第60話 ルインボイス・ロード・オブ・ビースト

 一対の白い翼が舞い降りる。


 それはさながら天からおとずれた祝福の使者だ。

 清廉せいれんな白い布の衣服を巻きつけるように身にまとい、彼女は宙に立つ。


 白く長い髪、比喩ではなく彫刻のように真っ白な素肌。

 そして爛爛らんらんと輝く、真紅の両の目。


 戦いの最中だとはわかっていても、僕はその美しさに目を奪われていた。

 おそらくそれはこの場に集まった全員に共通の思いだろう。


 その中でひとり、メモリアの姉であるエミリーが緊迫した表情で息をのむ。


 エミリーはおそれるようにつぶやいた。


「天魔王獣……」


 天魔王獣、ルインボイス・ロード・オブ・ビースト。


 その美しくも雄々しき姿は、世に破滅をもたらす者とは思えないほどに優美だった。


 プリンセスメイリーは「へえ、これが」とつぶやく。

 モルガンは「メモリア……」と何かを祈るようにまぶたを閉じた。


 そして、バルト。

 変身したメモリアと対峙するバルトは今日初めておもしろそうに口を歪める。


 彼は曲芸用のナイフを1本から2本に増やして、言うんだ。


「ふーん、それが本気? でも、部屋の中で翼を生やしても邪魔なだけだと思うけどね」


 メモリアは答えない。


 次の瞬間。バルトはいっさいの容赦なく、2本のナイフをメモリアへと投げつけた!

 目にも止まらぬ。目にもうつらぬ早業だ。


 バルトの手の内からナイフが消えたと思った瞬間には、メモリアの目と鼻の先にナイフがまっすぐ飛んでいる。


 それは僕でさえ、竜の知覚でようやく気づけた常識外れのスピードだった。

 足場のない宙に浮遊しているメモリアにはそれを回避する方法がない。


 あわや惨劇……そう思われた瞬間に、メモリアが静かに“口を開く”。


 そして、メモリアは“歌った”。


「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」


 それは音と評するべきなのか、歌と評するべきなのか。


 とにかくメモリアの声は力ある“振動”だった。

 どんな神速よりも速く、どんな剛力よりも強く。


 メモリアの声は、力そのものの顕現となって、目の前のナイフを叩き落とす。

 指一本、眉一つ動かさない、余裕の対応だ。


 小手調べのような攻撃とはいえ、本気のバルトの一撃をメモリアは簡単に完封する。

 その一幕は圧倒的、というよりも揺るぎなく絶対的な力の“質”を感じさせる。


 メモリアが行った防御、そして彼女が得た力の本質は察するにあまりある。


 僕は思わずつぶやいていた。


「音か……」


 空気を伝播する、振動。

 音より早く動ける人間はいないし、そんな悪魔もおそらくは存在しないだろう。


 彼女の“声”には、神速の妙技をあやつる達人さえおよばず。

 彼女の“声”には、どんな剛力無双の攻防もおそらくは通用しない。


 土台で戦いのステージが違うのだと、僕は察する。

 バルトは部屋の中で翼を生やしても邪魔だと言ったけれど、それは見当違いだろう。


 そもそも回避も防御も音の速度で間に合うのだから、ほぼ動く必要がないに違いない。

 それはまごうことなき、頂点資格者。絶対者だけに許された立ち振る舞いだった。


 これが天魔王獣の力の一端でしかないというのであれば……

 ひかえめに言って、バルト少年に勝ち目はない。


 傍目でみていた僕でさえ簡単に気づけたことを、魔王候補のプリンセスメイリーや、実際に戦うバルトが気づかないはずもない。


 だけど、バルトは相変わらずのクールな態度で、曲芸用のナイフを新しく取りだした。


「歌? へえ、音か……それってどのくらい自由に動かせるものなの?」


 神速!


 バルトは手にしたナイフを続けざまに投げつける。

 まっすぐ直線的に、メモリアに向かって、ではない。


 四方八方、むちゃくちゃな方向にナイフを投げ散らかして……

 そしてバルトは自らの魔力をもちいて空中にナイフを固定してみせた。


 刃の包囲網だ。

 一歩も動かず宙に浮遊しているメモリアを囲んで、ナイフの尖端が鈍くひらめく。


 さながら引き絞られた弓矢。

 その矢が放たれる一斉投射のその瞬間に――


 指揮者のバルトは無情とも思える冷たさで、微笑んだ。


「ああ、死んだらごめんね」


 斉射!


