これで、キミがいちばんだ!」


 寄生虫のように響き続けた友人の言葉も、だんだんと聞こえなくなった。

 荒野に横たわって、真っ暗闇の空を見あげて私は眠りにつく。


 二度と目覚めない最期の瞬間に私はなつかしい幻聴を聞く。


「負けたらなにを言っても言い訳になるからね」


 その通りだ。私は負けてしまった。

 他人とのかかわりに負けて、私は最期ひとりぼっちになった。

 戦いに勝ちすべてを殺しつくしたとしても、そこに意味なんてないのだ。


 おろかものを嫌い、見下げ果てて、他者を殺しつくしてまで、私が言い訳したくなかった胸の内の“真実”とは、けっきょくなんだったのか?

 とっくに枯れたと思っていた涙がひとすじ、ほほに流れる。


「私はなにが欲しかったんだろう?」


 暗闇にまどろむ私はそのとき都合のよい幻聴を聞く。


「友よ、その答えを探しに行こうじゃないか」


 本当に都合のよい幻聴。

 だけど、私にとってはなつかしい、たったひとりの友人の声だ。


 これは“私たち”が最後に見た、ひとときの夢。


 世界を巻き込む、はためいわくな――夢の旅路たびじだ。

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