 無数の刃が突き立つ――

 その瞬間に、メモリアが口を開いた。


 メモリアは身じろぎひとつせずに歌う。


「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」


 音撃おんげきというべきかな。


 全方位を網羅する音波の壁によって、メモリアに向かうナイフがへし折れて砕け散る。

 まさに死角なし、だ。


 今のところは防御にしか使っていないけれど、この音波を攻撃に転用することができるのならば、どんな武器よりもおそろしく強い刃になるだろう。


 そしてきっと、音波の攻撃への転用は今のメモリアにとっておそらくは難しくない。

 わかり切った話だからだろう。バルトはあっさりと白旗をあげた。


 両手を上げて、バンザイのポーズで冗談めかせて言うんだ。


「降参だ~、でもいいよね? プリンセス? これは無理だよ。たぶん僕じゃ勝てない」


「ったく、諦めと引き際が良すぎるのは、あんたの悪い癖よね……」


 そのあっさりすぎる引き際に、プリンセスメイリーが苦言をつぶやく。


 しぶしぶではあるけれど、プリンセスメイリーがバルトの要求を拒む様子はない。

 これでメモリアの実力を試して見定める、彼女への試練は終わった。


 戦いは終わった、誰の目にもそう思われた。


 だけども、メモリアの歌はまだ終わってはいなかった。


「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」


 謁見の間にメモリアの声がひびきわたり、氷の壁に亀裂が走る。


 プリンセスメイリーがハッとして、バルトを薄氷はくひょうの障壁で守る。

 直後に、その薄氷の障壁は音撃の直撃によって、こなごなに砕け散る。


 ゾッとする瞬間だ。

 この薄氷がバルト本人だったらと思うと、悪寒がする。


 怒り当然と言うべきか。

 

 プリンセスメイリーが怒髪天をつく勢いでさけんだ。


「くぉら、クソガキ勇者! あんた! なにをいきなり不意打ちかましてんのよ!」


「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa……」


「はあん? あ、そう? 他人様の話を聞く気はないってわけね……?」


 プリンセスメイリーの表情から、温かな感情が抜け落ちる。


 首輪の外れた犬を見るような冷酷な視線で、彼女はメモリアをにらむ。

 おそらく、プリンセスメイリーはメモリアを敵として排除するつもりだ


 あわてた僕はエミリーと目配せをして、現状を確認する。

 わかり切っている話ではあるけれど、今は一分一秒が惜しい。


 僕は竜石を取り出して、エミリーもまた前へと進み出る。


「っ、いくぞ、エミリー!」


「わかっています。今のメモリアは天魔王獣に意識を飲まれかけている。力づくでおさえこみますよ。そうしなければ、手遅れになる」


 進み出た僕たちを一目見て、白い髪のメモリアは背中の両翼をはばたかせた。


 氷の天井を音波の破壊力で突き破って、メモリアは城の外へと飛翔していく。

 なんにせよありがたい。狭い謁見室の中だと、竜のすがたになれなくってね……


 メモリアを追う僕たちは廊下に出て、城のベランダから身を乗り出す。


 翡翠色の輝きが僕のすがたを包み込み、そして僕とエミリーは竜のすがたになる。


「この名は魔を裂き、光を見る者、プラネットアイズ――」


「この名は魔をみ、すべてを刈る者、スパイダーファング――」


 二色ふたいろまなこの、プラネットアイズ・アトモスフィア・ドラゴン。


 そして蜘蛛の毒牙の、スパイダーファング・ルナティック・ドラゴン。

 僕は蝶の翼を、エミリーは竜の翼を広げて、氷の城の上空へと躍り出る。


 モルガンも僕たちの背中を追いかけようとしていたけれど……


 しかし、モルガンはプリンセスメイリーに肩を掴まれて、ベランダで立ち往生する。


「よーし、私様も!」


「おやめ、あんたはここで見ていなさい。私といっしょにね」


「……どうしてよ?」


「ちょうどいい機会だからよ。天魔王獣とやらが、私の役に立つのか、それとも、ただ首輪の外れた猛獣ケダモノなのか、特等席で見定めさせてもらおうじゃないの」


 モルガンの……マリンウィング・エンプレス・ドラゴンの力を借りられないのは、少しばかり痛いけど、この場では仕方がないか。


 僕とエミリーは冷たく澄んだ空気の天空で、白い髪のメモリアと向かい合った。

 メモリアは何も言わない。だから僕は自分の方からメモリアに声をかける。


 力に飲まれるなとか、おぼれるなとか、そんなことを言うのは簡単だったけど。

 でもやっぱり、今の僕が思うのはそれとはまったく別のことだった。


 だから僕は言うんだ。


「聞こえるかい。メモリア」


「…………」


「負けるな、とは言わないよ。キミは自分の魂の記憶から天魔王獣の力を引き出した。それはきっと、メモリアが心から選んだことで、メモリアの信じた道だと思うから」


 この世の誰も、他人の選択をとがめる権利なんて持ち合わせてはいない。


 メモリアが望むなら。

 僕とともに歩くことを、エミリーとともに生きることを。


 もしそれをメモリアが望んでくれるのなら、僕は心からそれを認めて受け入れる。

 決まっているさ。それがメモリアの心のさけびなら、僕はその声を受け入れる。


 だから僕は臆せずに言うんだ。


「ぶつけてこい。キミが望んでくれるなら“僕たち”はキミの声を受けとめてみせる」


「おや、この私もですか?」


「水くさいことを言うなよ。エミリー」


 ――キミはメモリアのお姉さんだろ?


 そう言ってからかってやると、エミリーは「そうでしたね」と好ましく笑ってくれた。

 その時に、白いメモリアが……天魔王獣が、僕たちといっしょになって笑ってくれたように見えたのは、気のせいではないのだと思う。


 メモリアが静かに息を吸い込む。

 それは強大な音撃を繰り出す予備動作なのだと、僕は察する。


 エミリーは「やれやれ」と言いながらも僕よりも前に出て、メモリアと向かい合った。

 竜の魔力を使ってエミリーが詠唱するのは、勇者の秘儀。


 それは敵を裂く剣ではなく、音撃を防ぐための“盾”。

 すなわち極光術――【聖櫃せいひつの盾】だ。


 どうやら、エミリーはメモリアの声を“受け止める”と言った僕の言葉を、額面通りに捉えてくれたらしい。なんだかうれしいね。


「光の極みよ、光の極みよ、光の極みよ――」


 ならば僕も全力を尽くそう。


 蝶の翼から星屑ほしくずのりんぷんをまき散らして、僕はそれに竜の魔力を込める。

 ――星屑の聖域サンクチュアリ


 かつてエミリーとの戦いで用いた魔力の障壁に、僕はありったけの力を注ぎこむ。

 僕が願うのはすべてを守護する竜の聖域。


 そして紅の盾と星々の障壁が、完成する。


「見開き、またたけ、星々の心と竜のめいを」


 メモリアが絶大な“声”を解き放つ。


 大気が鳴動し、その余波で氷の城が割れて砕ける。

 だとしても今、メモリアと向かい合う僕たちが逃げ出すことはない。


 真っ向から、対等に。

 僕は仲間として、エミリーはきっとたったひとりの家族として。


 僕たちは互いが隣り合うために全力を尽くして戦いに挑む。

 それはきっと、生まれて初めて、彼女メモリアが勝ち得た理想に違いなく……


 そのときに、天魔王獣は笑っていた。


 ◆◆◆


「ご迷惑をおかけしました……」


 数分後、メモリアは謁見の間でみんなに頭を下げていた。


 氷の城の上空で思いっきりの“声”を解き放った後。

 天魔王獣としてのメモリアは力を使い果たしたように、元の姿に戻っていた。


 ちなみに攻撃を受けた僕とエミリーはなかなかボロボロで酷い格好をしている。

 いやあ、守るっていうのは、攻めるよりも難しいっていうのは本当だね……


 それが誰にとって迷惑だったか否かはさておきとして。


 とりわけお城に被害をこうむったプリンセスメイリーは微妙な表情をしている。


「あんたねえ、ホントに少しは落ち着きなさいよ。はしゃぎ性は損しかないわよ」


「言葉もありません……」


 派手に暴れたその後で、メモリアはしゅんっとうなだれていた。


 まあ僕としては無事に元のメモリアに戻ってくれて、それでよかったと思うけどね。

 エミリーも今は疲れたような、それでいてやり遂げたような表情をしている。


 そんな微妙な場の空気を打ち払うみたいにして、モルガンが明るく笑いかけた。


「ねえ、メモリア!」


「モルガン……」


「カッコよくなったのね。そっちの方が素敵よ」


 励ましの言葉を受け取ったメモリアは、少しだけ考えてから……


 そして、屈託のない笑顔で堂々とモルガンに言い返した。


「ありがとう、私もそう思うの」


「ほほう、なかなか軽妙に言うじゃない?」


「そうでしょ?」


 よくわからないやり取りを経て、メモリアとモルガンが笑顔の握手を交わしていた。


 この2人は仲が良いのか悪いのか、よくわからないね。

 以前のメモリアはモルガンを嫌っていた気がするけどね。時の流れだね。


 とにかく、脱線してしまった話をまとめよう。


 プリンセスメイリーがこほんとせき払いをして、言う。


「なんにせよ、天魔王獣とやらが、めんどくさいってことだけは、私にもよくわかったわ。戦力として数えるには不安定がすぎるけど……まあ、今はよしとしましょうか」


「では?」


「合格よ、合格。あんたら全員そろって、私のしもべ! 光栄に思いなさいよね!」


「え、ええ……」


「なに? 文句があるの?」


「別にいいけどさ……」


 僕は戸惑ったよ。


 僕の記憶に残る限りで、そういう話運びではなかったと思うんだけどね。

 とはいえ、どの道、僕たちが人間の世界に戻るためにはプリンセスメイリーに協力しなければならない。


 プリンセスメイリーの理想だとか、ルユインの野望だとか、その辺りの大きな絵は、ひとまず保留かな。スケールが大きすぎてピンとこない話だしさ。


「で? 僕たちはどこへ行けばいいの?」


「まずは獄炎の国よ。私とともにカルマを倒す手伝いをしてもらう」


 そう言って、プリンセスメイリーは僕たちの中から何人かを選んで指でさした。


 僕と、メモリアとエミリー。そして最後にプリンセスメイリー自身だ。


「あんたたち3人には、これから私といっしょに獄炎の国へ向かってもらうわ。ひとまずは現地でテロリスト……じゃなかった、レジスタンスの連中と合流するから詳しい話はそれからね」


「あれ、僕は?」と、クールなバルト。


「わ、私様は?」と、慌てたモルガン。


 選ばれなかった2人に、プリンセスメイリーは今後の役割を教える。


「バルトとモルガン。あんたたちには氷の国に残って、常闇の国ルユインの相手をしてもらう」


「僕らに外交をしろってこと?」


「そーゆーことよ。あのクソキザロマンチスト野郎には話を通してあるから……とはいえ、来るべき戦いには必要なことよ。2人ともくれぐれも、油断しないように」


「私様は! フィフスたちといっしょに! 行きたいのだけども!」


 なにやらモルガンが声を大にして異議をとなえる。


 そうだね。僕としてもせっかくモルガンに再会できたのだから、できればこのまま旅の仲間に加わってほしいと思うよ。


 だけど、そんな僕とモルガンの考えをよそに、プリンセスメイリーは冷たく言い放った。


「却下よ。却下。あんたねえ、私がいない間に門番ごっこをして楽しそうだったじゃない? そうでなくても今まで客人待遇で遊んでいたんだから、ちょっとくらい働きなさい。働かざるもの食うべからずよ。そーゆーもんでしょ?」


「ぬぬぬ……」


「なにが『ぬぬぬ』よ……ったく、つくづくとぼけた女ねえ」


 モルガンが口惜しそうに「またねー」と僕に手を振っていた。


 僕もさびしい気持ちで「またねー」と手を振り返しておいた。

 メモリアが「ほんと仲いいわね……」とジト目で呆れていたよ。


 そんな僕たちの小芝居みたいなやり取りをいちべつして、そしてプリンセスメイリーが席を立った。


「さあ、行くわよ!」


「って、今から? 今から出発するの?」


「兵は神速をたっとぶ……というより、ゆっくりしてはいられないのよ。なにせ――」


 プリンセスメイリーが腕組みして考える。


 そのとき、彼女はなにかを憂えるように真剣な表情をしていた。


「なにせ、獄炎の国のカルマは、【魔神器まじんぎ】の扱い手だから」


 プリンセスメイリーの不安が単なる杞憂ではないと、そんなことは僕にもわかっている。


 だとしても今の僕の心持ちはすこぶる晴れやかだった。

 なぜならメモリアがいる。強くなった彼女が仲間として僕の隣に立っている。


 その名は世界の祝福を歌う者。


 大きすぎる力と“声”の重圧に僕は身体をふらつかせながら、メモリアに目配せをした。

 そしてその目配せで、心からとわかるメモリアの笑顔に旅の疲れを癒してもらった。


 そう、天魔王獣【ルインボイス・ロード・オブ・ビースト】。


 いずれはきっと、世界を変える微笑みに。


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